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増伏さんが去った後で、上澤さんは僕に向き直って言う。
「これでここの寮にいるフォビアの紹介は終わりだが……。エレベーターの中で私がした質問を憶えているかな?」
「はい。感想を言うんでしたよね」
「聞かせてもらおう」
僕は今日会った人達を心の中で思い返しながら、緊張して答えた。
「まず、お年寄りのフォビアはいないんでしょうか? 三十代の人とか四十代の人もいましたけど、二十代の人が大半だったなと……」
「良い着眼点だ」
上澤さんに褒められて、僕は少し安心した。
「フォビアの能力は若者の方が発現し易く、年を取ると衰える。これは精神が落ち着くためだと考えられている。多くの事を経験していく内に、恐怖症を克服して怖さを感じなくなったり、ある程度感情を抑えられる様になったり、大元の共感能力自体が鈍ったり、原因は様々だが……早い者は二十代でフォビアを失う。三十代後半までフォビアを保持していられる者は稀だ」
上澤さんの言う通りなら、今日会ったフォビアの人達も、何年か経てば普通の人になるんだろうか? その場合どうなるのか、僕は気になった。
「フォビアじゃなくなったら、どうなるんですか?」
今はフォビアとしてF機関で働いている人達だけど、超能力を失ってもF機関に置いてもらえるんだろうか? それとも退職して普通の生活を送る? その場合、僕は中卒で社会に戻らされる事になる。やって行けるんだろうかという不安が、何よりも先に立つ。
「どうにもならないよ。フォビアを失っても、本人が希望すればF機関で働き続ける事はできる。もっとも、ここでは雑用みたいな仕事しか与えられないけどね。それを嫌って他の会社に再就職する者もいる。能力さえあれば、どこでも活躍できるんだ。フォビアを使いこなせる様になっても、それが役に立つとは限らない。フォビアでなくなる事は、決して悪い事ではない」
増伏さんも自分のフォビアには使い道が無いと言っていた。
でも、やっぱり僕はフォビアを失う事が怖い。今の僕はフォビアである事以外に、自分の価値を見出せない。自分でも情けないと思うけど。
上澤さんは僕の心配を余所に話を続ける。
「さて、他に思った事は?」
「若い人っていうか、十代の人がいないんだなって……」
「若者はフォビアの力を暴走させる。心も体も成熟すれば、フォビアも自然に落ち着くんだが、若い内はなかなかね……。逆に若過ぎても力を引き出せない。それは自我が弱いためと言われている。言うなれば、フォビアは思春期の妄執だ。十代前半から二十歳になるまでにフォビアが発現しなければ、もうフォビアは目覚めないと思っていい」
フォビアが暴走するから、若い人は地下に閉じ込められている。大人になって精神が落ち着けば、フォビアも制御できる様になるんだろう。でも、それはフォビアを失うリスクと一体。世の中ままならないんだな。
上澤さんは重ねて僕に尋ねる。
「他に気付いた事は無いかな?」
「……気のせいかも知れませんけど、元気が無いっていうか、そんな感じの人が多くないですか?」
「ああ、根暗な奴が多いって意味かな?」
「そこまでは言ってませんけど……」
大体は合ってるけど、そんな辛辣な言い方をしなくても。
「まあフォビアだからね。君も人の事は言えないだろう?」
「答えになってませんよ」
「いや、ストレートに答えたつもりだが……」
つまり上澤さんは他の人達も僕と同じ様に、心の中に負い目や恐れ、不安を持っていると言いたいんだろうか? だから、フォビアを持っている人は自然にそういう性格になってしまうと。
偏見だと言いたかったけど、僕も明るい性格じゃないから何も言えない。彼が今も生きていれば……いや、やめよう。今の僕は向日衛だ。過去を振り返るのは、後にしておこう。
「しかし、皆が生まれ付いて根暗な性格という訳ではない。フォビアを克服すれば、自信を取り戻して、元の性格に戻るかも知れない」
そんな単純な事ではないと思うんだけど……。
僕が呆れていると、上澤さんは徐に右手の腕時計を見た。金の縁取りに黒いベルトのシンプルなデザインだ。
「もう十一時だな。少し早いが、お昼にしよう」
