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 僕達三人は立入禁止のトラロープを跨いで、開けっ放しの正面玄関から不気味な廃ビルに入る。埃臭くて、しんと静まり返ったビルの中では、足音がよく響く。

 先頭は復元さん、その後に浅戸さん、最後尾は僕と一列になって、コの字型の階段を上り、上の階へと進む。電気なんか止まってるだろうし、エレベーターが使えないんだからしょうがないけど、ちょっと疲れる。

 ビルの中はがらんとしていて殺風景だ。壁も床も天井も、老朽化してあちこちヒビが入っている。本格的に崩れ落ちそうな感じはしないから、まだ良いけど……。


 階段を上る僕達の足音だけが不気味に響く。二階から三階、四階、五階……そして六階へ。そこで僕達はC機関の兎狩と対面する。

 兎狩りは僕を見ると、面倒臭そうに溜息を吐いて、浅戸さんと復元さんに言った。


「どういうつもりだ? 大人の話し合いにガキを巻き込む気か?」


 浅戸さんは一歩前に出て、兎狩に言い返す。


「何か不都合でも? そんな事より幾草くんを返してくれ。彼に手を出すのは、同盟の盟約に反する行為だぞ」

「簡単に攫われるような警備体制が悪い。彼をそちらに預ける条件は、彼の身を守れる事が第一だったはずだ。そもそもウチのボスも同盟の一員だ。彼の扱いに関しては心得ている。どうしても返して欲しければ、篤黒勇悟と交換だ」


 二人の会話を僕は突っ立って聞いているだけだった。

 上澤さんも言ってたけど、『同盟』って何だろう? C機関やF機関の他にも組織があるのかな? いや、それより幾草の姿が見当たらない。どこにいるんだろう?

 僕が六階のフロアを見回していると、急に兎狩がこっちに声をかける。


「篤黒勇悟、C機関に来い! お前がC機関に入れば、それで終わる話なんだ。これ以上、他の者に迷惑をかけたくはないだろう」

「子供を脅すのか、兎狩! 恥を知れ!」

「何とでも言うが良い。彼は必要な人間だ。こちらに引き入れるためなら、手段は選ばない」


 浅戸さんは僕を庇ってくれたけど、兎狩の一言はかなり効いた。確かに、C機関の狙いが僕だけなら、僕がC機関に入れば片付く事だ。僕と交換で、幾草は解放されるだろう。それに僕がF機関に残れば、今後も同じ様な事が起こりかねない。

 心が揺れ動く僕に、復元さんが言う。


「篤黒くん、君を必要としているのは、俺達も同じだ。他人の事は考えなくて良い。自分の事を考えてくれ」


 そう言ってもらえるのはありがたいんだけど、僕の考えなんて無いに等しい。復元さんには悪いけど、僕はただ誘われるままにF機関に入っただけなんだ。もしC機関に先に勧誘されていたら、そのままC機関に入っていたかも知れない。

 ……僕が答えられないでいると、誰かが階段を上って来る音がする。全員の表情が強張る。兎狩も浅戸さんも復元さんも、この場に僕達以外の誰かが現れるのは想定外みたいだ。僕も含めて、全員の視線が階段に集中する。

 現れたのは……スーツ姿の大人の男性が二人。だけど一人はノーネクタイでちょっと遊んでいそうな雰囲気の人だ。もう一人はサングラスをかけていて、ノーネクタイの人のSPかガードマンっぽい。そう見えるだけで、実際は違うかも知れないけど。

 兎狩の顔と声が険しくなる。


!」

「そうじゃないだろ? 弦木つるぎ剣示けんじだ。久し振りだな、


 兎狩とガードマンっぽい人――弦木さんは知り合いみたいだ。でも、仲は良くなさそう。後から現れた二人は敵なのか、味方なのか? 浅戸さんと復元さんは警戒を緩めていない。

 ノーネクタイの人が全員を見回して口を開く。


「どうも。自己紹介が必要かな? 久遠くをん経時たつときです」


 久遠って久遠グループと関係あるんだろうか? 社長や会長にしてはかなり若く見えるから、御曹司とかそういう感じなのかな? その久遠グループと関係がある人だとして、どうしてこんな所に?

 僕には何も分からない。


 兎狩は弦木さんから久遠さんに視線を移す。


「これはC機関とF機関の話し合いだ。同盟の人間が出張る問題じゃない」

「そうはいかない。幾草千十兩を巻き込んだ時点で、それは通用しないぞ」

「彼には危害を加えていない」

超命寺ちょうめいじはそれで十分だと判断したんだろうが、私達はそうじゃなかった。分かるな?」

「……ボスが根回しを怠ったと?」

「いや、事情が変わったんだ。篤黒勇悟の情報を伏せるべきじゃなかったな。どんな話し合いも誠意を欠けば、騙し討ちと同じだ。一気に信用を失う」


 久遠さんの言葉に、兎狩は反論しなかった。

 情報が多くて困る。久遠さんは同盟の人で、同盟は幾草を重視している。つまりは幾草も同盟と関係があるって事なんだろう。そしてC機関のボス――超命寺って人も同盟の一員。そこで話は通していたと思っていたら、僕の存在が誤算だった? 僕はそんなに影響力があるんだろうか?


 久遠さんは兎狩に告げる。


「同盟は一連のC機関の行動を歓迎しない。直ちに幾草千十兩を解放してF機関に返還せよ。そして、篤黒勇悟への積極的な勧誘も諦めてもらう。彼の所属はF機関だ。以降この問題は解決済みとして、再理を禁じる。以上の提言に従えない場合、同盟はあらゆる手段でC機関に圧力をかける。これは既にC機関にも通告済みだ」


 同盟はどこまでの権力を持っているんだろう?

 僕は久遠さんの強い警告に驚いた。明らかにC機関やF機関より上位の組織だと匂わせる言い方だ。

 兎狩は深い溜息を吐いて、両肩を竦める。


「分かった」


 それだけ言うと、彼は無言で僕達と擦れ違って、ビルの階段を下りた。何だかんだとごねて、まだ一悶着あると思っていたけれど、拍子抜けだ。意外と物分かりの良い性格だった。まあ争いが起こらないに越した事はない。

 浅戸さんが久遠さんにお礼を言う。


「助かりました、久遠さん」

「二つの組織が対立するのは、私達にとっても好ましい事じゃないからね。ライバル関係は健全であるべきだ。じゃ、私はこれで失礼するよ」


 浅戸さんと復元さんは、久遠さんに対して深々と頭を下げる。それだけ偉い人なんだろうか? 僕も倣って形だけ頭を下げる。

 久遠さんは振り向きもせずに、弦木さんを連れて、階段を下りて行く。僕はただ突っ立って、二人を見送るだけだった。

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