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 次の日、僕は石建さんと子供達に、ロシアとアメリカで見聞きした事を語らなければいけなくなった。何でそんな事になったのかと言うと……、石建さんにせがまれたからだ。どうやら一月に僕がロシアに出張中だった事を、第三研究班の人達に聞いたらしい。そして……第四研究班の人達に、せっかくだから子供達にも聞かせてあげようじゃないかと言われて、こんな事になっている訳だ。


「僕が一月に行ったのはロシアとモンゴルの国境近くにある天文台で……。日本から飛行機でモンゴルのウランバートルを経由して、そこから更にロシアのイルクーツク空港に飛んで――」


 僕は第四実験室で、ホワイトボードに張り付けた世界地図を指しながら説明する。

 石建さんも子供達も、大人しく僕の話を聞いてくれている。第四研究班の人達も、今は手が空いているという事で、一緒に聞いていた。

 ……学校の発表会みたいで、とてもやり難い。


「ウランバートルは経由しただけなので、詳しい事は分かりません。ただ、凄く寒かったです。でもイルクーツクは更に寒い所でした」

「どのくらい寒かったんだ?」


 第四研究班の土々根どどねさんが聞いて来る。

 いや、子供達が質問するなら分かるけど、どうして研究員の人が聞くんだ?


「どのくらいって……イルクーツクは雪や氷が融けなくて、街全体が凍り付いているみたいでした。全体的に真っ白で――まあ時期と天気が悪かったのもあるかも知れませんけど。もし旅行するなら、暖かい季節ですね。だけどイルクーツクもまだマシな方で、天文台は高い山の上でしたから、地獄みたいな寒さでした。寒くて乾燥しているから、息をするだけでも鼻や喉が痛くて。マスクか何かで鼻と口元を覆っていないと、とてもとても……。まあ、夜空は綺麗でしたよ。高い山の上で空に近いからか、雲が全然なくて、空気も澄んでいて」

「食事は?」


 またも土々根さんが聞いて来る。僕に話を促すために、敢えて聞いてるのかな?


「主食はパンとか、ジャガイモとか、カーシャっていうお粥みたいな物とかですね。味は……正直、余り……。自分で注文できたら良かったんですけど。まあ旅行じゃなくて仕事なんで、その辺はしょうがない部分だと思います。いや、食べさせてもらっていた立場で、こんな事を言うのは失礼なんですけども。もしかしたら、僕の口に合わなかっただけなのかも知れないので、機会があったらどうぞ試してみてください」


 それから沈黙が訪れる。何も質問が無いと、それはそれで困ってしまう。


「えー、ロシアでの事で僕が話せる事は、そんなに無いです。日程的に観光とかしてる余裕は無かったんで、そんなに面白い話は……」


 僕がアメリカでの話に移ろうかなと思っていたら、石建さんが聞いて来た。


「ロシア人とはどんな人間じゃ?」

「あー、ロシア人ですか? 僕が会った人達は大体白人でした。体が大きくて、肌が白くて。でも、アジア系と言うか、日本人っぽいって言うか、そういう人達も見かけましたよ。案内の人――ミハイロフさんにロシアの各地で暮らす人達の写真を見せてもらったんですけど、ヨーロッパっぽい人達とか、アラブっぽい人達とか、モンゴルっぽい人達とか、色んな人種と言うか民族がいるみたいです。それぞれ服装や文化も違うみたいですね。まあロシアって広いですから」


 僕は世界地図を見て、改めて思う。

 実際には地球は丸いから、ロシアやカナダ、オーストラリアは見かけより狭いと言うけれど、それでも広い事に変わりはない。

 ロシアという国はユーラシア大陸の東端から、西は東欧まで接している、巨大な連邦国家なんだ。ミハイロフさんの勧めもあったし、今度は観光で行ってみるのも良いかも知れない。


「帰りにお土産を買ったのは、イルクーツクです。ここの近くにあるバイカル湖が有名な観光地らしくて。残念ながら立ち寄っている暇は無かったんですけど。アザラシがいるみたいで、土産屋にアザラシのぬいぐるみとかキーホルダーが売ってました。あ、これポストカードです」


 僕は子供達に数枚の写真付きのポストカードを渡して回し見させた。

 ポストカードには冬のバイカル湖や、イルクーツクの美しい街並み、愛くるしいアザラシが写っている。

 さて、ロシアの話はこのぐらいで良いだろう……。


「三月にはアメリカに行きました。まずソルトレイクシティに飛んで、そこからアメリカ人のフレッドさんが運転する車で、ずっと北上して……イエローストーンまで。イエローストーンは高い山の上にある温泉地で、温泉の他にも間欠泉があります」

「カンケツセン?」


 柊くんがオウム返しに聞いて来る。子供達の何人かは、「間欠泉」がどんな物か分からないみたいだ。


「地下から熱い水が噴水みたいに噴き上がるんだ。いや、噴水よりも瞬間的に高く噴き上がるな。クジラの潮吹きって分かる? あんな感じ。とても熱いし、強いアルカリ性だったり酸性だったりするから、余り近付く事はできないんだけど」


 僕はイエローストーンの写真付きポストカードを配る。

 ポストカードにはイエローストーンで最も有名な間欠泉の「オールドフェイスフルガイザー」が噴き上がる様子や、とても天然とは思えない虹色の「グランドプリズマティックスプリング」が写っている。


「ホントにこんな色なんですか?」


 グランドプリズマティックスプリングの写真を見て、荒風さんが聞いて来た。

 ちょっと自然では見られない様な色合いだから、信じられないのも無理はない。


「よく見える条件の時に撮った写真だろうから、実物はなかなかこんな風には見えないんだけど、写真が偽物とかいう事はない……はず。僕もフレッドさんと一緒に行ったんだけど、湯気とかでよく見えなかった。でも、ちょうど泉を見下ろせる場所が近くにあって、そこからなら……天気とか気温とか条件が整っていれば、こんな風に見えるんだと思うよ」


 観光地の写真なんて、どれもそうだと思うけどな。

 ガイドブックとかに載ってる写真は、どれも見栄えというか、映りの良い物が選ばれるだろうから。実物を見て、写真以上だったって事はそんなに……。

 ただ実物のスケール感や五感で受ける印象は、写真なんかじゃ分からない事だ。


「イエローストーンは自然の豊かな所で、他にも大きな青い湖とか、川の流れる深い谷とか、広い平原がありました。バイソンとかエルクっていう鹿の仲間とか、狼みたいなコヨーテとか、グリズリーっていう大きな熊とか、日本では見られない様な動物も多くいました」

「実際に見たんですか?」


 荒風さんの問いかけに、僕は大きく頷く。


「ああ、見たよ。野生の動物だから近寄り過ぎると危ないけど、遠目に見るぐらいなら大丈夫」

「写真は撮らなかったのかい? デジカメとか持って行けば良かったのに」


 続く大路橋さんの質問に、僕は困って眉を顰めた。


「一応、仕事のつもりで行ってたんで……。意外に早く事が終わったから、ついでに観光して帰ろうって話になったんですけど。イエローストーン以外にも、空港までの道中にある保護区とか、ソルトレイクシティも観光しました。あぁ、そうですね……次からはデジカメを持って行く事にします」


 仕事だからって出張を楽しんじゃいけないなんて事はない。寧ろ、気が滅入らない様に適度な息抜きが必要だ。仕事だ仕事だと思い込まずに、空いた時間を利用して、ついでに観光旅行もできると前向きに考えよう。子供達にも、もっと外の世界に興味を持って欲しいから。

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