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時刻は午後二時を回っている。復元さんが帰った後、僕は売店にクッションとお茶菓子を買いに走った。次の人が来る前に急がないと。本日三度目の来店に、吉谷さんは呆れている。自分でも要領が悪いとは思うけど、もう過ぎた事はしょうがない。
必要な物を買い終えて、小走りで部屋に戻る。幸い、まだ次の人は来ていないみたいだ。洗面台で湯呑を洗って、次の来客に備えていると、またインターフォンのチャイムが鳴った。
誰かと思って出迎えてみると、若い男の人…………あー、えーと……この人は雨田さんだ。雨田電導。二十歳で、寮にいるフォビアの中では由上さんと同い年の最年少だったはず。寮の中では僕と一番年齢が近い――けれども、特に親しみは感じない。五つも離れていれば、年が近いって感じはしないんだよなぁ……。
それはともかく、今度こそ手抜かりは無いぞと自信を持って、僕はお客さんをリビングルームに通す。
「ちょっと待っててください。お茶を用意するんで」
雨田さんはクッションに座って、大人しく待っていた。愛想の悪そうな、もっと言うなら、柄の悪そうな人だったけど、無口なだけなのかな?
僕がお茶と茶菓子を持って来ると、雨田さんは眉を顰めて言う。
「……まさか、もてなされるとは思わなかった。育ちが良いんだな」
「いや、そんな事は……無いですよ。普通です」
雨田さんは不機嫌そうな顔をしている。何か気に入らない事があったんだろうか?
僕はおずおずとテーブルを挟んで雨田さんの対面に座る。
「お前、C機関に誘われたんだってな」
「えっ、は、はい」
「どうしてC機関に入らなかった?」
「えぇ……どうしてって言われましても……。F機関が先だったので……」
雨田さんはつまらなそうに横を向くと、一口お茶を飲んで、改めて切り出す。
「フォビアの話をするんだったな」
「お願いします」
「……俺は生まれ付き雷が嫌いだった。でも、恐怖症っていう程じゃなかったんだ。実際、怖くはなかったよ。雷が怖くなったのは、落雷を経験してからだ。あれは俺が小五の時……当時、俺はサッカー部に入っていた。ある夏の夕方、サッカーの練習をしていると夕立の気配がした。急に空が曇って、冷たい風が吹いて、遠くでゴロゴロと雷が鳴って。ぽつりぽつりと雨が降って来て、そろそろ練習を切り上げようとしていたら、すぐドシャ降りになった。そしたら空が光って……」
そこで雨田さんは語りを止めた。そして三回、大きな深呼吸をする。気持ちの昂りを鎮めようとしているんだろう。
「俺と友人に雷が落ちた。俺は一瞬の内に体中を針で刺された様な激痛を感じて気絶しただけで済んだけど、友人は死んでしまった。それから俺は雷が鳴る度に、雷が落ちるんじゃないかと恐れる様になった。実際に何度も雷が近くに落ちた」
「それがフォビア?」
「そうだ。俺のフォビアは落雷だ。雷が近くに落ちる。ただ……完璧な制御には至っていない」
それはヤバいんじゃないか? 晴れていても雷は落ちるって言うし。
僕の不安が顔に表れていたのか、雨田さんは苦笑いした。
「雷雲さえ無ければ大丈夫だ。俺のフォビアは自ら電気を生み出せる様な、便利な能力じゃない。今のところは」
「今のところ?」
将来は便利な能力に発展する可能性があるって事だろうか? 増伏さんみたいに、ある程度能力の制御が可能になったら、発電能力も持てる様になる?
「俺はC機関にいたんだ。雷のフォビアは大いなる可能性を秘めている。その能力を十分に開花させれば……」
「何でF機関に?」
僕が率直な疑問を口にすると、雨田さんは嫌な顔をした。C機関とF機関では何が違うんだろう?
「C機関は有用なフォビアを集めている。俺は……残念ながら『使えない』って判断されたのさ」
「有用?」
復元さんも有用なフォビアだと思うんだけど、だからって全員がC機関に行く訳じゃないのかな? 進学校と同じで優秀な人じゃないと入れないけど、全員が行くとは限らないって事だろうか?
「俺は必ず自分のフォビアを使いこなしてみせる。そしてC機関に俺を捨てた事を後悔させてやる。お前もC機関に誘われたって事は、利用価値のある能力だと見込まれたって事だ。その気があるんなら、能力を使いこなしてみせろ」
僕は何も答えられなかった。能力を使いこなして、その先に何があるのか、僕には想像も付かない。ただ僕はフォビアに苦しむ人の助けになれたら良いと思っている。無効化の能力には、そういう使い道もあるはずだ。それ以上に何ができるかは分からないし、知りたいとも思わない。
だけど、雨田さんの功名心は、どこから来ているんだろう? 僕には雨田さんみたいな野心は無い。もし、もしも……雨田さんの野心が、友人の死から来ているのだとしたら……。友人の死を無意味にしないために、自分のフォビアを活かそうとしているんだとしたら……。僕も雨田さんみたいに、友人の死によって得たフォビアをより多くの人の役に立てるべきなのか? 僕の考え過ぎかも知れないけど、本人に確認するのは憚られる。
「……俺の話はこれで終わりだ。邪魔したな」
雨田さんは立ち上がって、僕の部屋から出て行った。湯呑にはお茶が半分以上残っていて、お茶菓子も手を付けられていない。
ちょっと寂しい気持ちになりながら、僕はテーブルの上を片付けた。
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