迷子のフォビア

1

 さて、今後僕が目指すべき方向は分かった。問題は僕のフォビアは一人だと発動したかどうかも分からないって事だ。誰かのフォビアを無効化して、発動した事を確認する必要がある。

 そこで次の問題だ。誰かに無効化の訓練に付き合ってもらうとして、どんなフォビアを無効化すれば良いんだろうか?

 房来さんみたいに攻撃された事が分かり易いフォビアだと、無効化できないか意識せざるを得ないだろう。そうじゃなくて、効果が分かり難いフォビアの方が、訓練には向いていると思う。何故なら自分の判断でフォビアの発動を察して、無効化しないといけないからだ。

 これから僕を待ち受けているのは、未知のフォビアとの戦いだ。相手のフォビアにどれだけ早く気付けるか、その瞬間に僕がフォビアを使えるか、この二つが重要になるだろう。

 地味な能力……沙島さん、高台さん、倉石さん、船酔さん……あ、芽出さんはどうだろう? 道に迷うのと、道に迷った事に気付くのは違う。多くの場合は迷った後で「迷った」という事実に気付く。どの瞬間に迷ったかなんて分からないから、迷ったと気付いた瞬間にフォビアを使う事になる。でも、見慣れた場所でも迷ってしまうんだろうか?

 芽出さんが無理だったら、勿忘草さんでも良いかも知れない。知っているはずの事を忘れた時、単なるど忘れなのか、それともフォビアの効果なのか分からない。そういう事態も想定しておかないといけないと思う。

 つまり違和感に気付く訓練。不自然な事を見抜く力を鍛える。

 だけど、二人が僕の訓練に付き合ってくれるかは分からない。人には自分の都合があるし、いつも暇だとは限らない。それでも一日中、何もしないよりは良いさ。ダメならダメで、その時はその時だ。



 思い立ったが吉日と、僕は三階の事務所に移動して、寮のどの部屋に誰がいるのか一目で分かる一覧表を、城坂さんに頼んでコピーしてもらった。社外秘の文書だから外に持ち出したり、部外者に見せたらいけないと教えてもらったけど、そんな予定はないから気にしない。ただ自分の部屋に置いて、他の人に用がある時に見るだけだ。


 僕は早速、芽出さんの部屋を訪ねてみる事にした。芽出さんの部屋は、僕の部屋があるのと同じ六階、603号室。

 チャイムを鳴らすと、数秒して中から声が返って来る。


「はい、どなたですか?」

「篤……向日です」


 いけない。どうしても本名を言ってしまいそうになる。いい加減、向日衛の名前に慣れないと。


「向日くん? どうかした?」

「お時間、ありますか? ちょっと付き合って欲しい事があります」

「何?」


 僕は芽出さんに警戒されているんだろうか? まだドアを開けてもらえない。


「フォビアの訓練です」

「訓練? どうして私?」

「芽出さんの迷子になるフォビアに、無効化のフォビアが通じるかどうか、試してみたいんです」

「そう……」


 それから長い沈黙。芽出さんが納得してくれたのか、納得したとして応じてくれるのか、僕は緊張して待つ。

 約二十分後、芽出さんがドアを開けて出て来た。余りに長く待たされたから、何かあったのか、そうじゃなかったら無視されたのかと思った。


「お待たせ」


 ……芽出さんは妙にめかし込んでいる。肌には薄く白いファンデーション、唇には桃色の口紅、やけに目がぱっちりしてるのはアイシャドウの効果だろう。爪にはラメ入りのマニキュア。服装も白いリブニットと赤いスカートとちょっと派手で、明らかに外行きの格好だ。

 ちょっと外に出るだけなのに、気合を入れ過ぎじゃないだろうか? 母さんが外出する時を思い出す。女の人は皆こうなんだろうか?


「それで、どこに行くかは決めてるの?」

「いいえ。その辺を適当に散歩しようかと」

「それじゃつまんないから、どっか行こうよ」

「どっかって……」

「そうだね、公園とかかな」

「公園? 一番近いのは運動公園……でしょうか?」

「良いね。行こう」


 良いんだろうか? ここから運動公園まで徒歩で1kmぐらいあるんだけど。でも、本人が良いって言ってるんだから良いか……。

 僕と芽出さんは一緒にエレベーターに乗る。僕が一階のボタンを押そうとしたら、先に芽出さんが三階のボタンを押した。


「三階に用があるんですか?」

「あのね、外出には届出が必要なのね」

「あ、そうなんですか……」


 知らなかった。今まで私用で外出する事なんか無かったから。外泊に許可が必要な事は知ってたけど。


 僕と芽出さんは三階の事務所に着く。

 芽出さんは慣れた様子で、城坂さんに言った。


「外出しまーす」

「はい。届出をお願いします」

「はーい」


 芽出さんは返事と同時に書類整理トレーから届出用紙を一枚引っ張り出すと、サラサラと記入する。そして記入し終えると、僕に届出用紙を渡した。


「向日くん、自分の名前を書いて」

「はい」


 僕は届出用紙をよく読んで、「芽出麻衣」の下に少し間を空けて「向日衛」と記入する。外出届の「行先・目的」の欄には既に「運動公園」と書かれている。こんな風に書けば良いんだな。今後の参考にしよう。

 届出用紙を城坂さんに提出すると、特に問題なく受理された。許可が必要とかじゃなくて、届け出るだけで良いのか……。ちょっとした外出にまで、いちいち許可を求められたら、許可する方も大変だって事かな。

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