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 上澤さんの後に付いて面会室に入ると、一枚のガラスを隔てた向こうに、小さな女の子と数人の防護服を着た大人がいる。

 女の子が着ているのは、青いレインコートの様な服。防火服なんだろうか? 大人の人が着ている防護服は全身を覆うタイプで、まるで危険な化学物質を取り扱う様な重装備。

 部屋の中は異様な雰囲気だ。僕は上澤さんに手招きされて、女の子の正面の椅子に座った。それと同時に女の子も僕の対面に座る。ガラスを隔てて向き合う形。刑事ドラマなんかで見る、逮捕された人との面会みたいだ。

 僕と女の子は黙ってお互いの顔を見詰めたまま。何と言って声をかけたら良いのか分からない。取り敢えず、僕は自己紹介を始めた。


「あー、僕は篤黒勇悟」

「ユーゴ、さん?」

「そう、勇悟。君の名前は?」

「……ホノミ」

「ホノミ?」


 僕が確認のために繰り返すと、女の子は鈍い反応で頷く。目も虚ろで、焦点が定まっていない様だ。


「その、大丈夫?」

「……だいジョーブ。お薬、きいてるから。落ちついてる」


 ヤバい薬でも使ってるのかと心配する僕に、上澤さんが横から小声で囁いた。


「安定薬だ。パニックを起こして、能力が暴走するといけないからな」


 危険な能力だからって、こうまでしなければいけないのか?

 重い宿命を背負って生きなければならない小さな女の子に、僕は何と言って良いか分からない。僕は女の子に会って、どうするつもりだったんだろうか? ただ生きている事を自分の目で確かめて、安心したかった。それ以外は何も考えていなかった。自分が安心したいだけの身勝手な行動。

 僕は自分の軽薄さを恨む。結局、僕という人間はどこまで行っても、僕、僕、僕なんだ。他人の事なんか少しも考えていなくて、いつも自分の都合の好い方にばかり目を向けている。卑怯な人間が虚しく自分を慰めているだけ。心が空っぽになっていくのを感じる。


「……ユーゴさん、ありがとう」


 鬱々としていた僕は、ホノミちゃんの声で正気に返った。でも、何故お礼を言われたのか、よく分からない。


「ありがとう?」

「わたしを助けてくれた」

「いや……君を助けたのは消防の人だよ、多分。僕は気絶してた」

「そうじゃない。ユーゴさんが火を、消してくれた」


 彼女は僕を慰めようとしてくれているんだろうか? 勿論、僕には火を消した覚えなんか無い。否定しようとした僕に、再び上澤さんが囁く。


「事実だよ。感謝の心は素直に受け取っておくべきだ」


 事実って何だろう? この人は何を知っているんだろう?

 僕は何も分からないまま、ただ言われた事を受け止める。


「ありがとう、ホノミちゃん」


 感謝の言葉を告げられて、感謝の言葉で返すのは、何だか変だ。堂々と「どういたしまして」と言えれば良いのに、それができない。だけど、ホノミちゃんは嬉しそうに微笑んでいる。それで良いのか? 僕も君も……。

 腑に落ちない気持ちの僕に、上澤さんが声をかけて来る。


「さて、用は済んだかな?」

「……はい」


 僕の用は終わったけど、彼女の方はどうなんだろう? そう思った僕はホノミちゃんを顧みる。ホノミちゃんの目は僕を真っすぐ捉えていた。さっきまでの虚ろな瞳は影もない。


「また会える?」

「……会えるよ」


 彼女の縋る様な問いかけに、僕は真剣に答えた。そして心の中で「今のままじゃいられない」という気持ちを強めて確かにする。僕は自分の能力をしっかり理解して、改めて彼女と堂々と向き合える様にならないといけない。



 僕と上澤さんは面会室を後にした。そこから三階まで戻る道すがら、上澤さんは僕に言う。


「あの子、平家ひらいえ穂乃実ほのみは火事で両親を失った。それが原因で、彼女は極端に火を恐れる様になったんだ。その恐怖心は時が経つにつれて、強くなる一方だった。そして彼女はフォビアに目覚め、F機関に保護された。パイロフォビアかアーソンフォビアか、名称はともかく彼女は火に関連する全ての物から、火災が発生するという強迫観念に囚われていた。保護されてから、しばらくは落ち着いていたんだが……油断があった。表面上は平静でも、裏ではフォビアが進行していたんだ。ある日、彼女は外出時に監視員を燃やして逃走した」

「……それが連続放火事件の真相ですか」

「悪意は無かったんだろうがな。逃走したのも、パニックになったからだろう。フォビアの恐ろしさとは、まさに制御できない事にある」


 フォビア……トラウマに起因する超能力。沙島さんはF機関で一緒にフォビアを助ける仕事をしようと言ってくれた。僕には何ができるんだろう? 僕の能力は一体何なんだ?

 僕は上澤さんに尋ねる。


「上澤さん、僕のフォビアの能力は何なんですか?」

「正確な事は私にも分からない。だが、目撃者の報告によると、君が平家穂乃実を助けようと、炎上中の公衆トイレに駆け込んだ後、急激に火の勢いが衰え、火災が収まったそうだよ」

「そう……なんですか?」

「消防が到着する頃には、既に火は消えていた。もし君がF機関の一員になってくれるなら、君のフォビアについても、詳しく調べてあげられるんだけど」


 上澤さんの口振りに、僕は小さな恐怖心を抱いた。フォビアを調べるという事は、トラウマを調べるという事。余り僕の過去には触れて欲しくない。隠しておきたい、僕の醜い人間性。僕の罪。

 でも……どんなに苦しくても、自分の過去と向き合えという事なのか……。過去を乗り越えなければ、未来は無いとは言うけれど。ああ、きっと僕も逃げてばかりはいられないんだ。篤黒勇悟、今こそ勇気を出して覚悟を決める時だ。

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