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そんなこんなで時は過ぎて大晦日。特に目立った事件もなく、僕は昨日までと変わらない日々を過ごしていた。大晦日で変わった事と言えば、食堂の夕食のメニューに年越しそばが加わったぐらい。
年末の大掃除は昨日の内に終わらせたし、今日ぐらいは勉強せずに年末の特番を見ながらゴロゴロしていたって
そう言えば、ここ数日は監視委員会の嫌がらせも完全に止まっている。警察が仕事をしたのか、それとも年末年始ぐらいは嫌がらせもお休みって事なのか? どちらにしても良い事には違いない。今はこの平和を味わっていよう。
穂乃実ちゃんはクリスマスから毎日の様に、僕の部屋を訪ねて来る。きっかり午前十時から午後五時まで。勝手に外出する訳にもいかないし、他にする事もないから暇なんだろう。
今日もやっぱり僕の部屋に来た。
「こんにちは。おじゃましてもいいですか?」
「良いよ、良いよ」
今日は勉強道具を持っていないから、勉強をしに来たんじゃないって事は分かる。遊び盛りの子供が毎日勉強ばっかりってのも変だから、大晦日と正月ぐらいは勉強を休んだって良いさ。だけど、共通の趣味がある訳でもないから、何もせずにテレビを見ているだけになる。
こんなんで良いんだろうかと思って、僕は穂乃実ちゃんに尋ねた。
「穂乃実ちゃん、何か趣味とかない?」
「えっ……ありません」
「じゃあ何か得意な事とか……」
「……わかりません」
穂乃実ちゃんは恥じ入る様に言った。酷な質問をしてしまっただろうか? ここに半分閉じ込められた様な生活をしているのに、趣味も何もないのかも知れない。
それに僕だって今は無趣味みたいなものだ。
「それじゃ来年の目標にしよう。趣味を見付ける事」
「えと……マモルさんのシュミは何ですか?」
「僕? 僕の趣味は……」
中学校の頃は色々やってたんだけど、卒業してからは何もやる気が起きなかった。
しかし、振り返ってみると僕には趣味と言える程の物が一つも無い。アキラに付き合って色んな事をやったけど、どれも広く浅くだった。僕は何をするにしても、そのアキラに負けていて……。だから、そういう部分ではアキラを尊敬もしていた。
……ああ、また気分が落ち込んで来たぞ。
「僕も趣味って言える様な事は無いな……。何をやっても中途半端だった」
「じゃあ、いっしょにシュミをさがしませんか?」
「そうだね。一緒に探そう」
落ち込んだ気分で空笑いする僕とは対照的に、穂乃実ちゃんは嬉しそうに微笑む。とても虚しい気持ちになるけれど、穂乃実ちゃんを心配させる訳にはいかない。この子の幸せだけは壊しちゃいけない。絶対に。
そのまま僕と穂乃実ちゃんは二人で、何をする訳でもなくのんびり過ごした。
そして夜になって夕食を取りに食堂に下りると、いつもと様子が大きく変わっている事に驚く。テーブルと椅子の半分ぐらいが端に退けられている。
どうやらウエフジ研究所では、毎年大晦日だけは一晩中食堂を開けているらしい。居残り組で忘年会と新年会を併せてやるんだそうな。カラオケ機器も置かれていて、何人かは既にお酒を飲んでいる。普段食堂では見かけない雨田さん、初堂さん、売店の吉谷さんのお姉さんまでいる。
吉谷さんのお姉さんの話によると、毎年各研究班が持ち回りで世話役をしていて、今年は第三研究班の
去年まではもう少し人がいたらしいんだけど、今年は実家に帰る人が多くて、準備も多少楽だったと花待さん本人が言っていた。
僕も穂乃実ちゃんも部屋に戻ったところで何もする事が無いし、今日は日付が変わるまで食堂にいる事にする。年越しそばを食べ終えて、何をするでもなく食堂のテレビを眺めながら、だらだら過ごす。
僕はお酒を味わえる年じゃないから、スナック菓子を肴の代わりにシャンパンもどきの炭酸水を飲む。人の心理は不思議な物で、特に何もしていなくても雰囲気だけで何となく楽しい気分になれる。お酒が飲めないんだから酔える訳もないのに、その場の空気だけで酔った様な気分になる。
午後七時ぐらいから、吉谷さんのお姉さんが耐久カラオケショーを始めて、大いに盛り上がった。
吉谷さんのお姉さんは歌が上手いんだなぁ……。僕も思わず拍手する。吉谷さんのお姉さんは、吉谷アンナさんだ。そう言えば、当の吉谷さんの名前は知らないな?
