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僕と都辻さんはエレベーターに戻って、一階に移動する。
「下へ参りまーす。一階には食堂とリラクゼーションルームがあります。西が食堂、東がリラクゼーションルームで、売店・ジム・大浴場があります。一つ注意、一階の人達はF機関の職員じゃありません。うっかり口を滑らせない様にお願いしますよ。F機関じゃなくて、飽くまでウエフジ研究所で通してください。フォビアの話も厳禁です」
フォビアの存在を一般人に知られてはいけないから、こういう風に分けているんだろう。僕は真剣に答えた。
「はい」
「頼みますよ」
僕は都辻さんの先導で、まずは食堂に移動する。
自動ドアを通って、ふと食堂内の時計を見ると時刻は十時半、まだお昼には早い。人の姿はまばらだ。
「食堂は午前六時から九時まで、午前十一時から午後二時まで、午後六時から九時までは無料です。券売機にカードキーを通して、欲しい物を注文してくださいね。それ以外の時間は有料になります」
都辻さんは券売機の前から、食堂の窓口まで移動する。窓口から見える厨房には、エプロンと頭巾とマスクを身に着けた数人の女性がいる。
都辻さんは厨房に向かって呼びかけた。
「皆さん、お忙しいところ、済みません! この子、研究所の新人です。宜しくお願いします」
僕は都辻さんに合わせて頭を下げる。厨房の人達は銘々に頷いたり、「はい」と答えたりして、軽く応じた。
「さて、次は売店です」
都辻さんは続いて僕を売店に案内する。売店はちょっとだけ狭いコンビニみたいな感じだ。
売店に入った都辻さんは、レジの若い女性に話しかけた。
「ヘロー、よっちゃん」
「ツッツ、何か用……ってか、その子は誰?」
「新人くん。宜しくしてあげてね」
「見た目、若そうだけど。何歳?」
「十五」
「十五ぉ!? まさか中卒?」
「そう」
「へぇー! 十五で研究所に就職とか天才?」
「天才……まあ、天才と言えば天才なのかも」
都辻さんは売店の店員さんと仲が好いみたいだ。僕は何だか
都辻さんは僕に売店の店員さんを紹介する。
「このお姉さんはヨッシャさん。よっちゃんって呼んであげてください」
ヨッシャさんは急に不機嫌な顔になった。
「今、ヨッシャって言った?」
「言ってない、言ってない。ちゃんと
僕もヨッシャさんって聞こえたけど、吉谷さんなら聞き間違いもあり得る。僕は言い間違えない様に、注意して挨拶する。
「宜しくお願いします、吉谷さん」
「お、おう、こちらこそ。何か、バカ丁寧にされると調子が狂うなぁ」
吉谷さんが照れ臭そうに頭を掻くと、都辻さんが咳払いを一つして割り込んだ。
「勇悟くん、売店の商品はお金を出して買う事になります」
この人は何を当たり前の事を言っているんだろう? 僕は怪訝な目付きで、都辻さんを見詰める。吉谷さんも笑いを堪えていた。
自分の発言のおかしさに気付いた都辻さんは、少し顔を赤くしながらも、咳払いを一つして強引に続けた。
「生活に必要な物は、大体ここで買えます。クリーニングや配達の依頼もできます。ここに無い品物も、ある程度は注文すれば取り寄せてくれますよ」
説明を終えた都辻さんは、僕を急かす。
「はい、次に行きましょう! よっちゃん、またね!」
「バイバイ、ツッツ」
売店の次は大浴場だ。男湯と女湯の暖簾が並んでいる。
都辻さんは男湯の暖簾を潜って、脱衣所に入った。僕も後に続く。
「ここが大浴場です。入浴は無料ですが、午前十時から午後二時の間は、清掃のために利用できません。着替えや脱いだ服はコインロッカーにしまって、鍵を持って入ってください。中は混浴になっています」
「男湯と女湯に分かれてないんですか?」
「そうです。個室にもバスルームは付いているので、混浴が嫌ならそっちで済ませてください」
「はい」
大浴場を使う事は無さそうだなと思いながら、僕は頷いた。お風呂は一人でゆっくり入りたい派なんだ。
「さて、ジムは見ての通りですから、特に説明は必要ないでしょう。一階は終わりにして……次は地下に行きますよ」
僕と都辻さんはエレベーターで地下一階に向かう。
「地下は研究エリア兼、収容エリアです。研究エリアはフォビアの実験や解析、収容エリアは危険なフォビアを持っている人を……えー、閉じ込めると言うか、管理すると言うか……保護、そう、保護するエリアです!」
今更「保護」なんて言い繕っても遅いよ。そもそも最初に収容エリアって言ってるのに。要は隔離施設だって事だろう。
