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 上澤さんと僕は七階に上がる。

 七階のロビーには、僕も知っているフォビアの人達がいた。耳鳴さん、沙島さん、復元さん。他にも三人いるけど、そっちは知らない人達だ。

 下の階と同じ調子で、上澤さんは最初に僕を紹介して、それから七階の人達を一人一人紹介する。


「まずは沙島さとう甘子かんのこ。二十五歳、甘味嫌悪症」

「改めて、宜しく。篤黒――じゃなくて、向日くん」

「次、耳鳴みみなり覚郎さとろう。三十八歳、音嫌悪症」

「どうも、どうも」

「次、勿忘草わすれなぐさレイナ。二十一歳、記憶障害」

「向日くん、向日くん……はい、憶えました」

「次、諸人もろびと幻覚げんかく。四十六歳、相貌失認」

「宜しく、向日くん」

「次、由上ゆがみある。ニ十歳、醜形恐怖症」

「……宜しく」

「最後、復元ふくもと治己なおき。二十八歳」

「宜しくな」


 半分は知っている人だから、少し安心している自分がいる。

 それにしても四十歳以上の人もいるんだなぁ……。フォビア自体は百年ぐらい前から見付かってるんだっけ?だったら、もっと年上のフォビアの人もいるのかな?

 そんな事を考えている間に、例によって上澤さんは僕のフォビアを明かす。


「知っている者もいると思うが、向日くんのフォビアは超能力の無効化だ」


 今度はリアクションが薄い。そんなに驚かれていないみたいだ。

 上澤さんは淡々と続ける。


「さて、彼のために諸君のフォビアの体験を話してもらいたい」

「……今? ここで?」


 少し間を置いて、復元さんが不満そうな声を上げる。


「後で良いよ。ここで話したいと言うなら、止めはしないけど」

「とんでもない」


 やっぱり上澤さんは一言多い。でも、皆そういう人だと分かっているのか、誰も何も言わない。


「では、解散という事で。今日は顔合わせだけだ。向日くん、次は八階に行くぞ」

「はい。皆さん、失礼しました」


 僕は上澤さんの後を追って、エレベーターに向かう。



 この建物は八階までだけど、地下のフォビアの人達にも会うんだろうか? それとも八階で終わりなんだろうか? 上昇するエレベーターの中で、そんな事を考えていると、上澤さんが僕に問いかける。


「向日くん、ここのフォビアと出会った感想は?」

「感想……ですか?」

「オウム返しは嫌いだよ。分からない事があるなら、疑問点を明確にしてから聞きなさい」


 予想外に厳しいお言葉を頂戴してしまった。僕は少し考える。


「何の感想……じゃなくて、何についての感想を言えば良いんですか?」

「難しい事は考えなくて良い。単純にフォビア達を見た感想だ」


 そう言われても、すぐには答えられない。考えている間に、エレベーターは八階に着いてしまう。

 上澤さんは僕の答えを待たないで、八階のロビーに向かう。


「待たせたかな?」

「いえ」


 そう答えたのは、大人の男性。スーツじゃなくて楽な格好をしている。年齢は二十後半から三十後半ぐらいだろうか? 八階のロビーにいるのは、その人だけだ。

 上澤さんは後から入って来た僕に向き直って言う。


「向日くん、彼は増伏ますぶせかがみ。三十歳、鏡恐怖症だ」

「初めまして」


 丁寧に礼をする増伏さんに、僕は一礼を返した。

 上澤さんは振り返って、今度は増伏さんに僕を紹介する。


「鑑、彼は向日衛。十五歳、フォビアは無効化だ」

「無効化?」

「HelplessnessとかPowerlessnessと呼ばれる精神状態に起因する能力だな」

「……若いのに大変な思いをしたんだな」


 増伏さんは僕に憐れみの目を向ける。

 フォビアの能力は心の病と表裏一体。過去を見透かされた様で、僕はちょっと嫌な気持ちになる。

 上澤さんは皆にフォビアの体験を話させようとしているけど、僕は聞いているだけで良いんだろうか? 僕も自分の体験を話さないと、お互いにフェアじゃないんじゃないだろうか? 自分から進んで話したいという訳じゃないんだけど、そこが少し引っかかる。


「鑑、彼に君のフォビアの体験を話してくれないか?」

「ええ、構いませんよ」


 僕の予想に反して、増伏さんはあっさり頷いた。確かに、ここには僕と上澤さんしかいないけど、そんなに気安く話せるのか?

 驚いている僕に、増伏さんは語る。


「私は子供の頃から鏡に映った世界が怖かった。鏡の中にもう一つの世界があるかの様で、鏡を見る度に不安になった。更に鏡の中からもう一人の自分が現れて、勝手に行動し始める……というテレビドラマを見たのが決定的だった。それ以降、鏡をまともに見ていない」


 予想していたよりしょうもない事だったというのが、正直な感想だった。そんな事でフォビアが発現するのか……。


「しかし、鏡という物はどこにでもある。玄関、トイレ、階段、風呂場、どうして人は鏡を置きたがるのか? 世の中はナルシストだらけか? 私が鏡を見る度に、鏡の中には私を見ている私がいる! 鏡だけじゃないぞ。水面にも窓ガラスにも!」


 あっ、この人は本物だ……。危ない系の人だ。だからフォビアなんだ。

 興奮して早口で捲し立てる増伏さんを見て、僕は納得していた。

 増伏さんは深呼吸をしてから、小さく咳払いをする。


「そうした恐怖心が高じて、私は私の分身の幻覚を見る様になった。私の分身が現れる所には、必ず『鏡』があった。フォビアの条件は、恐怖症が他者に反映される事。私が私の分身の幻覚を見る時、私の友人達も私の幻覚を見ていた」


 ああ、それがフォビアの条件……。他人を巻き込むとフォビアだと見なされてしまうんだな。成程、自分一人で苦しんでいる分には、他人の迷惑にはならない。そうじゃないから、する必要がある訳で。


「ここにも鏡があるな」


 増伏さんはロビーの隅の洗面台にある鏡に、ちらりと目を向けた。

 次の瞬間、増伏さんが二人になる。いつの間に現れたのか、二人の増伏さんは全く同じ容姿で見分けが付かない。そして鏡合わせの動作をする。

 余りにも突然の事だったから、僕は驚きを通り越して恐怖を感じていた。


「ははは、驚かせて済まない。でも、君にもちゃんと見えている様だね」


 二人の増伏さんは声をダブらせて笑う。


「私はクラスCだから、こういう事もできる」


 更に二人の増伏さんは、僕の左右にそれぞれ視線をやった。そこに何があるんだろうと僕が横を向くと、僕と全く同じ姿をした人物と目が合う。


「う、うわあぁっ!?」


 僕が驚くと、もう一人の僕も驚く。鏡合わせなんだと理解するのに、ちょっと時間がかかった。これは怖い。


「二人だけじゃないぞ」


 増伏さんに目を戻すと、また増伏さんが増えている。三人だ。

 僕は右側にも気配を感じる。ああ、やっぱりそっちにも僕がいる!


「まあ何か使い道があるかって言うと、人を驚かすぐらいしかできないんだけどな。鏡の分身は実体を持たないから、何かをさせる事も難しい。所詮は幻覚だ」


 増伏さんが指を鳴らすと、パッと分身が消える。


「副所長、こんな感じで良いですか?」

「ありがとう。もう良いよ」


 上澤さんと軽く言葉を交わして、増伏さんはロビーを出た。

 でも、こんな事を僕に聞かせて、何の意味があるんだろう? 僕には分からない。

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