2
タクシーは開けた土地から、再び山の中に入って行く。道は狭く細くなり、民家と民家の間隔も離れてくる。雑木林の間には斜面を削って作られた狭い田んぼと畑が、いくつも並んでいる。やがて一軒一軒が何十mも離れる様になって来た。
それから数分後、大きな家の坂の前でタクシーは停まった。
運転手さんは振り向いて僕に言う。
「地図の通りなら、ここだけど」
「ありがとうございました」
僕は取り敢えず往路分の代金を支払って、タクシーから降りた。
長い坂の上に立派な和風の家が見える。家の周りはツバキの生垣で囲われている。
僕は慎重な足取りで、坂を上って家の庭に入った。玄関前の壁にかけられている表札を確認すると、「中椎」と書かれている。そんなに多い名字ではないから、ここがアキラのお祖父さんの家で間違いないだろう。
僕は一つ深呼吸をしてから、呼び鈴を鳴らす。ジリリリリと古い電話が鳴る様な音がして、家の中からやせた中年の女性が姿を現す。僕の記憶より少し髪が短くなって――顔も少しやつれて見えるけれど、アキラのお母さんだ。
「はい、どちら様で……」
「お久し振りです」
「あなたは……」
アキラのお母さんは少し驚いた顔をしていた。僕の事が分からない様子ではなかったけれど、僕は自分から名乗る。
「篤黒勇悟です」
「本当に久し振り……」
「今日はお話があって参りました」
「はい。どうぞ、上がって」
「その前に、お墓にお参りさせてください」
「……はい。ちょっと待っててね」
アキラのお母さんは一度家の中に戻った。そして水桶と線香を持って、僕を家の裏手のお墓に案内してくれる。
「桶、持ちましょうか?」
「お願い」
中椎家のお墓は、人目に付かない裏山の中にあった。文字も読み取れないぐらい古びたお墓から、最近建てられた新しいお墓まで、いくつも並んでいる。それは家の歴史の証だ。そして一番新しいお墓が、アキラの物……。
僕は桶をアキラのお墓の側に置いて、正面からお墓に刻まれた戒名を見た。『静心明良信士』。僕は柄杓で水鉢に水を入れて、アキラのお母さんから線香を受け取り、線香立てに納めて、両手を合わせる。
遅れてごめん。助けられなくてごめん。
……後悔ばかりが浮かんで来る。
何分も両手を合わせて頭を下げていると、アキラのお母さんが僕に声をかけた。
「ありがとうね……」
僕はゆっくり頭を上げると、アキラのお母さんに振り向いて言う。
「いいえ、お礼は……。僕は謝らないといけません。お葬式にも行かずに、今日の今日まで本当に失礼しました」
「いえ、こちらこそ。ごめんなさい。何も言わずに引越してしまって……。どうしてここが分かったの?」
「興信所を頼りました。どうしてもお話ししなければいけない事がありまして」
「アキラの事?」
「はい。アキラに関係する事で、僕が知っている事を、全部お話ししたいと思って」
「今になって……」
アキラのお母さんがぽつりと言った事に、僕はドキリとして冷や汗を流した。アキラの両親にとっては息子の死を乗り越えて、ようやく落ち着いた頃だったんだろう。僕の行動は古傷を抉る事になったのかも知れない。
「ご迷惑でしたら、僕は帰ります」
「そんな事を言うんだったら、最初から来ないで。もう遅い。そこまで言われたら聞くしかないじゃない」
「はい……」
泣きそうになるけど、泣いちゃいけない。本当に苦しいのは、アキラのお母さんの方だ。僕が泣いてどうする。
僕はアキラのお母さんと一緒に、家の中に上がった。縁側に近い六畳間で、僕は一人待たされる。
それからアキラのお母さんは、お爺さんとお婆さんを連れて戻って来た。この二人がアキラの父方のお祖父さんとお祖母さんなんだろう。
全員が着席した後で、僕は頭を下げて自己紹介した。
「僕は篤黒勇悟と言います。アキラくんの……友達でした」
「アキラの祖父の幸乃進です」
「祖母の
お互いに名乗り合って、また一礼する。
「それで、お話とは?」
アキラのお祖父さんに話を促されたけれど、僕は何から話したら良いのか今になって迷う。多倶知の事を話すべきか、それとも謝罪が先なのか……。なかなか事前に考えていた通りにはできない。
「まずは……謝らせてください」
僕は机から少し下がって、ゆっくり土下座した。
「本当に、済みませんでした。僕はアキラの近くにいながら何もできませんでした。何もしようとしませんでした」
謝ってどうなると言うんだろう? まさか許してもらえる訳もないのに。それでも言わなければ気が済まなかった。
中椎家の三人は反応に困っている。しばらくの沈黙を挟んで、アキラのお祖父さんが僕に言った。
「顔を上げてください。どうしてアキラが死ななければいけなかったのか、話していただけますか?」
「はい……」
僕は深呼吸をして、頭の中を整理した。
「既にご存知かも知れませんが、学校の中でいじめがありました。主犯は多倶知選証という生徒です」
「いや、知りませんでした。学校側は『いじめがあった事実は把握できなかった』と言っていました」
「そうだったんですか?」
「私達は事実を明らかにするために、学校を訴えました。アキラが学校で自殺したからには、何か理由があったはずです。それなのに調査をする事もなく無かった事にしようとした学校を許せなかったのです」
「……済みません」
「何故あなたが謝るのですか?」
アキラのお祖父さんの声には静かな怒りが感じられた。悪くないなら謝らないで欲しいと思われているんだろう。でも、僕もアキラの死を目の当たりにして、何も無かった事にしようとしていた一人だ。
「何もしなかったからです。アキラが生きている間も、死んでしまってからも」
僕がはっきり答えると、アキラのお祖父さんは黙り込んでしまった。言い負かしたかった訳じゃない。だから……黙らないで欲しい。
僕は続ける。
「多倶知には不思議な力がありました。人を思い通りに動かして、誰も逆らえなくさせる様な……。クラスの皆――いえ、学校の全員が、多倶知という一人の生徒に何もできなかったんです」
「その多倶知という生徒は何者なのですか?」
アキラのお祖父さんに問われて、僕は少し答えを迷った。フォビアだとか超能力だとか言っても、多分だけど信じてはもらえない。まずは当たり障りのない事実だけを伝えようと決める。
「その……何者とは……?」
「何か特別な権力のある家柄だったとか」
「そんな事はありません。寧ろ、逆に何も持ってなかったんです」
「何も持っていなかった?」
「後で知った事なんですけど、多倶知は特殊な家庭環境で育ったんです。大阪であったO市一家乗っ取り事件って知ってますか?」
「聞いた事はありますが……」
「多倶知はそれの被害者でした。あの事件が多倶知の性格を歪めてしまったんだと思います」
またも重苦しい沈黙が訪れる。中椎家の三人は多倶知の事をどう思っただろうか?
数分後にアキラのお祖父さんが口を開いた。
「その多倶知という生徒は、今どうしているか分かりますか?」
「僕は何度か多倶知と会って話をしました。彼は高校には行かずに、名前を変えて怪しい宗教に入っていました。家庭環境の話とかは、その時に本人から聞きました」
「いじめの事は何か言っていましたか?」
「……後悔も何もしていないみたいでした。アキラの事も忘れていたみたいで」
アキラのお祖父さんは手を握り締めて、拳を震わせていた。全ての元凶とも言える多倶知への憎しみを募らせているんだろう。だけど……。
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