3
僕が梯子を一段下りる毎に、それに連動してプールの水位も下がる。……不思議な感覚だ。
それにしても深い……。一体どこまで下りれば良いんだろう?
顔を上げて、下りて来た梯子の元を仰ぎ見ると、もうプールサイドからは何十mも離れているみたいだ。僕が不安になって梯子を下りるのを一旦止めると、上から日富さんの声が降って来た。
「向日くん、大丈夫ですよ! そのまま下りてください!」
「見えてるんですかー!?」
僕が大声で上に向かって声をかけると、間を置かずに日富さんの声が返って来る。
「ちゃんと見てますよー!」
どこからだよ……。精神世界だから何でもありなのか?
僕は疑問を抱いたまま、再び階段を下り始める。
――何分ぐらい経ったんだろうか? まだまだ底は見えない。ペルセウスの姿も。
僕は再度日富さんに問いかける。
「どこまで下りればいいんですかー!?」
「そのまま、そのまま下です。ペルセウスが見付かるまで下りてください!」
プールサイドまで優に百m以上は離れている様な感覚なのに、返答は即時。まさに摩訶不思議……。
僕は改めて下を見てから、また問いかける。
「これ、どのぐらい深いんですかー!?」
「分かりません!」
「えぇ……」
「とにかく下りられる所まで下りてください!」
「帰りはどうするんですか!?」
「大丈夫です! 方法は考えてあります! 信じてください!」
その方法を具体的に教えてくれよ。まあ、ここまで来た以上は信じるしか無いんだけどさ。今は余計な事を考えるなって事なんだろう。
更に何十段も梯子を下りた後、僕は手足を止めて一つ息を吐いて休憩する。
余り疲れは感じていない。精神の世界だから肉体的な疲労は無いのかも知れない。
僕は改めてプールの中をぐるりと見回す。かなり下りたはずだけれど、暗くなる感じがしない。プールの端から端まで見えている。やっぱり精神世界だから、現実世界の物理法則が当てはまらないんだろう。
途方もない感覚がして、僕は大きな溜息を吐いた。水面に目をやると、ぼんやりと多くの人の顔が浮かんで来る。その中で偶々一つの顔が目に付いた。
誰の顔だろうと思っていると、それは少しずつ輪郭をはっきりさせる。
――僕の顔?
僕は水面に映った自分の顔と目を合わせた。そうすると……ある場面が水面に映し出される。白い部屋に白衣の女の人が一人、
これは……日富さんのカウンセリングを受けている僕?
このプールは日富さんのストレージだから、これまで日富さんが読み取った記憶が保存されているんだ。記憶を読まれている僕の記憶と、僕の記憶を読んでいる日富さんの記憶が、この場面を構成している。僕は直観的に理解していた。
じゃあ、ペルセウスの記憶もどこかに……?
僕はその場に留まって、水面に映る多くの顔の中から、ペルセウスの顔を探した。中南米系の顔立ちで、それなりに体格が良くて、黒髪に浅黒い肌の……成人男性? 年齢を知らないから、もしかしたら未成年って事があるかも。
僕は何とかペルセウスの顔を思い浮かべようとするけれど、なかなかはっきりとは思い出せない。そんなに何度も顔を合わせた訳じゃないからなぁ……。
僕は日富さんに呼びかけた。
「日富さん! ペルセウスの事を思い浮かべてください!」
「最初からずっと思い浮かべていますが……」
「具体的に! どんな場面で何をしたのか!」
ここが日富さんのストレージなら、日富さんの意識と何かしら関連しているはず。
日富さんがペルセウスの事を思い浮かべれば、ペルセウスが現れるんじゃないかと予想したんだ。
僕はプールの水面を凝視する。どんな小さな変化も見逃さない様に。
数秒後、僕から少し離れた場所の水面が揺らいで、ある場面を映し出した。椅子に座っている日富さんが、三人の男女に取り囲まれている。
一人はペルセウスだろう……けれど、後の二人には見覚えが無い。きっとルーシーとオリオンだ。多分、これは日富さんが三人にストレージの中を見せたシーン。
日富さんとペルセウスは、目を合わせたまま微動だにしない。ルーシーとオリオンらしき二人は、何かを恐れている様な青ざめた顔で、日富さんとペルセウスから距離を取っている。
この映像が映し出されている周辺に、ペルセウスの精神が沈んでいるに違いない。そう思って、僕は水面を凝視しながら梯子を上り始めた。そして高い場所から梯子を蹴って勢いを付け、日富さんがペルセウスにストレージの中を見せるシーンに向かって飛び込んだ。
僕を避ける様に水面がへこんで、水の中から一人の男性が浮かび上がる。
――ペルセウスだ!
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