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 僕と真桑さんが東京に滞在して四日が経った。

 真桑さんの話によると、どうやらエンピリアンによる火災事件は、ここ一週間ぱったり収まっているらしい。それが逆に不気味だ。

 直近の東京都内で火災のあった場所を地図上に表すと、ちょうど山手線の外側を囲う様な配置になる。歪で不完全な円だけれど、人はそこに呪術とか儀式めいた何かを感じ取ってしまう。

 人を不安にさせるだけの悪趣味な行動に過ぎないのに、心の弱い人は勝手に怪物を想像して、それ以上の物を見てしまう。祟りだとか、呪いだとか……。

 エンピリアンはそれを具現化させて見せるつもりなんだ。インターネット上では多くの無責任な予言が飛び交っているらしい。東京中が大火事になるだとか、大地震が起きるだとか、津波が襲って来るだとか、いい加減な噂だ。


 その日も何事も無く一日が終わろうとしていた。

 一体いつ事が起こるのか……。もしかしたら東京じゃない全く違う場所で何かを起こすんじゃないかという気もして来る。

 夕方、真桑さんが神妙な面持ちで僕に話をした。


「向日くん、ジョゼ・スガワラからアクションがあった」

「アクションって……?」

「山手線周辺を見回っていた公安の一人に、一方的なメッセージを告げて去って行ったという」

「どんなメッセージだったんですか?」

「『悪い事は起こらない』――だそうだ」

?」

「おっと、俺に聞かれても分からないぞ」


 死人が出ないとか、そういう意味だろうか? いや、そもそも素直に受け止めて良いのかも分からない。 ジョゼ・スガワラは仲間の説得に成功した? それなら堂々と僕達の前に姿を現しても良さそうだけど……。

 作戦を中止させる事はできなかったけれど、やり方を変えさせる事ぐらいはできたのかも知れない。


「そのメッセージ、真桑さんはどこまで信用できると思いますか?」

「そんな事、聞かないでくれよ。俺に分かる訳が無いじゃないか」


 苦笑いする真桑さんに、僕も苦笑いで応える。

 ――全ては推測でしかない。常に最悪を想定するべきだ。結局、僕達のやる事は何も変わらない。



 深夜、僕は夢を見た。山手線の内側が白く温かい光に包まれるという奇妙な夢だ。

 不思議と嫌な感覚はしなくて、僕はこれが「悪い事は起こらない」とジョゼ・スガワラが言っただと理解していた。

 優しく穏やかな気持ちで、僕は不思議な現象を歓迎している。

 これが夢だという自覚の無い僕は、当然の様に側にいた真桑さんに問いかけた。


「これがエンピリアンのやりたかった事……?」

「俺に聞かないでくれ」


 真桑さんは困惑した顔で応える。

 そればっかりだなと僕は呆れながらも、しょうがないのかなとも思う。


「外に出てみましょう」

「ああ」


 僕と真桑さんはホテルから出て、街の様子を見て回る事にした。

 いつもより人が少なくて、全体が白い光に包まれているという以外は、特に変わった所は無い……様に思える。

 僕達がゆっくり歩きながら街をあちこち見ていると、スーツを着た通行人の男性が問いかけて来た。


「これは何なんですか?」


 何と聞かれても困る。事情を知らない人にいきなりエンピリアンの話をする訳にもいかない。

 どうして僕達が何かを知っていると思ったんだろうか? それとも目に付いた人にいちいち聞いて回っているんだろうか?


「分かりませんか……。失礼しました」


 通行人の男性は僕達からは答えを得られないと悟ったのか、小さく礼をして去って行った。

 僕がぼんやり通行人の男性を見送っていると、真桑さんが話しかけて来る。


「向日くん、人の流れが」


 真桑さんに指摘されて、僕は気付いた。

 道行く人々は全員、同じ方角に向かっている。さっき僕達に話しかけて来た通行人の男性も。そんなに出歩いている人が多くないから、一目ひとめでは分からなかった。

 もしかしたら男性は皆どこに向かっているのか聞きたかったのかも知れない。……どっちにしても答えられないのは一緒なんだけども。

 僕は真桑さんに問いかけた。


「この先には何が?」

「皇居か武道館か……」


 武道館と聞いて、僕はまた解放運動を思い出す。いけない。あんな事を繰り返させはしないぞ。


「行ってみましょう」

「ああ、そうだな」


 僕と真桑さんも人の流れに沿って、皇居の方面に向かって歩き始めた。


 しばらく人の流れに沿って歩いた僕達は、やがて皇居を取り囲む様に大勢の人が集まっている場面に出くわす。

 この人達は一体何をしようとしているんだ?

 困惑している僕に、一人の女性が話しかけて来た。


「あれが日本人の聖地ホーリー・グラウンドの様ですね」

「え? ホーリーグラウンド?」


 その人は黒い髪でサングラスをかけている。ちょっと雰囲気が上澤さんに似ているけれど、顔立ちが全然違う。白人系の人みたいだ。


「初めまして、向日サン。私がルーシー・モーニングスターです」


 僕はぎょっとして真桑さんに視線を送った。真桑さんも驚いた顔をして、ルーシーに怪訝な眼差しを向けている。

 ルーシーは微笑を湛えたまま、真剣に語り始めた。


「知っていますか? あそこには代々日本を統治して来た、偉大な一族が住んでいるのです。今でも彼等を最高神の末裔だと信じている人もいるのだとか」


 僕は嫌な予感がした。もしかしてエンピリアンは……。

 僕の懸念を否定する様に、ルーシーは穏やかな声で言う。


「いいえ、心配しないでください。テンノーに手を出す気はありません。だって……あれだけ多くの人が信仰しているんですから」


 それはきっと皇居を取り囲んでいる人達の事を言っているんだろう。


「これを利用しない手はありませんよ。私達は何も指示していないのに、この天国をテンノーと結び付けて祝い寿ことほぎたがる人達がいる」

「天国?」


 山手線の内側が白い光に包まれる現象の事を言っているのか?


「そう、天国……。日富サンのストレージの発想はスバラシイ。私はそれを応用し、地上に天国を映し出す事にしました」

「そんな事をしてどうするつもりだ?」

「人は良い物を好み、悪い物を嫌います。日本風に言うなら、ハレとケですね。天国はスバラシイ物、良い物、美しい物が集まった概念です」

「だから何をするつもりなんだ!?」

「向日サン、ここは天国ですよ。その様な荒々しい態度は相応しくありません」

「何が天国だ! 目的を言え!」

「これこそが目的なのですよ、向日サン。私達は天国を目指しています。そして今、天国を再現する事に成功しました。という条件付きではありますが……。これを現実の物とする事も可能でしょう」


 ルーシーは天国を現実にしようとしているのか? これが本当に天国なのか?

 僕には信じられない。

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