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 次に来たのは、芽出さんだった。僕がお茶を用意すると、芽出さんは嬉しそうに褒めてくれる。


「おっ、偉いじゃーん」

「いや、そんな……」

「そんな事あるある。私が君ぐらいの頃は、基本親に甘えてたからね。しっかり者の男の子って良いなぁ」


 人に褒められるのは久し振りな気がする。僕は照れ臭くなって、顔が熱くなった。きっと真っ赤に赤面しているだろう。でも、褒められ過ぎだ。過剰なお褒めの言葉を頂いてしまうと、褒め殺されてしまう。


「それじゃ、早速フォビアの話を始めようかな」


 芽出さんは軽く咳払いをして、姿勢を正した。僕も緩んだ顔を引き締めて、まじめに聞く。


「最初に上澤さんに紹介された通り、私のフォビアは方向音痴が原因なんだけど……未知の場所が怖いって言うか、慣れない場所が怖いって言うか、そんな感じなのね。こういう恐怖症って絶対あると思うんだけど、医学的にちゃんとした名前って付いてるのかな? 迷子恐怖症とか、知らない場所恐怖症とか?」

「……どうなんでしょう? あるかも知れません」


 知らないけど。そんな事を聞かれても困るよ。僕は専門家じゃないんだから。


「昔から知らない場所は苦手だったんだよね。それが決定的になったのが、小学校六年生の修学旅行の時。ばっちり迷ったね。いつの間にか友達と逸れちゃってさ。集合時間にも遅れて、もう散々だったよ」


 知らない場所で一人だけ迷子は怖いだろうな。知ってる人もいないし。修学旅行だったら、待ってくれてる皆にも迷惑をかけてしまう。


「それからおかしくなったのね。私と一緒にいると、他の人まで迷子になる様になっちゃった。例えば、ウチの車で家族旅行するじゃん? そうすると……迷っちゃうんだよね。ナビもおかしくなっちゃうし……。その時に運転してたのはお父さんだったんだけど、自信喪失して車で遠出しなくなっちゃった。あれは本当に悪い事をしたなって、今でも思うよ」


 家族を巻き込むのは辛い。引きこもっていた僕が言うのも何だけど。フォビアなんて無い方が良いのかも知れない。少なくとも当人にとっては。

 それから数秒の沈黙を挟んで、芽出さんは言う。


「フォビアになりたくてなる人はいないよ。私もこんな能力ならいらなかったかなぁって。私だけじゃなくて、他にもそう思ってる人はいるよ。フォビアじゃなくて普通の超能力だったら、どんなに良かったか……。でも、一度発現してしまった以上は、付き合って生きるしかないのね。いつかフォビアが失われる時まで」


 芽出さんにとって、フォビアは不要な物みたいだ。フォビアを使いこなしたい雨田さんとは違う。……じゃあ、僕にとってフォビアとは?


「フォビアが無くなったら、どうしますか?」

「んー、F機関に再就職先を探してもらおうかなって。どこでも良いんだけど、ここ以外ね。それでバイクの免許を取って、一人旅とかしてみたい」


 上澤さんの話では、多くのフォビアは遅くても四十前には失われる。その後の事を考えるなら、フォビアを失うのは早い方が良いのかも知れない。

 僕もそこまで考えないといけないんだろうか? 雨田さんも?

 僕が難しい顔で考え込んでいると、芽出さんがお茶菓子を片手に話しかけて来る。


「お饅頭、おいしいね。どこの?」

「売店にあった奴です」

「ああ、そうなんだ。……ご馳走様でした」


 最後にお茶を飲んで、芽出さんは立ち上がる。


「もう聞きたい事は……無いよね?」

「はい。ありがとうございました」

「どういたしまして」


 芽出さんが帰った後、僕は自分の将来について考えた。僕はフォビアを扱える様になりたい。でも、その先は……?

 不安が僕を襲う。僕はどうすれば良いんだろう?



