2

 その翌日、いつものカウンセリングで僕の心を読んだ日富さんは、穂乃実ちゃんについての話を始めた。


「平家さんには困りましたね。さて、どう教育したら良いと思いますか?」


 日富さんは悩まし気に零す。でも僕の考えは分かっているはずだから、これは僕に意見を言わせるための誘導だ。そして僕はその誘導に乗らない訳にはいかない。


「僕が話します。僕に穂乃実ちゃんを説得させてくれませんか?」


 僕は自分の体験を穂乃実ちゃんに伝えようと決心していた。確実に説得できるかは分からないけれど、僕がどんな気持ちでいるかを分かって欲しい。頭ごなしに叱るんじゃなくて、僕自身の真剣な思いを伝えたい。

 穂乃実ちゃんは素直な子だから、分かってくれる……はずだ。きっと。


「それなりに自信があるみたいですね」

「自信があると言って良いかは分かりませんけど……分かってもらえると思います」

「他に適任者がいる訳でもありませんし、まずはあなたに任せましょう」

「ありがとうございます」


 僕は深く頭を下げると、カウンセリングルームを後にする。



 午前十時。この日、僕は穂乃実ちゃんと地下の実験場で、一対一の訓練をする事になっている。訓練と言っても、穂乃実ちゃんは自分のフォビアをかなり使いこなせる様になって来た。今更、僕の指導なんか必要ないぐらいに。寧ろ僕が教えを乞わないといけない立場じゃないだろうか?

 フォビアの制御能力で言えば、子供達は大人とそう変わらない。全員寮に移っても問題ないと思う。ただ……独り暮らしをさせられるかどうかという点で見れば、疑問がある。誰か大人の人と一緒に暮らせればいいんだけど、見ず知らずの子供と一緒に暮らしたがる人なんて、そうそういないだろう。


 それはともかく、僕は穂乃実ちゃんと実験室で二人だけ。話すなら今しかないと、僕は思い切った。


「穂乃実ちゃん、大事な話がある」

「何ですか?」


 ちょっと驚いた顔をする穂乃実ちゃん。小さな子に余りきつい事は言いたくないんだけど、そんな事を言ってる場合じゃない。


「昨日の事なんだけど……」


 途端に穂乃実ちゃんは気まずそうな表情になった。

 自覚はあるんだな。責めたりはしたくないけど、言わないといけない。善悪の判断を迷わない様に。これも年長者の責任って奴だ。


「あれはやっぱり良くないと思うんだ」

「でも……」


 穂乃実ちゃんは素直に頷かずに、言い返そうとした。意外だった。フォビアを使う事を嫌うと思っていたのに。


「気持ちは分かるよ。他の皆も思う事は同じだ。あいつ等、こっちがやり返さないのを良い事に、調子に乗って。ムカつくし、許せないと思うよな?」


 今度は穂乃実ちゃんは力強く頷いた。

 これは相当ストレスを溜め込んでいたんだなぁ……。


「でも、フォビアで人を傷付けるのはいけない」

「どうしてですか? みんなやってるのに」

「皆?」

「Cキカンの人たちもカイホー運動も」

「だからって……解放運動みたいに自分の勝手で超能力を使っちゃいけない。C機関の人達だって、仕事で超能力を使う事はあっても、自分の都合だけで超能力を使う事は無いんだよ」


 僕は穂乃実ちゃんに説明したけど、納得はしてくれないみたいだ。まだ不満そうな顔をしている。


「わたしは、みんなのためを思って……」


 自分勝手じゃないと言いたいのかな?


「そういう事じゃなくて……。その気持ちは大事だけど、違うんだよ」


 口先だけの説明で分かってもらおうとは思っていなかった。穂乃実ちゃんになら話してもいいと決めていた。


「ちょっと長くなるけど、僕の話を聞いて欲しい。僕のフォビアについての話だ」


 二回深呼吸をして、僕は心を落ち着けて言う。大丈夫、一度は人に話した事だ。


「穂乃実ちゃんは、僕のフォビアが何か知ってるかな?」

「フォビアを使えなくするフォビアだって聞きました。上ザワさんに」


 上澤さんか……。まあ他に人のフォビアについて話しそうな人はいないな。


「これからどうしてそんなフォビアになってしまったのかって話をしようと思う」

「はい」

「あれは去年の春の事だ。僕が通っていた中学校に転校生が来た。その転校生がフォビアを持っていて……フォビアの力でクラスを支配してしまったんだ」

「マモルさんのフォビアで何とかできなかったんですか?」


 穂乃実ちゃんは率直な疑問をぶつけて来る。僕だって何度も思った事だ。あの時にこの力があれば……。

 僕は苦笑いして答えた。


「まだフォビアに目覚める前だったからね。どうにもできなかった。それで……間の悪い事に、僕の友達が転校生の虐めのターゲットになってしまって。それもどうにもできなかった。僕にはどうにもできない事が多過ぎた」


 自分で言ってて悲しくなって来た。

 本当に僕にはどうにもできなかったんだろうか? それは違うんじゃないか……? 僕にもう少しだけ勇気があれば、何か変わっただろうか?

 僕は急に頭に浮かんで来た疑問に、何度も首を横に振った。また後ろ向きになって来たぞ。前を向くんだ、前を。何のために、この話をしていると思っているんだ?

 僕は一度大きく深呼吸をしてから続きを語る。


「結局、僕の友達は死んでしまった。僕が何もしなかったばっかりに。それが僕のフォビアだ。どうにかしたかったけど、できなかった自分、やらなかった自分、無力な自分。それが……無力化のフォビア」


 冷静に語っているつもりだけど、勝手に目が潤んで来る。涙を堪えると、胸が詰まった様に苦しくなる。あの時は平気だったのに、これはどうした事なんだ? 一体何が違うんだ?

 それでも……どうにか泣くのは堪えられた。僕が安心していると、ひっくひっくとしゃくり上げる様な声が耳に届く。何事かと思って顔を上げると、穂乃実ちゃんの方がぽろぽろと大粒の涙を零している。


「君が泣く事は無いじゃないか……」


 感受性の強い子なんだろう。フォビアを持つ子だから、余計になのかも知れない。

 もらい泣きしそうになるのを堪えて、僕は穂乃実ちゃんにハンカチを渡した。

 穂乃実ちゃんが泣き止むまで、僕は静かに待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る