5

 僕達は後から来た公安の人達に追い立てられる様に、空きビルの屋上から去った。弦木さんも何も言わない。調査はプロに任せるという事だろう。

 C機関の二人は公安の人達と一緒に屋上に残る。除け者にされたみたいで僕は気分が良くない。


「弦木さん、僕達は帰っちゃって良いんでしょうか?」

「残ってもやる事が無いだろう」

「それは……そうですけど」

「結果は教えてくれるそうだから、ゆっくり待とうじゃないか」


 大人の余裕に僕は納得させられて、少し不満ながらも階段を下りる。

 ヘルメットを脱いだ僕達は、笹野さんが運転する車でウエフジ研究所に戻った。



 帰りの車の中で、僕はビルの中での事を思い返す。それから、どうして弦木さん達がクモ女に負けたのか気になって尋ねてみた。


「弦木さん、ビルの中で何があったんですか?」


 弦木さんは小さく唸って、無言で目を閉じる。無視されたのかな?

 答えたくない事なのかも知れないと思って、僕は追及しなかった。

 それでこの話は終わったと僕は思っていたけれど、数分後に弦木さんが口を開く。


「何と言う程の事でもないんだが……」

「はい?」

「幻覚のクモの怪物をどうにかする手段が無かった。幻覚だからこちらのフォビアは効かないのに、あちらはこちらに干渉して来る。ああいう手合いは苦手だ」

「相手はクモ女って分かってたんですよね?」


 相性が不利だったなら、対策を立てるとか、他の人を呼ぶとか何なりとできたと思うんだけど……。岡目八目とか後知恵って奴かな?


「クモ女がそこまで強いフォビアを持っているとは思っていなかった」

「でも、弦木さんは前回の保護作戦にも参加していたんですよね?」


 弦木さんは少し顔を顰めた。

 気に障る事を言ってしまっただろうか……。そう思っていると、弦木さんは大きな溜息を吐いて答える。


「あの時は本気じゃなかったのか、それとも訓練で更なる力に目覚めたのか」

「前より強くなってたって事ですか?」

「しかも急激にな。言い訳になるが、そういう事だ」


 僕は保護作戦でクモ女に会っていない分からない。

 多分だけど……保護作戦が行われたのは一度や二度じゃない。弦木さんはクモ女の実力を分かっていたつもりなんだろう。この事でこれ以上、弦木さんを問い詰めてもしょうがない。

 僕は新しい質問をした。気になるのは制定者の事だ。


「あの張りぼて、制定者だって言いましたよね」

「ああ、そうだな」

「その……制定者って何ですか?」

「知らないのか?」

「解放運動のリーダーで、最近は姿を見せていなかったって事ぐらいしか」

「よく知ってるじゃないか」

「ええと、それはカウンセリングの日富さんに教えてもらっただけなんで……」

「日富が? あいつもよく分からんな。何をどこまで知っているのか」


 弦木さんは心を読める日富さんを警戒しているんだろうか? いやいや、それよりも今は制定者についてだ。


「弦木さんは制定者の事で、他に知ってる事とか無いんですか?」

「無い。年代が違う。諸人さんなら何か知ってるかもな」


 1990年代って、30年も前だからなぁ……。最年長の諸人さんならって事は、もう制定者はフォビアを失っているかも知れない。

 それはともかく、制定者の語りで気になる事があった。僕はそれも弦木さんに確認しようと尋ねる。


「制定者が言っていた、『月が空に満ちる時』って……いつなんでしょう? 何か大きな事をやらかすみたいですけど」

「素直に考えれば満月の日だが、予言めいた曖昧な物言いは、外れた時のために予防線を張っているだけの事が多い。余り深刻に受け止める必要は無い」

「無視しても大丈夫って事ですか?」

「いつどこで何をするのかも分からない以上、止める手段は無いに等しい。どうしようもない事について、あれこれ思い悩むのは精神力と時間の浪費だ。俺としてはそれよりも、宣戦布告された事実の方を重く受け止めるべきだと思う」


 宣戦布告――確かに制定者はC機関とF機関を名指しして挑発した。つまり、これからは敵になるって宣言したんだ。……元から敵じゃなかったっけ? わざわざ宣言する事に何の意味があるんだろう?

 疑問に思う僕に、弦木さんは続けて語る。


「宣戦布告は敵と味方だけじゃなくて、中立の者に対する意思表示でもある。この場合の第三者とは、大勢の一般人。C機関とF機関だけを指名したのも、その関係だ」

「どういう事なんですか?」

「俺達の敵はこいつ等だけだから、巻き込まれたくない奴等は手を出すなという事。面倒な事をしてくれた」


 何が面倒なのか僕は分かっていなかった。

 C機関とF機関には国も関与しているし、解放運動は既に公安にマークされているんだから、他の奴は手を出すなと牽制したところで、そんなに意味は無いと思う。

 だけど弦木さんは難しい顔をして黙り込んだ。車内の空気が重苦しい。

 研究所に着くまで、僕は気まずい思いをしなければならなかった。

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