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 僕は夢を見ていた。夢の中で、僕は自分の部屋のベッドで横になっていた。久遠ビルディングの中の部屋じゃなくて、実家の自分の部屋だ。

 ……夢の中なのに、意識が妙にはっきりしている。直前に実験室で眠ってしまったはずだという事も、しっかりと覚えている。だけど、これは夢に違いないとも感じている。

 僕は実家の自分の部屋に懐かしさを感じながら、上体を起こして辺りを見回した。

 カーテンは閉じられたまま。テレビの画面は火事のニュースを映している。

 火事って、エンピリアンか……? いや、これは穂乃実ちゃんの関係していた火事のニュースだ。二年も昔のニュース。どうなっているんだろう?


「向日くん」


 不意に呼びかけられて、僕は慌てて振り向く。いつの間にか日富さんが僕の部屋に入って来ていた。


「日富さん? これは夢なんですよね?」

「ここはあなたの個人世界の中です」

「あっ、そうなんですか……」


 僕は妙に納得していた。

 記憶とは過去の物、だからテレビは昔のニュースを映しているんだ。

 僕は立ち上がって、日富さんに話しかけた。


「ペルセウスの……ジョゼ・スガワラの個人世界に行きましょう」

「話が早くて助かります。でも、この状況の説明が必要だとは思いませんか?」

「説明できるんですか?」

「一通りは」


 僕は日富さんと会話しながら、部屋の外に向かう。


「この世界はあなたの個人世界ですが、実は外部からの干渉を受けています」

「あー、寝る前に被せられたヘルメットと関係あるんでしょうか?」

「はい。人の精神世界は意識と記憶の塊ですから、本来は具体的な形を持ちません。夢と一緒です。故に非常に不安定で、意識があちこちに飛んだり、人や物や場面がころころ変わったり、現実にはあり得ない事が起こったりもします。だから成型する必要があるんです」

「これは雛型で成型された夢だって事ですね」

「向日くん、冴えていますね。正確には夢ではなく、記憶の引出しの中です。普段は散らかっている記憶の引出しの中を、ある程度は見られる形に整えたもの」


 僕が日富さんに先んじて部屋の外に出ると、そこは真っ白な一本の廊下だった。

 ……こんな場所には見覚えが無い。

 僕は後から出て来た日富さんに尋ねる。


「ここは?」

「『抜け道』を具象化した風景です」

「これが抜け道?」

「はい。私達は抜け道を通って、他人の個人世界と繋がります」

「そういうイメージを形にした場所って事なんですね?」

「そうです、そうです」

「――で、この先がペルセウスの個人世界と繋がっている?」

「ええ」


 廊下の突き当りには緑色のドアがある。あれを開ければ、ペルセウスの個人世界と繋がるという訳だ。

 僕は慎重にドアノブを握り締めた。中は一体どうなっているんだろうか……?

 ゆっくりドアを開けて中を覗き込むと――そこには広い屋内プールがある。いや、プールというか……貯水槽? これがペルセウスの個人世界?

 困惑する僕を追い越して、日富さんが先に室内に踏み込む。


「大丈夫なんですか?」

「どうという事はありませんよ。この中に落ちさえしなければ」


 日富さんは水際に立って、液体で満たされたプールの中を覗き込んだ。

 僕も恐る恐る室内に入って、プールの中を覗き込む。

 ……この液体は何だ? 水にしては不透明だ。じっと水面を見詰めていると、何人もの人の顔が浮かび上がる。


「うわっ、何これ……」


 僕はその不気味さにぎょっとして後退った。

 日富さんが淡々と答える。


「これが私のストレージ……。ペルセウスの精神は、この中に沈んでいます」

「サルベージって、まさか?」

「この中からペルセウスの精神を見付けて、引き揚げます」

「潜れって事ですかぁ!?」


 ちょっとそれは勘弁してもらいたい。

 及び腰の僕を見て、日富さんは小さく笑う。


「潜る必要はありません。ただ、向日くんにサルベージを担当してもらう事には変わりありませんが」

「潜らずに何とかなるんですか? 釣りをするとか?」


 一本釣りみたいにポーンと釣り上げられたら楽なんだけど……。


「残念ながら釣りではありません。向日くんにはフォビアを使ってもらいます」

「僕のフォビアを? 使えば……どうなるんですか?」

「私達の予想が正しければ……。プールに近付いて、試してみてください」


 僕は日富さんの指示通り、フォビアを意識しながらプールに近付いた。

 そうすると不思議な事に、プールの水位が少しずつ下がって行く。


「どうなってんですか、これ?」

「向日くんのフォビアは無力化なので……推測ではありますが、私のストレージの機能を部分的に失わせているか、または――」

「長くなりそうなので後にしましょう。それで次は何をすれば良いんですか?」


 僕は面倒になって、自分から説明を求めておきながら遮った。

 日富さんは不満そうな顔をしたけれど、ちゃんと指示は出してくれる。


「そこにプールの中に下りる梯子があります」

「あ、本当だ。ありますね」


 そんなのあるのかよと思っていたけれど、本当にあった。もしかして外部からの干渉で設置された物なのかな?


「梯子を下りながら、フォビアで少しずつ水位を下げて、ペルセウスの精神を見付け出してください」

「分かりました」


 僕は梯子に手と足をかけて、一段一段慎重に下りる。この訳の分からない液体の中に落ちたくはない。

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