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 僕と沙島さんは、上澤さんの高級チョコレートを半分ぐらい、缶の中身を五分の一ぐらい食べて、ティータイムを終えた。

 時刻は十一時。まあ、ちょうどいい時間だろう。間食を取り過ぎると、お昼を食べられなくなっちゃうからね。

 昼食までの一時間、ちょっと腹ごなしでもしようと、僕はジムに向かった。有徳さんの指導を受けて筋力トレーニングをするのも久し振りだ。


「向日くん、久し振りだな。海外に出張だったんだって? どうだったい?」

「どうもこうも……やっぱり日本がいいですよ。言葉は分からないし、ご飯も全然違いますし。慣れない環境は疲れます」

「ファハハハハ、若さが足りんど! 俺なんか若い頃ぁ、筋肉一つで世界中を飛び回っとったもんよ」


 筋肉一つってのはホラにしても吹かしすぎだろうと思うけれど、海外旅行の経験があるのは確かなんだろう。


「外国語とかどうしてんたんですか?」

「言葉なんか、ヘロー、サンキュー、イエス、ノー、アイ・ラブ・ユーとシーユーで十分よ。アイ・ウォントとゴーツーも使ったかな? 後は地図持って、身振り手振りでどうにかならぁな。『アイ・ウォント・ゴーツー、どこどこ?』で、『アイシー・ユーシー・イヤー・イヤー、サンキュー・シーユー・グッドデー』ってな」

「食事とかは……?」

「好きだの嫌いだの言わなきゃ、どうにでもならぁな。ちょっとぐらい飯がマズかったからって、死にゃあしねぇし。ウマいマズいも食ってみなけりゃ分かんねえ。人生ってなぁ、知らない事を味わうために生きてんだ。この年になっても、アラブだろうがブラジルだろうがヒマさえありゃ飛んで行くど」


 羨ましいぐらいの逞しさだ。僕も見習わないといけない。



 それから十二時までトレーニングをして、僕は食堂に入った。

 ああ、白いご飯がおいしい……。日本に帰ってから一日経つけど、以前よりおいしくなった気がする。普通に食べているだけなのに、とても感動している自分がいる。思わず笑みが零れるぐらいだ。まさか僕のいない一ヶ月で、日本のお米がおいしく進化した訳じゃないだろう。これが故郷の味って奴なのかな?

 僕が一人で感慨にふけっていると、高台さんが話しかけて来た。


「隣、いいかい?」

「はい」

「ロシアはどうだった?」

「寒かったですね」

「ははは、そりゃそうだ」

「いや、尋常じゃなかったですよ。ただでさえ寒いのに、更に高い山の上で」

「災難だったな。でも、元気そうで安心したよ」

「まあ、日本に帰って少し気力が戻りました」


 自分で言っておいて、内弁慶な気質だなと僕は心の中で自嘲した。もっと多くの経験を積んで、長期の海外滞在にも動じない精神力を身に付けよう。

 そう、ロシアが悪いんじゃないんだ。時期と状況が悪かった。


 僕と高台さんは、同時に昼食を食べ終わる。

 二人で食器を窓口に戻しに行くと、食堂のおばちゃんが僕に話しかけて来た。


「あ、向日くん。これ」


 渡されたのは袋詰めのお菓子だった。


「食堂の皆から」

「ありがとうございます」


 そのやり取りを見ていた高台さんが、不思議そうな顔で僕に言う。


「何? 俺そんなのもらった事ないんだけど?」

「バレンタインデーですよ」

「知ってるよ。そんな事は分かってるんだよ」

「去年、お世話になったお礼に――」


 僕と高台さんが二人で話しながら食堂から出ると、今度は売店の吉谷さんが僕に駆け寄って来た。


「向日くん、はい、これ」


 差し出されたのは小さな箱。

 僕は素直に受け取って、お礼を言う。


「ありがとうございます」

「やー、なかなかタイミングが分からなくて。じゃあね」


 小走りで去って行く吉谷さんを、ちょっと照れ臭い気持ちで見送っていると、隣にいた高台さんがドン引きしていた。


「えぇ……向日くん、どうなってんの?」

「どうって……いや、その、だからですね、これは去年、皆さんにお世話になったお礼にと思って、ホワイトデーにお菓子を配ったんですよ。そのお返しなので、そんな深い意味とかは無いです」

「お世話になったお礼なら、俺にも何かあって良くない?」

「えっ、お菓子が欲しかったですか?」

「そうじゃないけどさぁ……。向日くん、君がそんな奴だとは思わなかったよ」


 幻滅されている!? 女の人だけにお菓子を配ったのが良くなかった?

 いや、そういう意味じゃないんだよ。事務所とかメディカルとか、女の人が多いってだけで、女性限定って意味で渡した訳じゃないし。食堂だって吉谷さんと有徳さんの分も合わせて、皆で一つの箱詰めを贈っただけだから。

 それに、お返しがないからって配るのをやめたりもしないよ。地下の子供達に贈ったのも、柊くんも含めてだからね。彼だけ仲間外れにしたつもりはないよ。

 フォビアの人は……女性限定になってしまったけどさ。でも男同士では、こういうプレゼントって要らなくない? あれ? 違う?


「今年は何かお礼した方がいいでしょうか……?」

「冗談、冗談。しなくていいよ。ただ、君はそういう事をする人なんだなって」

「どういう意味ですか……?」

「いやはや、子供だと思って侮っていたなぁ」

「えぇ……?」

「悪い意味じゃなくて。いやいや、勉強になったよ。成程……成程なぁ」

「あの、ロシアのお土産に買ったマトリョーシカのキャンディーとか、ありますよ」

「そういう意味で言ったんじゃないよ」


 じゃあ、どういう意味なんだ?

 僕が不満を顔に表すと、高台さんは苦笑いした。


「そう怖い顔をしないでくれよ。だから、半分は冗談だって」

「もう半分は……?」

「……嫉妬、意外、感嘆、驚嘆……そんな感じだな」


 どんな感じか全く分からない。悪く思われてないからって安心していいのか?

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