「はい」
これで解散かなと思っていると、上澤さんがロビーから出かかった所で足を止め、僕を呼ぶ。
「向日くん、何をしている? 一緒に食べよう」
「えっ、はい」
意外なお誘いだったけど、断る理由もないから、僕は流れで上澤さんと一階の食堂に向かう。
エレベーターの中でも、上澤さんは僕に話しかけて来る。
「ここでの生活には慣れたかな?」
「ええ、まあまあ」
「それは良かった。これからも宜しく」
「はい、宜しくお願いします」
改めて言われると、何だか変な気分だ。
はぁ……お昼は一人で食べたかったな。ちょっと緊張している。上澤さんは副所長だから、気を遣わない訳にはいかない。食事の時ぐらいは気を抜きたい。
「しかし、せっかく新人くんと一緒なのに食堂というのも何だな。機会があったら外でご飯を奢ってあげよう」
「いえ、そんな……」
「遠慮するな」
遠慮するなと言われても、上澤さんと一緒だと高級レストランとかに連れて行かれそうだ。ご飯は普通に食べるのが一番だよ。
そんな話をしている内に、エレベーターは一階に着く。
僕が券売機で白いご飯とみそ汁の定食を選ぶと、上澤さんが横から言う。
「君は和食派か?」
「そういう訳じゃないですけど」
別にパンでもラーメンでもうどんでも良いんだけど、おかずを選ぶのが面倒だから定食だ。ちょっと気分を変えようという気にでもならない限り、ずっと定食を選び続けると思う。
窓口では食堂のおばさんが、上澤さんに話しかける。
「副所長! 珍しいツーショットですね」
「偶には新人くんとコミュニケーションを深めるのも悪くないと思ってね」
「……年下がお好み?」
「年に拘りは無いんだけどね。それでも私はしっかりした男の人が良いよ」
食堂のおばさんの勘繰りを、軽く受け流す上澤さん。特殊な趣味は無いみたいだ。上澤さんが何歳なのか知らないけど、少なくとも僕より十歳は上だと思う。それで十五歳に手を出すのは僕もどうかと思うから、普通の人で良かった。
僕は定食の乗ったトレーを持って、空いた席に座る。定食の何が良いって、早く食べられる。麺類は少し待たないといけない。
僕が食べ始めて数分後、上澤さんが僕の対面に座った。
「一緒に食べようと言ったのに、一人で先に食べる奴があるか?」
「す、済みません……」
僕は縮こまる。配慮が足りなかった。いつも一人で勝手に食べているから、待つという発想が無かった。
「やれやれ、若いからしょうがないのかな? 育ち盛りだからね」
しかたなさそうに笑う上澤さんのトレーには、アンチョビのパスタが乗っている。本気で怒っていなくて良かった。
「しかし、君は女の子とのデートでも一人で先に食べちゃうのかい?」
「いや、そんな事は……」
「だよね」
いや、やっぱり怒っているのかも知れない……。
気まずい空気の中で、上澤さんと僕はお昼ご飯を食べる。その途中で急に上澤さんが声を上げた。
「いやいや、そうじゃなくて。もっと楽しく食べないといけない。私は君に新たなトラウマを植え付けるつもりで言ったんじゃないんだよ」
「ああ、そうですか……」
それは分かるけど、何か二人で楽しめる様な話題があるんだろうか? 僕の方は全く無い。世間話ぐらいしかできないんじゃないかな。
上澤さんは少し考えた後、こう尋ねて来る。
「どうも楽しく盛り上がるって空気じゃないね。年上は苦手かい?」
「そうでもないですけど、得意でもないです」
「それとも副所長という肩書きの方か」
「……まあ、緊張はします」
僕が苦笑いすると、上澤さんは眉を顰めた。
「副所長なんて言っても、大して偉くもないんだが……権威は権威だからな。しょうがない。硬過ぎても、気安過ぎてもいけない。難しいな、こういうのは」
「はい」
「ああ、そうだ。午後は自室で待機していてくれ」
「分かりました」
「例の体験談の事だけど、都合の付いた者から向かわせるから」
「僕の部屋に?」
「そうだよ。安心しなさい。遅くとも午後五時には切り上げさせる」
「はい」
午後から僕の部屋に多くの人が訪れる事になるだろう。お昼休みの間に、部屋を掃除しておかないといけないな。
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