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 久遠ビルディングは久遠不動産という大きな不動産会社の所有物件だ。高層ビルという訳でもなく、よくある十階未満の普通のビル。久遠不動産とF機関との関係は分からない。ただ物件を貸しているだけで、直接の関係は一切無いのかも知れない。


 市街地から少し外れた場所にあるビルの前に着いた僕は、沙島さんに渡されたメモを見る。そこにはF機関の住所と電話番号が書かれている。住所は久遠ビルディングの三階。敷地外から見上げてみるけど、それで何が分かる訳でもない。


 僕がビルの敷地内に踏み込むと、青い制服を着た一人の若い男性警備員が駆け寄って来て、僕の前に立ち塞がる。


「ちょっと、君! 何の用かな?」

「……F機関に用があるんですけど」


 そう言ってしまってから、これは失言だったと僕は後悔する。F機関なんて普通の人は知らないはず。この人は警備員だから知っていてもおかしくないんだけど。明らかに部外者の僕が、F機関を知っているって良くないんじゃないのか?

 警備員の人は苦笑いしている。


「何だって? エフキカン?」

「いや、あの……」


 僕は口ごもって、もう一度メモを確認した。

 場所はここで合ってるはず。あっ……そうだった。メモのどこにも『F機関』なんて書かれていないんだ。連絡先にあるのは『ウエフジ研究所』だけだ。これがF機関の表向きの組織名なんだろう。ああ、もう、気付くのが遅過ぎる。

 僕は改めて警備員の人に言った。


「ウエフジ研究所……です」

「アポは取ってある?」

「アポ?」

「アポイントメント、予約だよ」


 じゃあ予約って言えば良いのに。日本人なんだから日本語を使って欲しい。先に電話して、予約を取ってから来た方が良かったのかな?

 ……よく考えなくても、そうだよな。常識だ。あー、思い付きで行動するんじゃなかった。今日はヘマばっかりだ。本当に嫌になる。

 心の中で後悔しながら、僕は答える。


「ありません……」

「君、名前は? 誰に用なの?」


 警備員の人の問いかけに、僕は少し間を置いて答えた。


「篤黒勇悟です。沙島……えっと、沙島さんに会わせてください」


 警備員の人は何度も頷きながら、僕に質問を続ける。


「はいはい、アツグロくんで、サトウさんに会いに来たと。学生さん?」

「はい、高校生です」

「それで何の用かな?」

「……就職の説明を受けに」


 僕はその場しのぎの嘘を吐いた。本当は違うんだけど、この人にフォビアがどうのこうのと言ったって伝わらないだろう。就職のお誘いを受けたのは事実だし、問題は無い……ハズ。


「はぁ、就職ね。もうそんな季節か」


 警備員の人は独り言を呟いて、ビルの管理人室に移動する。僕も後に続いて、管理人室の前まで来た。そこで僕は警備員の人に待っているようにと言われたので、素直に待つ。

 管理人室では女性の警備員が待機していた。男性警備員が女性警備員に事情を伝えると、女性警備員がどこかに電話をかける。

 数分の電話が終わると、また警備員同士、二人で話し合った。そして男性警備員はビルの前に戻り、代わりに女性警備員が僕に話しかける。


「ちょっと待っててね。そこの椅子に座ってて。すぐ来られるらしいから」


 それを聞いて僕は安心した。取り敢えず話は通じた様子。僕は管理人室前の長椅子に腰かけて、大人しく沙島さんが来るのを待った。ビルの内装は真新しい感じではないけれど、古びた感じもしない。そこそこ前から建っているんだろうけど、老朽化する程は経っていないのかな?



