個別面談

1

 僕は売店で掃除道具を買ってから、自分の部屋に帰った。

 そしてすぐに掃除を始めて、いつ来客があっても良い様に部屋を片付ける。元から大した物は置いてないし、ここに来てから日も浅くて、そんなに散らかしたり汚したりもしていないから、掃除も片付けも早く終わった。


 午後一時、そろそろ誰か来るだろうかと、僕はそわそわして待つ。誰も来なくて、午後五時まで気もそぞろに過ごす事だけは勘弁してもらいたい。


 午後一時半、ようやくインターフォンのチャイムが鳴る。ドアの前のモニターを確認すると、復元さんが立っていた。


「篤黒くん……じゃなかった、向日くんだったね。例の話をしに来たんだけど、大丈夫かな?」

「はい、大丈夫です」


 僕はドアを開けて、復元さんを迎え入れる。


「失礼するよ。取り敢えず……リビングで話そうか?」

「はい」


 僕と復元さんはリビングルームに移動した。ここにはテレビと机がある以外は何も無い。あ、お客さんだからお茶とか出さないといけないのかな? 掃除と片付けの事ばっかり考えてて、そこまで気が回らなかった。

 僕は恐る恐る復元さんに尋ねる。


「あの、お茶飲みますか?」

「ああ、頼む。長話で喉が渇くだろうからね」


 いらないという返事を期待していた僕は、当てが外れて焦る。だけど、復元さんの後にも人が来るだろうし、今の内に買っておいた方が良い。


「ちょっと買って来ます!」

「いや、そこまでしなくても……」

「良いですから、待っててください」


 僕は財布を持って、駆け足で売店に向かった。

 緑茶、急須、給湯器、それに湯呑とコースターに……布巾もいるか?

 エレベーターで一階に降りた僕は、再び売店に駆け込んで、暇そうにしている店員の吉谷さんに尋ねる。


「吉谷さん、お客さんにお茶を出したいんですけど!」

「買い忘れ?」

「まあ、そうです」

「食器類は左側の日用雑貨の棚だよ。茶葉は真ん中の手前端、インスタントコーヒーの横」

「ありがとうございます!」


 目当ての物はすぐに見付かったけど、どれを買おうか迷ってしまい、結局三十分くらいかかってしまった。

 急いで部屋に戻った僕を、復元さんが迎える。


「遅かったね」

「済みません、すぐに用意するんで」

「手伝うよ」

「いえ、そんな……」

「気を遣わせちゃったし、俺も早く話を始めたいから」


 復元さんに手伝ってもらって、やっとお茶を用意できて、話を始められる。ドタバタしてしまったので、まず一口お茶を飲んで、お互いに息を吐く。


「じゃあ、本題に入ろう」

「お願いします」


 復元さんは咳払いをして語り出す。


「俺は子供の頃から丈夫でね。怪我も病気もしなかった。でも、友達が風邪とかで学校を休むと、ちょっと羨ましかった。言い方は悪いけど、堂々とサボれるからね」


 あー、クッションも買っとくべきだったな。お客さんをカーペットに直に座らせるのは良くない。それにお茶請けも無いぞ。

 あれもこれも足りないと僕が心の中で悩んでいると、復元さんが語りを中断する。


「篤……じゃなかった、向日くん、どうした?」

「いえ、お茶請けを忘れたなと思って……。ついでに小皿とお饅頭でも買っておけば良かったなと」

「気にするなよ」

「クッションも……」

「もう良いから。まずは話を聞いてくれ」

「済みません、本当に」


 呆れ気味の復元さんに、僕は申し訳なくなる。復元さんはお茶を一口飲んでから、語りを再開した。


「俺は本当は怠け者なんだ。ただサボる事ができないだけで、本音ではなるべく働きたくない」


 とてもそんな風には見えないけど……本人が言うんだから、そうなんだろう。


「小学校の……いつだったかな、五年か六年の時、俺は帰宅途中でスクーターとぶつかった。出会い頭の事故だったけど、まあ半分ぐらいは俺の不注意が原因だ。相手は減速していたとは言え、数mは吹っ飛ばされた。それでも掠り傷一つ、痣一つ負わなかった。俺はとにかく頑丈だった。普通の人なら大怪我する様な事でも、『痛い』だけで済んでいた」


 これが恐怖症とどう関係するんだろうかと、僕は疑問に思いながら聞いていた。


「中学に入って、俺は野球部に入った。友達に誘われただけで、全然乗り気じゃなかったんだがな。しかも弱小野球部で、部員はギリギリ九人だったから休めなかった。上級生も威張っていて怖かった」


 上級生が怖かったんだ。意外だなぁ。どんな大人の人でも昔は子供だったって事なのかな?


「野球は怪我の多いスポーツだ。軟式でもボールが当たれば痛い。それに敵味方どっちとも衝突する危険がある。俺は昔から不器用で、事故が絶えなかった。でも、怪我だけはしなかった。それが嫌で嫌で堪らなかった」

「怪我をしないのが、フォビア?」


 僕が尋ねると、復元さんは小さく頷く。


「その通りだ。ある日、俺は部活を休むために、自動車の前に飛び出した。そして見事に撥ねられたが、何故か怪我はしなかった。俺は自分の頑健さを呪った。明らかに異常だった。それから自分の能力を自覚した」


 そんなフォビアがあるのか? 恐怖症とは違う気がする。強いストレスが超能力を目覚めさせるのか?


「俺のフォビアは自分以外にも作用した。俺を含めた野球部の九人は一年間、誰一人怪我をしなかった。そのせいで俺は一度も部活を休めなかった。……我ながら何とも情けない話だな」


 復元さんは自嘲する。

 気持ちは分かる。怠け者が怠けられなかったという話だから、胸を張って言える事じゃない。それでも悪い能力じゃないと思う。少なくとも、何の役に立つか分からない能力じゃない。


「でも、良い能力じゃないですか? 自分も含めて誰も怪我しないなら、役に立つと言うか、便利と言うか……」

「そうだな。だけど、俺は怠け者なんだ。役に立たない能力の方が休めるんだよな」


 深い溜息を吐く復元さん。

 ああ、そうだった。望まないからフォビアなんだったな……。なかなか世の中ままならない。


 復元さんは最後にお茶を飲み干して立ち上がった。


「これで俺の話は終わりだ。お茶、ご馳走さん。おいしかったよ」

「ああ、いえ。ありがとうございました」


 僕は深く礼をして、復元さんを見送る。

 フォビアは必ずしも恐怖症から発現するとは限らない。強いストレスや思い込みから生まれる事もある。フォビアは思春期の妄執……上澤さんの言う通りなのかも知れない。

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