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 翌日、上澤さんが言った通りに、日富さんがカウンセリングに復帰した。

 僕はいつものカウンセリングの時間に、日富さんに問いかける。


「日富さん、モーニングスター博士の心を読んだって言うのは本当なんですか?」

「嘘の報告なんかしませんよ」


 日富さんは苦笑して答える。

 ああ、そういう意味じゃない。どう言ったらいいんだろう?


「いえ、ええと……そうじゃなくてですね……。一週間前、モーニングスター博士と会った時、僕が気絶した後に何があったのか、教えて欲しいんです」


 僕が気付いた時は、真桑さんも日富さんも倒れていた。

 僕が脅威になるなら、モーニングスター博士はどうして僕にトドメを刺さなかったんだろう? そこが一番気になる。


「あの時は……向日くんと真桑さんが同時に倒れて……その後で、私はモーニングスター博士の心を読んだんです。長くても数秒という短い時間でしたけれど」


 真桑さんも僕と同時に気絶していたのかな? 多分だけど、モーニングスター博士は動物園で開道くんのフォビアを学習していたんだろう。

 モーニングスター博士は動物園で、荒風さんと穂乃実ちゃんのフォビアも使った。他に動物園にいたのは……柊くんと小暮ちゃんと灰鶴さん。既に僕も含めた七人分のフォビアが、エンピリアンに知られてしまっている。日富さんの超能力も含めれば、八人になる。

 僕以外が戦いに出る事はないだろうけど……。


「それから……モーニングスター博士は私の首を絞めました。それで私は気絶してしまったんですが……」

「首を絞めたって、直接?」

「はい。背後に回られて、腕で首を……こう」


 日富さんは腕を十字に組んでみせた。モーニングスター博士は高齢だったけれど、格闘技の心得もあったんだろう。

 それにしても、どうして――?


「どうしてモーニングスター博士はフォビアを使わなかったんでしょうか?」

「向日くんのフォビアが発動していたんだと思います。途中から私も心を読めなくなっていましたから」


 僕が気絶した後もフォビアの効果が続いていた? そんな事ってあるのか?

 もしかしたら心を読まれる事を嫌ったモーニングスター博士が、敢えて学習した僕の無力化のフォビアを使ったのかも知れない。


「どうして僕達にトドメを刺さなかったんでしょうか?」

「モーニングスター博士は脱出する事を優先したんでしょう」


 もしフォビアを使えていたら、造作もなく僕達を殺せたはずだ。地下に留まっていても無意味に殺されるだけだから、最期に仲間にテレパシーを送った?

 僕だけでも殺してしまおうとか、そういう考えは無かったって事だよな。判断ミスなのか、それとも絶対に伝えないといけない事があったとか?

 単純に初堂さんのフォビアを知らなかったから、急げば逃げ切れると思っていたのかも知れない。

 または……無闇な殺人を嫌った?

 いや、それは考え難い。だって黙示録の使徒のバックに付いていた奴だぞ。自分の手を汚したくなかったにしても、過去に非道な人体実験を繰り返していたのに、今更だろう。今更だからこそ嫌うって事もあるかも知れないけれど……。



 カウンセリングが終わった後、僕が一人で自分の部屋で勉強していると、真桑さんが訪ねて来た。

 僕は真桑さんをリビングに通して、お茶を用意する。

 リビングのテーブルを挟んで、僕と真桑さんは向かい合って座った。


「向日くん、大事な話がある」

「はい」

「これからどこかへ行く時には、必ず俺を呼んでくれ。この前の様な失態は繰り返さないから」


 そうは言われても……。別に断る訳じゃないんだけど、未知の能力相手に失態も何も無いと思うんだよな。こう言ったら悪いけれど、絶対に繰り返すよ。僕だって一日中フォビアを使う訳にはいかないんだし。


「俺は上司からの正式な職務命令で、君を護衛する役目を与えられた。だから、善意なんかじゃない事は分かってくれ」

「善意じゃない?」

「仕事だからやるんだ」

「嫌々やってるって事ですか?」

「そうじゃない。公安の仕事には自負と責任を持っている。俺を頼りにしてくれ」


 そうは言われても……。別に嫌って訳じゃないんだけど、頼りにはできないと思うんだよな。

 素直に「はい」とは言わない僕を、真桑さんは真剣な顔で見詰めている。

 困ったなぁ……。


「頼りにできるならしたいとは思うんですけど……」

「……悪かった。こんな有様の俺を頼ってくれなんて虫の好い話だよな」


 自虐する真桑さんを僕は慰めなかった。下手な慰めは逆効果だろうと感じていた。


「頼りになるならないは別として、真桑さんを置いて単独行動はしませんよ」

「絶対に?」


 念を押されて僕は少し怯む。この先、真桑さんを巻き込みたくないと思う事もあるだろうし、一人だけで話を付けたいと望む事もあるだろう。


「絶対に……とまでは……」

「そうだろうな。だが、俺は君が嫌と言っても絶対に付いて行く」

「仕事だからですか?」

「ああ」


 研究所の寮で真桑さんを受け容れているって事は、F機関も真桑さんを僕の護衛として認めているって事だ。でも気が進まない。年が離れているから、保護者や目付役という感じが強くて、そこがどうしても……。慣れてしまえば、年の差も気にならなくなるんだろうか?


「話は変わりますけど、真桑さん、英語どのくらいできますか?」

「TOEICで満点を取れるぐらいは」

「海外出張の経験は?」

「アメリカに何度か……それとヨーロッパにも」

「フランス語とかスペイン語って話せますか?」

「いや、それはちょっと……まあ、ちょっとだけ」

「それ以外の言語は? 例えば、アジアとか」

「無理だ」


 マルチリンガルだと嬉しかったんだけど、少なくとも僕よりは英語ができるみたいだから、英語の通じる地域では頼りにしよう。


「……とにかく、昨日の今日で信頼も何もないでしょう。これからの積み重ねです」

「分かっている。今回は決意を伝えたかっただけだ。邪魔をした」


 真桑さんはそう言うと、席を立って退室した。

 まあ、フォビアを無効化した後の戦力としては当てになるだろう。大人の男の人が一人いるだけで、かなり状況は変わるはずだ。そういう意味でも頼りにしてもいいかも知れない。

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