僕は都辻さんと一緒に地下一階でエレベーターから降りて、廊下に出る。廊下は南と東に分かれていて、南が研究エリアに、東が収容エリアになっているみたいだ。
僕は都辻さんの後を歩いて、南廊下を行く。南廊下には第一研究室、第二研究室、物置があって行き止まり。
都辻さんは研究室のドアを開ける事はせず、そのまま前を素通りした。
「挨拶しなくて良いんですか?」
僕が尋ねると、都辻さんは困り顔で言う。
「研究職の人は面倒臭い性格の人が多いんですよ。仕事を邪魔されるのが、お嫌みたいで。それなのに仕事以外ではだらしない人が多くて、タイムカードとかまともに切ってくれないんですから、本当にもう」
事務職は事務職で大変なんだなと思いながら、僕は都辻さんの愚痴を聞き流す。
南廊下の次は東廊下へ。まず面会室があり、その先には個室が並んでいる。
僕は気になった事を都辻さんに尋ねた。
「この中の人達は自由に外に出られるんですか?」
「さすがに『自由に』は無理ですよ」
「個室の『外』でもダメですか?」
「当然です。何のための収容……いえ、保護だと思っているんですか?」
「ああ、そうですよね」
この時、僕は火のフォビアを持つ穂乃実ちゃんの事を考えていた。あの子は今どうしているんだろうかと。
「都辻さん、面会ってどうすれば良いんですか?」
「事務所で面会申請をして、都合が付けば面会できます。即日は無理でしょうけど、大きな問題が無ければ、数日内には」
「分かりました」
「……誰か会いたい人でも?」
「ええ、まあ。また会うって約束したんで」
今朝の事で、僕のフォビアは何となくだけど分かった。多分だけど、フォビアを無効にする能力だ。火事の中で助かったのも、フォビアで発生した火を消したから……だと思う。
もし僕が自由に能力を扱える様になったら、少しでもフォビアの人を助けられるだろうか? F機関がそれを期待しているんだとしたら。僕は僕を肯定できる様になれるかも知れない。
それから僕と都辻さんは地下二階に移動する。地下二階も構造は地下一階と完全に同じだ。南廊下に研究室が並び、東廊下に個室が並ぶ。
「それじゃ、上に戻りましょう」
都辻さんはエレベーターの昇りボタンを押したけど、まだ下がある事に僕は気付いていた。エレベーターの中のボタンには、地下三階の表示こそ無かったけれど、確かに地下二階より下があった。
「下には行かないんですか?」
「ここより下は特別な許可が無いと入れないんです」
「何があるんですか?」
「私も詳しい事は知りません。それだけ重要な何かがあるんでしょう」
都辻さんはそう言いながら、三階のボタンを押した。
僕と都辻さんは三階の事務所に戻って来る。
「さてさてさて、最後は所長と副所長に挨拶しましょう」
事務所の受付前を通り過ぎて、そのまま廊下を真っすぐ進むと、所長室と副所長室が並んでいる。
都辻さんは副所長室のドアをノックする。
「失礼します!」
「どうぞ」
中から声がして、都辻さんはドアを開ける。分かっている事だけど、副所長は上澤さんだ。
上澤さんは僕の姿を認めると、にっこり微笑みかける。
「よく来てくれたね、篤黒くん」
「はい、宜しくお願いします」
僕は深く頭を下げる。
上澤さんは僕から都辻さんに視線を移動させた。
「それで何の用かな?」
「今、新人さんに施設を案内しているところで、ついでにご挨拶を――と思ったんですけど……副所長は彼をご存知でしたか」
「まあね。彼も私を知っているから、わざわざ紹介する必要は無いよ」
「それは失礼しました」
「気にしないで、気にしないで」
都辻さんは一礼して退室する。本当に挨拶に来ただけで、他に用は無いみたいだ。僕も後に続いて一礼した。
「失礼しました」
「はいはい」
退室後に都辻さんは大きな溜息を吐く。
「はぁー、お偉いさんの前だと緊張するなぁ。ヨシ、所長に挨拶して終わりにしましょうか!」
そして最後の最後に所長室へ。
所長って一体誰なんだろう? 副所長が若い人だから、所長はお爺さんとかお婆さんなのかな? いや、意外と若い人かも知れない。
都辻さんが所長室のドアをノックする。……だけど、返事は無い。
「あれ、お留守みたいですね……。残念ですけど、しょうがありません。施設の案内は、これで終わりです。お一人でお部屋まで帰れますか?」
「はい、大丈夫です」
所長室の前で、僕は都辻さんと別れて、自分の部屋に帰る。
お昼が近いけど何を食べようかとか、今日は仕事が無いのかなとか、色々な事を考えながら。
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