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「僕がフォビアに目覚めるまでの事を……話させてください」

「良いの?」


 初堂さんは僕に確認を求めた。

 僕は少し心が揺れたけれど、一度決めた以上、ここでやめるのはナシだ。


「聞いて欲しいんです。迷惑かも知れませんけど、僕の事を分かって欲しくて」


 雨田さんは相変わらず、こっちを見ようとしない。だけど立ち去ったりもしない。

 僕としては雨田さんに聞かれてしまっても構わない。寧ろ、雨田さんにも聞いて欲しいんだ。


「聞かせて」


 初堂さんに促されて、僕は一つ深呼吸をする。大丈夫だ。C機関の二人と開道くんに話した時は何とも無かったし、直近では穂乃実ちゃんにも話したし。これで三度目なんだから、もう慣れても良い頃だ。

 それなのに……、どうして僕の心はこんなに震えているんだろう?


「……僕は中学校の三年生になるまでは、普通に生活していました。まだフォビアも何も知らないで。僕には親友と呼べる人がいました。名前は中椎アキラと言います。小学校に入学した初日からの長い付き合いで、これからも……高校生になっても大人になっても、親友という関係は変わらないと思っていました」


 初堂さんは頷きながら僕の話を聞いてくれる。

 雨田さんはそっぽを向いたまま俯いて、こちらを気にしていない風だけど、意識してそうしているのが分かる。

 他人に語るのは三度目だからか、予想したより精神的な動揺はない。何事にも慣れて行くんだな。少し嫌だ。僕の中で、彼の死が遠くなった様で。


「中学三年の始業式の後、僕のクラスに転校生がやって来ました。名前は多倶知選証――あのブレインウォッシャーです。多倶知は洗脳のフォビアで、すぐにクラスを支配しました。当時の僕はフォビアを知らなかったので、その事に何の疑問も持ちませんでした。実際、多倶知は優秀でした。勉強も運動もできて、発言力もあって……。だけど、多倶知は少しずつ横暴になり始めました。そして……アキラがいじめのターゲットになりました」


 僕の心は暗く深い海の底の様に落ち着いている。最初に語った時とも、二度目に語った時とも違う。涙も込み上げて来ない。


「きっかけはアキラが多倶知を注意した事だったと思います。多倶知が死んだ今となっては、真相は分かりませんけど……。僕は一緒にいじめられるのが怖くて、アキラを助ける事も、いじめを止める事もしませんでした」


 僕は最低な人間だ。自分の最低な過去をできれば隠しておきたかった。でも、本当の事だからしょうがない。僕は自分が最低の人間だった事を素直に認めて、告白しないといけない。雨田さんも初堂さんも、自分の過去を告白してくれたんだから。

 初堂さんは僕を責めたりせずに、ただ哀れむ様な目で僕を見ていた。

 雨田さんは故意か偶然か、深い溜息を吐く。僕は非難されるかも知れないと過剰反応して、体が強張る。

 いや、冷静に考えれば雨田さんは聞いていない振りをしているんだから、反応するはずが無いんだけど。そんなところまで考えが及ばない。僕は自分が嫌になる。小心と言うか、臆病と言うか……。


「それでも……僕はアキラとの友達としての付き合いはやめませんでした。学校以外の所では普通に遊んでいたんです。中学校を卒業したら同じ高校に行こうって。転校生さえいなければ大丈夫だからって。でも、アキラは卒業式の日に学校の屋上から飛び降りて自殺しました。僕は彼が飛び降りてから地面に落ちるまでの瞬間を、この目で見ました。ただ見ていました……」


 手が震える。

 あぁ、やっぱりダメだ。少し落ち込むぐらいで済むと思っていたけれど、全然そんな事は無かった。震えが全身に伝わって、酷い無力感に襲われる。詳細に思い出そうとするのが良くないのか……。

 ここで黙り込んじゃいけない。語り続けないと。


「僕は……僕にはアキラが何故自殺したのか分かりませんでした。中学校を卒業さえすれば、春からは同じ高校に通えるんだと、気楽に考えていました。僕の友情は一方通行だったんです。僕が勝手に親友だと思っていただけの事……。本当は彼の事を何一つ分かっていなかったんです」


 声が震える。だけど涙は流さない。流してはいけない。語り終えるまでは。


「その事実がショックでした。僕は無力だったんです。何もできなかった。何もしようとしなかった。何の役にも立てなかった。それが僕のフォビア……」


 熱い涙が一粒、二粒とテーブルの上に落ちる。

 初堂さんが僕の隣に座って、僕の肩を抱き寄せようとした。慰めようとしてくれているんだろう。だけど、僕はそっと初堂さんの腕に手を添えて、押し返す。

 甘える訳にはいかない。僕は一人でも立ち直るよ。何度でも。


「大丈夫です。今の僕にはできる事があります。もう挫けないって決めたんです」


 もう泣かない。これを最後にしたい。決意が涙を止める。

 初堂さんは僕の顔を見て、「そう」とだけ言った。その眼差しは優しかったけど、どことなく寂しそうでもあった。

 雨田さんは相変わらず、そっぽを向いたままだった。もしかしたら、最初から全然聞かれていなかったのかも知れない。……それならそれでしょうがない。辛気しんき臭い話なんか、好んで聞きたがる人は少ないだろうから。


 僕は妙にすっきりした気分だった。

 時刻は十一時を回っている。新年まで一時間弱。

 僕は食堂の中を見回す。アンナさんがまたマイクを持っている。何人かは酔っ払って眠ってしまっている。このまま一晩を明かすんだろうか? ちょっと心配になる。好い大人だから、僕なんかに心配されるいわれは無いんだろうけど。


 そのまま深夜十二時までのカウントダウン。テレビの中は騒がしいけれど、食堂の中は静かなものだ。大半の人は眠ってしまっていて、起きているのは僕と初堂さんとアンナさんぐらい。

 雨田さんは飽きたのか、途中で部屋に帰ってしまった。アンナさんは皆の眠りを邪魔しない様にララバイを歌っている。


 そして……新年を迎える。感動も何もなく、ただ日付が変わったというだけの事。

 歌い終わったアンナさんが、テレビと時計を見て僕達に言う。


「お? 十二時になった? 新年おめでとう」

「おめでとうございます」


 僕が新年の挨拶を返すと、アンナさんは口元を隠してあくびをする。


「は~、さすがに歌い疲れたわ。そういう訳で私はもう寝るから。お疲れ」

「お疲れ様です」


 アンナさんが帰ったのを見て、僕も席を立つ。

 穂乃実ちゃんの背中を優しくポンポンと叩くと、穂乃実ちゃんは目を開けて辺りを見た。


「十二時を過ぎたよ。帰って寝よう」

「もう新年なんですか?」

「そうだよ」


 カウントダウンが始まる頃には起こしてあげた方が良かったかな? でも余りにもぐっすり眠ってたから、起こす気にはなれなかったんだ。

 当の穂乃実ちゃんもまだ眠たくてしょうがないみたいで、目を擦りながら再びウトウトし始める。

 僕は穂乃実ちゃんを抱き上げた。穂乃実ちゃんは眠気が勝っているのか、嫌がりも抵抗もしない。


「それじゃあ初堂さん、失礼します」

「待って。私も帰るから」


 初堂さんも僕の後に続いて席を立ち、食堂から出る。

 そのまま僕と初堂さんはエレベーターで地下に移動した。

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