3

 六階のフロアには僕達三人だけになる。僕は浅戸さんと復元さんに尋ねた。


「幾草はどこなんでしょうか?」


 ここまで幾草の姿は見ていない。このビルの中にいるのか、それとも別の場所にいるのか、兎狩は何も言わずに帰ってしまったから、分からず終いだ。

 浅戸さんが辺りを見回しながら答える。


「ああ……一応ビルの中を一通り見て回らないといけないな。私は屋上から四階までを探してみる。篤黒くんと復元は三階から下を順に探してみてくれ。多分いないとは思うが……」


 そう言って浅戸さんは屋上へ。僕と復元さんは三階に向かった。

 移動中、僕は疑問に思った事を復元さんに尋ねる。


「どうして浅戸さんは、幾草がここにいないって思ったんでしょうか?」

「兎狩が六階で待っていたからじゃないかと。普通、人質は自分の手元に置いておくだろう。だけど、兎狩の側に幾草くんはいなかった……という事は、どこか他の場所に閉じ込めている可能性が高い。仲間と連絡を取った様子も無かったしな。まあ俺達が交渉に応じず、実力行使に出るケースも考えれば、そのくらいの事はするだろう」


 確かに、六階で待つなら、それより下の階に人質は置かないだろう。仲間もいないんだから、先に人質を見付けられたら、間抜けな事になってしまう。大人の人って、そういう事を常に計算しているんだろうか? 僕もうかうかしてないで、そのくらいは分かるようにならないと。僕だってF機関の一員なんだ。


 それから僕と復元さんは三階より下のフロアを見て回ったけど、幾草は見付からなかった。砂と埃の積もった床の上には複数の靴跡が残っていたけれど、どれも最近の物じゃなかった。誰かが肝試しにでも入った時の物だろう。

 僕達は一階の階段前で、浅戸さんが降りて来るのを待つ。約十分後に無事浅戸さんと合流できたけど、やっぱり浅戸さんの方も幾草は見付けられなかった。最初から、ここにはいなかったんだろう。

 幾草が今どうしているか心配だけど、いない以上はどうしようもない。C機関が彼を解放してくれると信じるしかない。

 僕達はバンに乗って、ウエフジ研究所に戻る。


 バンの中で復元さんが携帯電話をかける。相手は副所長の上澤さんだ。


「副所長、終わりました。C機関は篤黒くんを諦めました。じきに幾草千十兩も開放するでしょう」

「『でしょう』とは何だ? そっちに幾草はいなかったのか?」


 復元さんは僕のすぐ隣に座っているから、通話が漏れて聞こえる。


「はい。しかし、同盟の件がありますから、無事に帰すでしょう。もし何かあれば、あちらの責任になりますから」

「分かった。取り敢えずは、上手く行った様で何よりだ」

「はい、副所長のお蔭です。同盟の仲介が無ければ、面倒な事になっていました」

「うむ。寄り道せずに帰るんだぞ」

「はい。それでは失礼します」


 上澤さんとの話を終えた復元さんは苦笑い。


「子供じゃないんだから……。寄り道って」


 そういえば僕達が出かける前に、上澤さんが同盟がどうのこうのと言っていたな。だから、同盟の人が来たのか……。若くても副所長、先を見る力がある。いや、きっと逆なんだろう。先を見る力があるから、若くして副所長になった。



 ウエフジ研究所に着いた後、僕は一人で一足先に自分の部屋に帰った。浅戸さんと復元さんはエレベーターに乗るまで一緒だったけど、用事があると言って三階で先に降りた。

 とにかく幾草が無事に帰ってくれるのを願うだけだ。時刻は午後六時前。窓に目を向けると、もう外は暗くなり始めている。僕は夜の闇に沈む街を見詰めながら、一人で考える。

 幾草の帰りは夜になるんだろうか? それとも明日の朝か、夕方か? ああ、僕は彼に謝らないといけない。僕のせいで彼に大きな迷惑をかけてしまった。

 その内に僕は堪らなくなって部屋を出て、エレベーターで一階に移動した。今回の事は僕の責任だから、僕が一番最初に彼に会って謝らないと。だけど、もし今日帰って来なかったら? ……その時はその時だ。


 僕は一階のロビーにある長椅子に座って、幾草の帰りを待つ。ぽつりぽつり食堂に向かう人達が、僕の視界の端に映る。

 幾草、頼むから無事に帰って来てくれ。祈る様な気持ちで、僕はジッと玄関の外を見詰めた。



 午後七時。ビルの入口の自動ドアの向こうに、幾草の姿が見える。付き添いとかはなくて、彼一人だけの様だ。


「幾草!」


 僕はすぐに立ち上がって駆け寄った。安堵の気持ちが心を満たす。ああ、本当に良かった。本当に。

 幾草は苦笑いしながら、決まり悪そうに応える。


「ああ、勇悟。心配かけたか?」

「良かった……良かった」


 僕は感極まって泣いた。涙を堪え切れない。

 幾草はそんな僕の姿を見て、申し訳なさそうな顔をする。


「俺は大丈夫だから。心配かけて、悪かった。ごめん。ありがとう」

「そうじゃない……これは僕のせいだから。僕が謝る……ごめんよ、本当にごめん、僕のせいで」


 彼に何かあったら、僕はきっと生きていられなかった。また僕のせいで人が死ぬなんて、絶対にあっちゃいけない。


「大げさだって。気にするなよ。俺は何とも無かったからさ」


 幾草は呆れた風に言う。どうして僕が泣いているのか、幾草には本当の事は分からないだろう。

 幾草の言葉に、僕は黙って頷くだけだった。

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