嵐の合間に

1

 アメリカから日本に戻った僕は、しばらくの間、平和な日々を過ごしていた。

 まだ黙示録の使徒の事は解決した訳じゃないけれど、次に事を起こすのは復活祭の日だろうという事で、二週間ぐらいは休んでいいと言われたんだ。

 僕がウエフジ研究所に戻ってから、最初の仕事は石建さんとの外出だった。

 石建さんの外出は年に五回、約70日間隔で一週間だけ目覚める。今回は第四研究班の人達と、更に地下の子供達と、加えて房来さんと勿忘草さんと開道くんとも一緒に外出した。


「まだ桜の季節には、ちと早いのう……。最後に花見をしたのは、いつだったか」


 裸の桜並木の下を歩いていると、石建さんがぼやいた。

 いくら温暖化と言っても、三月の中旬に桜が満開にはなる事は滅多にない。今年も一応は咲いてはいるけれど、まだ咲き始めたばかりだ。

 第四研究班の大路橋おおじばしさんが、石建さんに慰めの言葉をかける。


「もう何十年かすれば、四月に目覚めの周期が回って来ますよ」

「……気が遠くなるのぅ」

「それか冬眠をやめるか」

「そうだのぅ……」


 石建さんは冬眠をやめると聞いても、即座に否定はしなかった。


「正直、迷うておる。今までは地下に何十年も閉じ込められるよりは、眠っておった方が良いと思うておったが、こうして普通に外に出られるなら……眠り続ける必要はないのではないかと」


 それを聞いて、僕は一言断っておかなければいけないと感じて言った。


「あの……僕はまだ大きな仕事が残っているので、それが終わってからなら……」

「はぁ、今年の花見は諦めるしか無さそうだの」


 石建さんは小さく息を吐いたけど、然程がっかりしている様には見えない。石建さんの中には変わるのが怖いという思いもあるんだろう。フォビアがフォビアだけに、不安を拭い切れないんだ。

 僕が力にならないと。そういう思いがして来る。


 外出のついでに、僕達は徒歩で市内のH駅前に移動した。社会勉強の一環……って感じだろうか? H駅周辺は商業・娯楽施設から医療施設まで、多くの施設が集積する一大拠点となっている。ここに行けば何でも揃うぐらいの勢いだ。

 今日は石建さんに、現代社会を知ってもらうのが目的の一つ。百貨店や映画館は石建さんが生まれた時代には既にあっただろうけれど、今と昔の違いを比較するのも、立派な社会勉強だろう。

 石建さんは初めて目にする物に、子供達と同じ様なリアクションをしていた。

 微笑ましいんだれけど、笑ってしまうと石建さんは子供扱いされたと機嫌を損ねるだろうから、心の中で思うだけに止める。


 見学の最後に立ち寄ったデパートの一角で、僕はホワイトデーの特設コーナーを目にする。

 ああ、そう言えばホワイトデーが近いな。好い機会だから、ご希望のお返しでも聞いておこう。そう思って、僕はまず子供達に聞いてみた。


「ところで、今年のホワイトデーの事なんだけど、何かリクエストある?」


 最初に反応したのは荒風さん。


「あの、向日さん、今年はもうロシアのおみやげに、アメリカのおみやげまでもらっちゃってますけど……」

「気にしないでよ。あれは飽くまでお土産だから」


 それに続いて柊くんが僕に言った。


「オレもリクエストしていいんですか?」

「ああ。バレンタインデーとか関係無しに、日頃のお付き合いとか、感謝の気持ちを込めてとか、そういう感じのだから。もらって嬉しい方が、あげる方も嬉しい」


 更に続けて小暮ちゃんが言う。


「私たち、お返しとかできないですけど……」

「そんなのいいって、いいって。だから、お返しとかそういうんじゃないから」


 僕が子供達と話していると、横から勿忘草さんが話しかけて来た。


「私のリクエストも受け付けてくれますか?」

「ああ、はい。どうぞどうぞ」


 そして房来さんも。


「私も良いかな?」

「ええ、どうぞ」


 房来さんは大人の男の人だけど、断る理由は特にない。正直なところ、ちょっと驚いたけれど、顔には出さずに快諾する。

 堂々と答えた僕を見て、房来さんは苦笑いした。


「いやいや、冗談だよ、冗談。しかし……君も成長したな。最初に会った時とは別人みたいだ。逞しくなった」

「そうですか? まあ、二年も経ってますし」


 僕は照れながら答える。

 フォビアの制御に関しては、上達したのかどうかよく分からないけれど、多くの経験を積んだ実感はある。超命寺の事も、解放運動の事も、多倶知の事も、そしてアキラの事も……。本当に色々な事があった。


「君ぐらいの年だと二年も結構な期間か……。大人になると、どうもその辺の感覚が鈍くていかん。『士、三日会わざれば』と言う事かな」


 子供の一年は長いけれど、大人の一年は短いとか、そういう事だろうか?

 僕も今年中には十八になる。もう子供じゃない。だからって大人と言い切れる程の自信もない。僕はまだまだ中途半端だ。もっとしっかりした大人にならないとなと僕が思っていると、石建さんが僕に聞いて来た。


「ホワイトデーとは何じゃ?」


 ああ、この人は昔の人だからホワイトデーとか知らないんだな。


「バレンタインデーのお返しをする日です」

「バレンタインデー?」

「女の人が男の人にチョコレートを贈る日です。元々は愛の告白をする日だったみたいですけど、義理とかでも贈る様になって……今では友達とかで贈り合ったりして、告白とか余り関係なくなってるらしいです」

「女からとはハレンチだのう。いつそんな日ができたんじゃ?」

「それは僕も分かりません。戦後なんじゃないんですか?」

「世の中、分からんのう」


 何度も首を傾げる石建さんに、僕は問いかけた。


「石建さんも、何かリクエストとかありませんか?」

「ホワイトデーはお返しなんじゃろう? 私は何も贈り物なんぞしておらんのに」

「細かい事は気にしないでください。皆に贈るのに、一人だけ贈らないってのも変でしょう? 房来さんも」


 急に僕が話を振ったから、房来さんはびっくりした様子で否定した。


「いや、男から物をもらう趣味はないぞ」

「そうですか……。まあ、石建さんはお気になさらず」

「そうは言われても、相場が分からん」

「相場も何も、お菓子の贈り合いですよ」


 何倍返しだとか、そう難しい事を考える必要はないと思っている。お互いに気楽なのが一番だ。


「成程のぅ、菓子の贈り合いか」


 納得した様に頷いた石建さんに、横から大路橋さんが助言する。


「駄菓子の詰め合わせなんて、どうですか? 近頃の世相を知るには、ちょうどいいでしょう」

「駄菓子と言うと、あめ玉とか金平糖、水あめじゃな? それとも煎餅やポン菓子のたぐいか」

「ははは、今時は違いますよ」

「何、違うのか?」

「買ってみれば分かります」


 そういう訳で石建さんには駄菓子の詰め合わせを買う事になった。開道くんや他の子達も、高級なお菓子よりは、こういう物の方が良いらしい。それから大路橋さんのリクエストで、四班の人達にも駄菓子の詰め合わせを買う事に。

 一方で、勿忘草さんは紅茶とクッキーのティータイムセットをリクエストした。

 研究所や久遠ビルディングで働く他の人達の分は、大路橋さんや房来さん、勿忘草さんのアドバイスを受けて決める。

 ホワイトデーはこれで良しと、僕は小さく息を吐いた。贈り物を決めるのは、なかなか難しい。こういう時に助言がもらえるのはありがたい。

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