 本日四人目の来客は、諸人さんだった。例によってリビングルームに通してお茶を用意すると、諸人さんは小さく頭を下げる。


「おお、済まんね」


 それから諸人さんはお茶で口を湿らせて、ぽつりぽつりと語り始めた。


「本当はね、最年長の私が一番最初に行きたかったんだけどね……。皆、人に自分の経験を話すのは嫌だろうから、私が鏑矢になろうと思ってね。でも……意外とそうじゃなかったみたいだね」


 年長者には年長者の苦労があるんだろうなと思いながら、僕は黙って聞いていた。


「まあそれは横に置いといて、フォビアの話を始めようか」

「お願いします」

「まず、相貌失認って分かるかな?」

「いいえ、分かりません……」


 恐怖症や嫌悪症じゃない事は分かるけど、何の病気だろう?


「認知機能障害の一種で、人の顔が分からなくなる。目や鼻や口といった個々のパーツは認識できても、全貌が把握できない。誰がどんな顔をしているのか、記憶できないんだ。君の顔も実は憶えていない」

「えっ? だったら、どうやって人を見分けてるんですか?」

「声や体形、服装、全体の雰囲気とかで何となく分かる。私の相貌失認は生まれ付きだから、慣れているのもあるけどね。分からないなら分からないなりに、適応するって事だね」


 諸人さんはお茶を飲んで続ける。


「中学までは障害を隠して、騙し騙しやっていけてたんだけどね……。高校に入るぐらいになると、知らない人が増えるだろう? 声や癖でも見分けられないから、大変でね。それに全員制服だからね。同じ服装の人だらけで余計にね」


 諸人さんの湯呑が空になったのを見て、僕は急須を持って注ぎ足した。


「ありがとう。どこまで話したかな……? そうそう、高校でフォビアが目覚めた話だったね。こんな言い方は不謹慎だけど、なかなか愉快な事になったよ。クラス全員を巻き込んで相貌失認だ。教師も含めてね。まあそんなこんなでF機関に入って……恥ずかしながら、この年までフォビアを失わずにいる」

「恥ずかしい事なんですか?」

「まあね。私はクラスBだからね。あ、クラスの話は分かるかな?」

「はい」


 フォビアのクラスについては、初日にC機関の兎狩に教えられた。Aが制御できない人で、Bが一定の制御ができる人、そしてCが完璧に制御できる人だ。ありがたくない形での教授だったけど。


「Bって事は、ある程度は制御できているんですよね」

「そうだね。でも、フォビアを失わないという事は、まだ心の中に恐れを持っているという事だ。相貌失認が改善しない以上、しょうがない部分もあるんだけどね……」


 でも、それだけじゃないと思う。多分だけど、諸人さんは超能力者としても強い力を持っているんだ。だから、まだフォビアを失っていない。

 諸人さんはお茶を飲んで、一息吐いた。


「さてと……何か聞きたい事はあるかな? 年を食ってる分は、助言できる事は多いと思うよ」


 一つだけ聞きたい事がある。僕は聞いて良いか迷ったけど、お言葉に甘えて聞いてみる事にした。


「……諸人さんはフォビアを失ったら、どうしますか?」

「失ったら? そうだね……この年で再就職も厳しいから、定年までここで働かせてもらおうと思っているよ」


 現実的だ……。それもありなのかな。

 諸人さんは少し間を置いてから、真剣に僕に問う。


「向日くんは、どうしたい? フォビアを使いこなすのか、それともフォビアを治すのかな?」

「僕は……使いこなしてみたいです」

「険しい道になるだろうけど、頑張るんだよ」


 ……あっ、具体的なアドバイスとかは無いんだ。


「それじゃ、この辺で終わりにしようかな。長居をされても困るだろうからね」


 諸人さんが帰って、僕は小さく息を吐いた。この調子で全員が来るんだろうか?

 上澤さんはフォビアの人達の話を僕に聞かせて、僕が進むべき道を僕自身に決めさせようとしているんだろう。

 望まれない力、フォビア。それでも僕は使いこなしたい。

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