アンナさんは三時間ぐらいマイクを離さずに熱唱していた。歌が上手いから聞いてる分には良いんだけど、よく体力が持つなぁ……。昭和中期の名曲から最新の流行歌まで、ジャンルもロック、ポップスから演歌まで、とにかく多芸だ。歌いながら振り付けをする余裕もある。歌手でも目指していたのかな?
そんなこんなで午後十時になり、穂乃実ちゃんは眠いのかウトウトし始めた。夜更かしはできない体質みたいだ。
「寝ても良いけど、その前に歯を磨こう」
「はい……」
僕と穂乃実ちゃんは一旦離席する。エアコンの切れた廊下の冷たい空気が、熱気でのぼせた顔を冷やす。
「どうする? このまま部屋に帰って寝る?」
僕が尋ねると、穂乃実ちゃんは首を左右に振った。まあ寝落ちする限界まで起きてみるのも人生経験だ。
「途中で寝ちゃっても、ちゃんと連れて帰るから安心して良いよ」
僕がそう言うと、穂乃実ちゃんは目を擦りながら頷いた。部屋で一人でいるのは寂しいんだろう。だから必死に起きて、皆と一緒にいようとする。
僕と穂乃実ちゃんが食堂に戻って来ると、ようやくアンナさんが歌い終わるところだった。次は花待さんが歌うみたいだ。
穂乃実ちゃんは席に着いてから何分もしない内に眠ってしまった。机に顔を伏せてスヤスヤと寝息を立てている。起こすのも悪いし、このまま少し寝かせておこう。
僕が座っている席の周りには、雨田さんと初堂さんがいる。フォビアの人で固まったのは偶然なのかな? それとも他の人の近くは怖いって思ってるのかも知れない。
フォビアを持っている人は無意識に他人を避ける傾向がある。自分のフォビアに巻き込んでしまう事を恐れるからだ。フォビアを持つ人同士だったら大丈夫って訳じゃないんだけど、フォビア同士ならお互い様だと思えるからかな? 僕のフォビアが他人のフォビアを封じる性質を持っているからという理由もあるのかも。
そんな事を考えていると、初堂さんが真剣な声で僕に言った。
「ありがとう、向日くん」
「どうかしたんですか?」
いきなりお礼を言われて驚く僕を見て、初堂さんは柔らかな笑みを浮かべる。
「私が今ここにいられるのは、あなたのフォビアのお蔭だから」
「……ああ、フォビアの事ですか」
初堂さんのフォビアは男の人を不幸にするんだった。今は僕がいるから、その心配をしなくて良いって事なのかな?
「本当にありがとう」
「いや、そんな……お役に立てて何よりです」
人の役に立てるのは嬉しい事だ。お礼を言われるのも悪い気はしない。照れ臭くなってはにかむ僕の後ろから、花待さんが肩を叩いて呼びかける。
「向日くんも、一曲どう?」
カラオケのお誘いだった。
「いや、僕は……」
「歌うのは苦手か」
アキラが生きている時には、二人でカラオケに行ったりもしたんだけど……。転校生が来る前は、他の友達とも一緒に行った。あぁ、楽しかった頃の思い出の全てが、今となっては悲しい思い出に変わってしまっている。こうやって賑わいの中心から少し離れた所にいるのも、頭を空っぽにして楽しむ事ができないからだ。
僕は愛想笑いしてやり過ごそうとする。酷く落ち込んだ気分を
場の賑やかな空気に紛れて酔っていたのに、頭から冷や水を浴びせられた感覚だ。だけど、花待さんに悪気があった訳じゃない。誰が悪いかって言うと……僕が悪いと言うしかない。全ては僕の個人的な感傷が原因なんだから。
花待さんは僕から離れて、事務の
数分して、しんみりとした演歌の前奏が聞こえて来る。
俯いてばかりの僕に初堂さんが尋ねる。
「どうしたの?」
「ちょっと……昔の事を思い出しただけです」
僕は深呼吸を繰り返して、心を落ち着けた。そして……雨田さんと初堂さんに僕のフォビアの事を聞いて欲しいという気持ちになった。どうしてかは分からない。多分お酒の席の雰囲気に惑わされて、血迷ってしまったんだろう。
「あの、僕の話を聞いてもらえますか? 僕のフォビアの話です」
「ええ」
真剣に頷く初堂さんと、そっぽを向いて聞かないフリをする雨田さん。
僕は決心して語り始める。
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