 二十分後、僕の予想に反して、僕を出迎えに現れたのは、知らない女の人だった。沙島さんと同じく白衣を着ていて、更に眼鏡をかけている、いかにも研究者といった印象の人。同時に姿勢が良くて目元が鋭いから、厳しい性格にも見える。


「やあ、篤黒くん。こんにちは。私は上澤うえざわ珠樹たまき、ここの副所長だ」

「こ、こんにちは」


 副所長という肩書には驚いたけど、意外に気さくな感じだったから、僕は少し気分が軽くなる。


「あの……沙島さんは?」

「彼女は忙しくてね。私が代わりを務めさせていただくよ。ご不満かな?」

「いえ、そんな事は全然!」

「それなら結構。来たまえ」


 上澤さんは堂々とした歩き方で、僕を研究所の中に案内する。まずは一階からエレベーターで三階へ。そして三階の受付を素通りし、階段の近くにある狭い面談室で、僕は上澤さんと向かい合って座った。


「まず確認なんだけど、就職しに来てくれたって事で良いのかな? 断りに来たって言われると困っちゃうんだけど」


 どうやら上澤さんは僕がF機関に就職するものだと思っているらしい。でも、返事をする前に僕は知りたい事がある。


「いえ、今日は就職のお返事じゃなくて……知りたい事があって」

「成程。業務形態の不明な会社に就職するのは不安という訳だな。ごもっとも。では早速、就職説明会と行こう」

「いえ! そうじゃないんです……」

「ん? では、何を知りたいと言うのかな?」


 早とちりしがちな上澤さんに、僕は自分の意思を伝える。


「一昨日の火事で僕が助けたっていう女の子に会わせてください」


 上澤さんは虚を突かれた様子で、数秒間硬直していた。その後に深く長い溜息を吐いて、何度も頷く。


「あぁ、成程。そういう事ね。君としては当然気になるな。分かるよ、分かる」


 そう言いながら、上澤さんは白衣のポケットから携帯電話を取り出して、誰かと通話する。多分、あれは社内用の携帯だろう。


「もしもし、私だ。例のパイロの子、面会できるか? ん? あれだよ、お客様だ。例の彼、高校生の。そう、面会希望」


 上澤さんは時々こちらに視線を送りながらやり取りする。


「身体面は問題無いんだろう? とにかくできるのか、できないのか! あ? 危険性って……それは分かっている。しかし、相手はあれだよ、あれだ。命の恩人でもある訳だし? 行ける……行けそうじゃない? 責任って! 私は副所長だよ。取る、取るさ、取るとも。良いんだね? はい、了解」


 最後にピッと通話を切って、上澤さんは僕に振り向き、笑顔で告げた。


「許可が下りたよ。一緒に行こう」


 やり取りの片面しか見ていないけど、強引な人だなと僕は思った。この人の部下は大変だろう。ああ、ここに就職したら僕も部下になるのか……。少し憂鬱な気分。


 上澤さんが席を立ったのを見て、僕も後に続く。エレベーターで三階から地下一階へと。移動中に、僕は上澤さんに気になっていた事を聞いた。


「あの、上澤さんも……『フォビア』なんですか?」

「ん? ああ、残念ながら違う。フォビアの研究者ではあるけどね」

「そうですか……」


 ここで働く人達は、全員がフォビアという訳じゃないんだな。日本にフォビアは何人いるんだろう? 外国にもいるのかな?

 あれこれ考える僕の心の中を見透かした様に、上澤さんは言う。


「F機関が把握している国内のアクティヴなフォビアは、百人にも満たない。未発見のフォビアがいる可能性は否定できないが、周辺で大きな問題が起きていないという事は、保護する必要も無いという事だ」

「……例えば、僕みたいに?」

「そうだね。地味な能力、弱い能力の場合は、誰も――本人さえも気付かない。それにフォビアの能力も永遠ではない。トラウマを克服する過程で失われる事もある」

「そうなんですか……」


 僕も一昨日裕花に誘われて公園に行って、火事に遭遇しなければ、フォビアを持っていると分からなかった。でも、僕の能力って何なんだろう? 沙島さんは「本当の事は自分にしか分からない」みたいな事を言ってたけど、だったらどうして僕がフォビア持ちって分かったんだ? 火事から生き残る事ができる能力って何がある?

 僕が一人で疑問に思っていると、上澤さんがピタッと足を止める。そこには面会室と書かれた札の貼られた、金属製のドアがあった。

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