3

 おかしな空気になってしまった。僕はますます気まずくなって、ゆっくりと半礼寅卯を抱き締める腕の力を緩める。


「何で不能なんだ? それもフォビア?」


 半礼寅卯は無遠慮に聞いて来た。

 何と言うか……もう少し気遣いと言うか、デリカシーが欲しい。


「俺も話したんだからさ。君も言いなよ」


 僕は半礼寅卯から手を離して、小さく息を吐く。


「その前に服を着てくれ」


 半礼寅卯は肩を竦めると、こちらに背中を向けて白い衣を着直した。

 僕は後ろを向いて、ジロジロ見ない様にする。……既に全裸を見ているんだから、今更と言えば今更だけど。


「終わったぞ。これで良いな?」


 白い衣一枚だから、そう何分も経たない内に半礼寅卯は着替えを終えて、僕に声をかける。振り向いて見れば、半礼寅卯の身長は少し高くなっていた。踵の高い靴を履いている? 急に男らしさが増した感じがして、僕はちょっと気が引ける。

 でも尻込みしてたってしょうがない。僕は自分から半礼寅卯に手を差し出した。


「ああ。外を散歩でもしながら話そう」


 半礼寅卯は素直に僕の手を取る。

 僕は自然にこの人も助けたいと思う様になっていた。フォビアに苦しむ人に、敵も味方も無い。悪い奴等を倒すよりも……誰かを助けるために能力を使いたい。そう在りたいと願った僕の姿。「マモル」という名前。



 旧洋館御休所を出た僕と半礼寅卯は、玉藻池の方へと向かう。

 池にかかる橋をゆっくりと歩きながら、僕は深呼吸を一つして語り始めた。


「僕がフォビアに目覚めた理由は、親友が死んでしまったからだ。僕は友達を助けられなかった事を深く後悔している」

「……友達、親友ね」


 半礼寅卯は余り興味無さそうに呟いた。話せと言うから話しているのに、その反応は無いだろう……。興味が無いなら聞かないで欲しい。

 そう思いながらも僕は続ける。


「この罪を背負ったまま生き続けるのは苦しい。僕は許されたい。でも、死んだ人は何もしてくれない。僕はどこで自分を許すべきなのか、そもそも許されて良いのかも分からない」

「はぁ、そう」


 相変わらず、半礼寅卯の反応は冷淡だ。バカみたいだと思われているんだろうか?

 ……気まずい沈黙が訪れる。

 先に口を開いたのは半礼寅卯だった。僕の方をちらりと見ながら言う。


「その話ってさ、誰か他にもした事あんの?」

「あるよ」

「誰に?」

「色んな人に。F機関にはフォビアを持っている人が集まっているから、フォビアの事を人に相談したり、逆に相談されたりで、割と話す機会は多い」

「なーんだ」


 ガッカリした様に半礼寅卯は息を吐いた。


「何より日富さんがいるから」

「ヒトミって誰だよ」

「知らない? 人の心が読める人」

「あー、ルーシーから聞いた事ある」

「カウンセラーしてるから、事ある毎に話を聞いてもらってる。あの人に心を読んでもらうと、気分が楽になるんだ」

「どうしてそうなるんだよ? 怪しいな……」

「心を読まれている時、人は自分の心をその人に預けてるんだってさ」

「心を預ける……か」


 こうして話していると、何だか友達みたいな感覚だ。

 僕と半礼寅卯は手を繋いだまま、玉藻池を通り抜けて、整形式庭園から中央休憩所へと向かう。

 中央休憩所に着いた僕達は、日本庭園を眺めながら、ちょっと足を休めた。


「あのさ、F機関に来ない?」

「急に何だ?」

「フォビアに悩んでいるなら、力になれると思うんだ。そのためのF機関だから」

「天国なんか放り出して行けって?」


 僕は無言で頷いた。

 半礼寅卯は小さく笑う。


「はは、ジョーダンきっつ」


 あっさり断られてしまった。

 僕は一人で眉を顰める。もう少し良い誘い方があったかも知れない。仲間を裏切れと言うのは無理だよな。



 僕は半礼寅卯の手を引いて、日本庭園から新宿門に向かった。

 半礼寅卯は不安そうな顔をして僕に尋ねる。


「どこに行くんだ?」

「天国から出て行くんだ」

「それは……」


 迷っている様子の半礼寅卯に僕はハッキリ告げる。


「どうせ天国にはいられないんだろ? 僕も同じだ。僕達は人間なんだ。神や仏にはなれないし、天国なんてまだ早い」

「だが……」

「天国は君の救いにはならなかった。だから――」

「だから?」


 ちょっと恥ずかしいけど、言い切ってしまおう。


「僕が君の救いになる」

「本気かよ?」

「本気だよ。父親なんて関係ない。男でも女でも、じっくり考えて、悩んで、それから決めれば良い」


 半礼寅卯は俯いて笑いを堪えていた。

 僕は恥ずかしさで顔が熱くなる。何がおかしい? やっぱり気取り過ぎたか?


「まるでイヴを誘惑して楽園から追放させるサタンだな」

「アダムもいない楽園に一人だけじゃ寂しいだろ」

「……そうだね。一人は寂しいから、神はアダムにイヴを創ってやった。そして俺は君を呼んだ」

「でも僕達は楽園を追放されるんじゃない。自分から出て行く」


 半礼寅卯は何も言わなかった。でも抵抗もしなかった。


「知恵の実を食べたイヴは恥ずかしくなって裸を隠した。神との約束を破ったアダムとイヴは楽園を後にして、苦しみに満ちた地上へ当てもなく旅立つ」


 半礼寅卯は独り言を呟く。聖書の一節だろうか?

 僕は半礼寅卯の手を引いて、新宿門の前に立った。高くそびえ立っていた白い光の壁が、少しずつ薄れて消えて行く。


「俺の天国も終わりだ」


 半礼寅卯は一度だけ後ろを振り向いて、名残惜しそうに新宿御苑を見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る