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初堂さんの歌を聞いていて、僕はこれがフォビアなんだと改めて思い知った。
元々フォビアは人間同士で感情を伝えたり読み取ったりする能力なんだ。だから、こういう使い方もできる。
今、初堂さんは歌声に自分の感情を乗せて、それを僕達に聞かせる事で、自分の気持ちを伝えているんだ……。
別れた人に対する深い悲しみと、慈愛の感情が伝わって来て、僕は込み上げる涙を抑えられなかった。それは他の人達も同じ様だ。別れても好きな人、好きだけど別れなければならなかった人、それでも幸せを願う事。その美しい綺麗な心とは裏腹の、やり切れない、つらいという暗い気持ち。
初堂さんが抱え続け、抑え続けて来た心が、ダイレクトに伝わって来る。
……いやいや、聞き惚れている場合じゃない。
僕は自分のフォビアを意識して、他の人達の様子を窺った。僕のフォビアが発動してしまえば、初堂さんの歌声も単なる空気の振動に過ぎない。さて、誰かネガティブな感情に影響されて、鬱になっていたりしないだろうか?
誰も彼も初堂さんの唄に感涙して咽び泣いているけれど、どれだけ精神に悪影響を受けているかは、パッと見ただけでは分からない。ただ一人、マリアさんだけは真剣な表情で初堂さんの歌を聞いている。
当の初堂さんはと言うと、涙を流しながら――それでいて歌声が乱れる事もなく、思いの丈を込める様に歌い続けていた。
五分ぐらいして、初堂さんは一曲フルで歌い終えた。目には涙の跡がある。
「ご清聴ありがとうございました」
初堂さんが深く頭を下げると、研究員の人達から疎らに拍手が起こった。
「良かったですよ!」
「素晴らしい! 感動した!」
それに対して初堂さんは改めて礼をしながら、僕達がいるテーブルに戻って来る。初堂さんは手放しで褒められて、ちょっと照れ臭そうにはにかんでいた。
窯中さんも涙を拭いながら、初堂さんの歌を褒める。
「スゴかったです……。上手く言えないですけど、歌が全身に沁み渡る様な……」
「ありがとう」
誰も鬱になったりはしてないみたいだ。良かった。
僕が安心して息を吐くと、今度はマリアさんが初堂さんに声をかけた。
「初堂さん」
「何でしょう?」
「ライブデビューしてみない? 『泣ける歌声』とか、そういうので行けると思うんだけど」
「いえ、そんな……」
唐突な話に初堂さんは困惑していた。
それでもマリアさんは強気に説得を続ける。
「絶対に行けると思うんだけどな。需要があるんだよ、泣けるって」
需要があるのは分かるけど、マリアさんは何者なんだろう?
気になった僕は聞いてみた。
「マリアさん、音楽関係の仕事してるんですか?」
「いや、私じゃなくて。私の知り合いに、そういう人がいるの。私もデビューした事あるんだよ。CDも出した」
「どのぐらい売れたんですか?」
僕は何の気なしに聞いたけど、マリアさんの動きが一瞬止まる。
その後にマリアさんは視線を逸らして小声で答えた。
「まあ、まあ……? 今の私は出張売店の売子だから?」
あっ、余り売れなかったんだな。
僕だけじゃなくて皆、何となく察する。
「時期も悪かったね。もうCDって時代じゃないし」
いや、もうその話題は終わりにして良いんじゃないかな……。どうしてそんな言い訳みたいな事を?
当の初堂さんはどう思っているのかと顧みると、真剣に考え込んでいた。
「初堂さん?」
「あ、はい。何?」
「いや、真剣な顔をされていたので……」
本気でデビューを考えているのかな? 悪い事ではないと思う。成功するかどうかは別として。
僕はそう思っていたけれど、初堂さんは慌てて否定した。
「いえ、何でもないんです。私が歌手なんて、そんな……」
弱気になる初堂さんに、マリアさんが詰め寄る。
「いや、行ける! 絶対に行ける! あなたの歌声にはパワーがある。歌の上手下手じゃない、もっと強い力だよ」
そのパワーはフォビアなんだけど……言ってしまって良いのかな?
以前に聞いた話だと、政治家も芸能人も多くは無自覚な超能力者だって話だから、問題は無いのかも知れない。でもなぁ……。
一人で心配している僕に構わず、マリアさんは続けた。
「物は試しって事で、ちょっと記念のつもりでさ。売り出す時は『バンシーの歌姫』とか……どう?」
バンシーって外国の妖怪だったかな? 二つ名としてはどうなんだと思わないでもない。いや、僕が気にする事じゃないか……。
もし……もしも、フォビアの悪影響なく歌い続ける事ができるなら……。初堂さんにとっては、それは良い事かも知れない。ここで人殺しを続けるよりは、第二の人生のために歌手を目指すのもありだろう。
フォビア持ちって事は、超能力を使える素質があるって事だ。耳鳴さんや由上さんみたいに。
悲しい気持ちを歌にして、人を感動させられるなら、悪くはないんじゃないかなと思う。
ただ、それもフォビアによって向き不向きがあるよなぁ……。基本的にフォビアが伝えるのは恐怖だ。何かの間違いで、恐怖心が伝染しないとも限らない。そうなってしまったら、恐怖を伝える歌を好き好んで聞きたがる人がいるだろうか?
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