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さてと、何もせずプールサイドに突っ立っている訳にもいかないから、僕は穂乃実ちゃんを連れて勿忘草さんと一緒に流れるプールに移動した。
流れるプールは大人の胸より少し下ぐらいの深さがある円形の流水路だ。流れは緩やかで人が歩くよりも遅いけれど、子供にとっては深いから浮き輪やビート板が必要になる。幅はそんなに広くないし、水流も周回している訳じゃないから、流されても安心だ。流れに身を任せるも良し、流れに逆らってウォーキングをするも良し。
勿忘草さんはラダーを下りて流れるプールに入ると、僕達を呼ぶ。
「向日くん、ホノちゃんも! 一緒に泳ぎましょう」
僕はビート板を持って来て、先に流れるプールに入る。
穂乃実ちゃんは僕の後からラダーを下りて、恐る恐る水に浸かった。首ぐらいまで水深があるから怖いんだろう。
僕はビート板を持って穂乃実ちゃんに差し出す。
「プールは初めて?」
そう聞くと、穂乃実ちゃんは首をブンブンと横に振った。小学校から水泳の授業はあるし、初めてって事は無いか……。それと泳げるかどうかは別問題だけど。
穂乃実ちゃんはビート板に飛び付いて、水面から上半身を出す。
僕は穂乃実ちゃんが流されない様にビート板を掴んで、勿忘草さんに問いかけた。
「勿忘草さんは水泳が得意だったりするんですか?」
「嫌だなぁ、泳ぎが得意だったら競泳用のプールに行ってますよ。そもそも私は運動自体がそんなに得意じゃないです」
運動が得意じゃないってのは分かる気がする。ほわほわした性格がよく表れているというか……。
僕がぼんやりと勿忘草さんを見ていると、顔面にバシャッと水がかかる。
「わっぷ!」
何かと思ったら、穂乃実ちゃんが水を撥ねたみたいだ。僕は首を横に振りながら、片手で顔を拭う。もう片手はビート板を掴んだまま。穂乃実ちゃんに目を向けると、つんと不機嫌な顔をしていた。どうしたって言うんだろう?
困惑している僕に、勿忘草さんが言う。
「ホノちゃん、構って欲しいみたいですよ」
「そうなの? 泳ぎの練習しようか」
僕が誘いかけると、穂乃実ちゃんはこくんと頷いた。
「どのくらい泳げる?」
その質問に穂乃実ちゃんは答えてくれない。
「もしかして泳げない?」
今度は控えめに小さく頷く。泳げない事を恥ずかしいと認識しているんだな。でも誰でも最初から上手にできる人なんかいないんだから、そんなに恥ずかしがる事は無いのに。
僕は小学校の頃の水泳の授業を思い返した。
「どこまでならできる? 水の中で目を開けられる?」
穂乃実ちゃんはこくんと頷く。
「じゃあ水に潜れる?」
今度は首を横に振られる。
成程、そこの段階で止まってる訳だ。潜って浮ければ、後は簡単だからな。
でも流れるプールで潜水の練習は難しいかも知れない。だからって25mプールでも穂乃実ちゃんにはちょっと深いだろうしなぁ……。
過去にプールに行った事があると言っても、水に慣れている訳じゃないから深い所は怖いだろう。泳げないなら尚更だ。
取り敢えず、ビート板に掴まって浮かぶ練習だけしておこう。
「それじゃあ僕がビート板を持って、流れに逆らって進むから、全身を浮かせて顔を浸けたり上げたりの練習しようか」
穂乃実ちゃんが頷いたのを確認して、僕は勿忘草さんを見る。
「勿忘草さん、穂乃実ちゃんのサポートをお願いします」
「はい。お願いされました」
そういう訳で僕達三人はプールの流れに逆らって歩き始める。流れに従うよりは、逆らった方が浮き易い。それで体が水に浮く感覚に慣れてもらう。
勿忘草さんは時々穂乃実ちゃんの体を支えて言う。
「体を真っすぐ伸ばして、脚も真っすぐ……。水に顔を浸けて、無理せずに、苦しくなったら顔を上げて。息を整えて」
一時間近く練習して、穂乃実ちゃんは水に体を浮かせられる様になった。ビート板を持っていればという条件付きだけど。
長らく水に浸かっていたから、ちょっと休憩しようという事になって、僕達は一度プールを出る。指先がすっかりしわしわだ。
プールサイドに上がって、ふと視線を上げると、見覚えのある集団が目に入った。中学の時、同級生だった女子が数人で歩いている。その中には富士裕花もいる……。
こんな所で会うとは思わなかった。いや、会っても不思議ではないんだ。同じ街に住んでいるんだから。がそこまで考えていなかっただけであって。
不意に裕花が振り向いて、僕と目が合う。僕は硬直して動けなくなった。裕花は他の女子達に一言断りを入れてから、小走りでこちらに向かって来る。
「ゆーくん!」
僕はどう対応したら良いか分からない。
「あれからどうしたのかと思って! 元気そう……だね」
裕花は穂乃実ちゃんと勿忘草さんに視線を送る。
中学の時の同級生と会った事で、僕の頭の中で彼の死がフラッシュバックする。
いや、いけない、いけない。こんな所で鬱になっちゃいけない。無意味にフォビアを発動させる訳にはいかない。
血の気が引く思いの僕を見て、裕花は少し慌てた感じで言い繕った。
「あっ、あの、元気なのが悪いとかじゃなくて! 立ち直れて良かったなって……」
裕花の善意が分かるだけに辛い。いつまでも後ろだけを見ている訳にはいかない。
「ああ。まあ……こっちはこっちで、それなりにやって行けてるよ」
「それなら良いんだけど」
僕と裕花の距離感は、この数月でずっとずっと遠くなってしまったみたいだ。過去を思い出して、僕の気持ちは重く沈んでいる。
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