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 それなりに車を飛ばして数十分かけて千代田区を巡回しても、霧が完全に晴れる場所は見当たらなかった。

 僕は焦りを抑えられずに、笹野さんに問いかける。


「本当にブラックハウンドは千代田区内にいるんですか?」

「ここが23区の中心なんだ。他には考えられない」


 笹野さんは速度を落として車を走らせながら、ハンドルを指先でトントン叩く。

 笹野さんも焦っているんだ。


「でも、道路沿いにはいないって事ですよね」

「じゃあ建物の中か? いや、それは考え難い。千代田区は重要な施設が集中しているから、どこも警備は固いはずだ」

「そうなると……重要じゃない施設に隠れているって事になりませんか?」

「どこだ?」

「僕に聞かれても困ります。東京の地理なんかさっぱり」


 数秒の沈黙の後、笹野さんが呟く。


「秋葉か?」


 笹野さんは秋葉原かと予想したけど、僕は別の可能性を考えていた。


「武道館……」

「武道館?」

「例の集会には解放運動の奴等も来てたんです。もしかしたら、夜まで隠れて……」

「あり得るな。先に武道館に寄ってみようか」


 笹野さんはハンドルを切って、日本武道館に向かう。僕は再び柏田さんに電話して応援を頼んだ。

 急げ、急げ。十一時から既に一時間が経とうとしている。


 僕と笹野さんは日本武道館の前で車から降りる。夜の武道館は不気味に静まり返ってそびえ立つ。人の気配は全くしない。

 僕と笹野さんが武道館に到着してから数分後、公安の人達も数人だけど駆け付けて来てくれた。

 僕は初対面の公安の二人と一緒に、深夜の武道館に突入する。笹野さんは連絡係として外で待機だ。


 武道館の中に足を踏み入れると……建物の中なのに霧が立ち込めている。これもフォビアだからなせるわざに違いない。ブラックハウンドは分からないけれど、霧隠れは近くにいると思って良いんだろうか? 僕と公安の二人は息を潜めて、足音も立てない様に慎重に進む。

 アリーナに出てみると、真っ暗なステージの中心に、黒いマントを着た三人の人物が立っていた。黒いマントが保護色になって、更に霧のせいもあって、ともすれば見過ごしてしまっていただろう。気付けたのは幸運と言える。

 相手に気付かれない様に、僕は自分のフォビアを一時的に解除した。以前に練習した扉を閉める感覚だ。

 暗闇と霧の中で僕は三人を凝視する。一人はブラックハウンド、一人は霧隠れだとして……もう一人は誰だろう? 男か女かも分からない。

 僕が疑問に思っていると、公安の二人が三人にライトと銃を向けて大声を上げた。


「動くな!! 解放運動の者だな!?」


 当の三人は銃を向けられても、その場で何か話し合っていた。


「キリ、イヌ、あなた達は逃げて!」

「一人じゃ無理だ! アッカ!」

「その通りだ。俺とキリが残る。アッカ、お前が逃げろ。お前の能力では戦えない」


 仲間同士、誰を逃がすかで話し合っている様だ。

 公安の二人は改めて警告する。


「動くなと言っている! 両手を上げて伏せろ!」


 フォビアの持ち主だからって、体は普通の人間だ。それに霧を発生させる能力と、影の犬を呼び出す能力では、銃弾を防ぐ事はできない。すぐに降伏するだろうと僕は思っていた。

 ところが、三人の内二人は真っすぐ僕達の方に向かって来る。死ぬ気なのかと僕は他人事ながら焦った。

 早くフォビアを無効化しないと! 僕は必死にフォビアを発動させて霧を晴らす。

 直後に二発の銃声。僕は大きな音に身が竦む。向かって来る二人の人影はぐらりと揺らぐも、前進を止めない。止めを刺す様に、更に二発が発射された。

 二人の人影は尚も公安の人に向かって動く。だけど、それ以上の発砲は無かった。公安の二人は同時に駆け出して、二人の人影を組み伏せる。


「確保ー!」


 確保? もう死んでいるんじゃないのか? 僕は率直にそう思った。でも狙って急所を外したのかも知れない。もしかしたら生きているかも?

 とにかく僕は目の前で人が撃たれた事がショックで、ただ立ち尽くしていた。一人の姿が見えなくなっている事に気付いたのは、ちょっと後だ。

 僕は公安の二人を置いて、館内を走り回って最後の一人を探した。……だけど見付からなかった。何秒か何十秒か分からないけれど、失った時間が痛かった。最後の一人は二人の命懸けの抵抗で、逃げおおせたのか……。逃げたのは誰なんだろう?


 僕は肩で息をしながら、ステージの中央に戻る。後からぞろぞろと公安の人だか警察の人だか分からないけれど、アリーナになだれ込んで来た。

 撃たれた二人は担架に乗せられて、救急車で病院に運び込まれて行った。

 僕は何もやる事がなくて、何をやれば良いかも分からなくて、人の流れに乗って武道館から出た後、茫然としていた。


「向日くん、大丈夫か!?」


 笹野さんが僕を見付けて、駆け寄って来る。


「僕は大丈夫です……」


 そう言いながら、僕は救急車が走って行った方角を見詰める。

 撃たれた二人は大丈夫だろうか? 僕は「敵」の心配ばかりしていた。


「病院に戻ろうか」

「そうですね……」


 僕は気のない返事をして、笹野さんと一緒に車に乗り込む。助手席でシートベルトを締めてシートに体を預けると、緊張が解けたのかどっと疲れが出て、深く大きな溜息が漏れた。


「お疲れさん」

「……はい。笹野さんも」

「フォビアを使い過ぎたか?」

「そうかも知れません」


 僕は数時間前まで入院していた病院の病室に戻って眠り直す。


 眠りに落ちるまでの間、僕はずっと発砲の瞬間を回想していた。あの時、僕は何をするべきだったんだろう? 何ができたんだろう?

 逃げ出した残る一人を追わないといけなかった。それはそうだけど……。

 僕は担架で運び出された二人の事を考える。暗くてよく見えなかったけど、ライトで床が照らされた一瞬、そこには血の海があった。生きていたら奇跡だと思う。

 結局、僕は何もできないままだった。そんな思いが強くなる。悪人になろうと思い切っても、やっぱり僕は大物にはなれないんだ。


 この後もこんな事が続くなら……アキラ、僕はこれから何人の死を見る事になるんだろう? 人を死なせるためにフォビアを使ったんじゃないのに。

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