友を訪ねて

1

 四月八日、僕は上澤さんに呼び出されて副所長室のドアを叩いた。

 僕が室内に入ると、上澤さんはデスクについたまま真剣な表情で言う。


「向日くん、中椎アキラの両親の引越し先の話だが……」

「はい」

「覚えているか?」

「当然です」

「うむ。それで興信所に依頼して調べてもらった」

「はい」


 上澤さんは妙に溜めを作る。

 分かったんだったら、すんなり分かったって言って欲しい。


「中椎アキラの両親はN県に引越したそうだ。引越し先の住所は……口頭で言ってもしょうがないな。これを」


 上澤さんは僕に封筒を差し出した。

 僕は両手でそれを受け取る。


「中を確認しても良いですか?」

「ああ、どうぞ」


 封筒を開けると、二枚の紙が入っていた。一枚は住所を記した紙。


「中椎幸乃進 N県I市Y村27-2」


 ……って誰だろう? アキラのお父さんは是幸ただゆきって名前だったと思うけど。誰の名前なんだろう?

 僕は上澤さんに尋ねた。


「この……『ユキノシン』って誰ですか?」

「それは『コウノシン』と読むらしい。中椎アキラの父方の祖父だよ。全く知らない名前か?」

「……はい。誰からもお祖父さんの話は聞いた事がなかったので。アキラの両親は、そちらに?」

「そうらしいな」


 実家に帰ったって訳か……。

 もう一枚の紙はI市の地図だ。市街地の外れの方に小さく〇が書いてある。


 僕は二枚の紙を再び封筒に収めると、深く上澤さんに頭を下げた。


「ありがとうございました」

「いや、礼には及ばないよ。一人で行くつもりなのか?」

「はい」

「解放運動も監視委員会も活動を止めたとは言え、気を付けてな」

「はい」


 さて、善は急げ……と言いたいところだけれど、今は予定が入っている。土日を空けられるのは、四月の末になりそうだ。アキラの両親に会ったら何を話すのか、それまでにちゃんと考えておかないといけない。





 そして時は過ぎ、遂にその日を迎えた。前週に外出届を提出した僕は、電車を乗り継いでN県に向かう。片道四時間弱、五千円程度の出費。まずH駅から隣のT市のT駅へ、そこで乗り換えてI市のI駅まで。

 乗り換えた電車は市街地を離れて春の山へと向かう。ガタンゴトンと揺られる事、三時間の旅。電車の込み具合は、適度に空席がある程度。のどかな田園風景、雄大な川の流れ、美しい自然に現代の日本にもこんな場所が残っていたのかと思わされる。

 ……ちょっと失礼な言い方だろうか?


 午前十時から午後十四時まで、お昼を跨ぐ移動なので、十二時頃にT駅で買っておいた駅弁を食べる。座席がクロスシートで良かった。

 目的のI駅が近付くと、少しずつ緊張して来た。取り敢えず、駅前でタクシーを捕まえて、地図を見せて運んでもらおう。出費は痛いけど、どうせ今まで大して使って来なかったし、ここでケチってもしょうがない。日帰りできるなら日帰りで、それが無理なら素直にI市内で一泊しよう。

 ……アキラの両親は僕に会ったら、どんな顔をするだろう? 嫌そうな顔をされるだろうか? それとも驚かれるだろうか? 喜ばれる……とは余り思わない。つらい思い出を忘れるために引越したんだから、放っておいて欲しいかも知れない。

 それでも僕は行く。彼のために。そして自分自身のために。何より僕と彼の友情のために。


 I駅で降りた僕は、すぐにタクシーを探した。駅前に停まっていた一台のタクシーに近付くと、僕を迎え入れる様に自動ドアみたいに左側後部のドアが開く。

 このタクシーの運転手さんは、日富さんみたいに人の心が読める――って訳じゃないだろう。長く仕事をやってると、乗りたい人と乗らない人を見分けられる様になるんだろうな。

 僕はそのままタクシーの後部座席に乗り込んで、地図を片手に年配の運転手さんに話しかける。


「済みません、ここに行きたいんですけど」

「ああ、Y村ね。はいよ」


 タクシーは静かに発進して、市街地から山間部に向かう。



 タクシーの運転手さんはハンドルに手を添えたまま、バックミラーに目を移して気さくな感じで僕に話しかけて来た。


「お兄さん、若く見えるけどおいくつ?」

「十六です」

「ほほー、高校生? 何しに来たの? 観光って訳じゃなさそうだけど」


 僕が地元の人じゃないと一目で分かるみたいだ。訛りが違うのかな?


「友達の家に……」

「友達? 今時の……メル友じゃなくて、何て言うんだっけ?」

「そういうんじゃないんです。中学まで同じで、久し振りに会いに来ました」

「そうなんだ」


 僕はちょっとずつ真実をごまかしながら話す。運転手さんは特に疑問を口にしたりせずに、話に応じてくれる。時間潰しの会話なんだから、僕の言う事を疑う理由もないって事だろう。


「おじさんの中学や高校の友達は、どいつもこいつも都会に行っちゃって、ちっとも帰って来やしない。偶にでも会いに来てくれる友達がいるってのは嬉しい事だよ」

「そうですか?」

「そうそう。そんなもんだよ。ところで、帰りはどうするの?」

「またタクシーを使おうと思います」

「一、二時間ぐらいなら待っててあげるけど」

「お願いします」

「はいはい。了解、了解」


 タクシーは一つ山を抜けて、少し開けた土地に出る。ここがY村だ。

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