それぞれの事情
1
翌朝六時に僕は起床する。携帯電話を確認すると、深夜に上澤さんからのメールが届いていた。内容は今日フォビアの話をしに来る人の順番だ。
本日
午前
・沙島甘子 サトウ カンノコ
・倉石強 クライシ ツヨシ
・由上有 ユガミ アル
午後
・船酔廻 フナヨイ マワル
・ステサリー・フラン
・灰鶴悲廉 ハイヅル ヒレン
・刻速停 トキ ハヤト
翌日
・耳鳴覚郎 ミミナリ サトロウ
・高台挙 タカダイ タカシ
・勿忘草レイナ ワスレナグサ
丁寧に漢字にカナを振ってくれている。漢字だけだと読めないと思って、配慮してくれたんだろう。変わった名前が多いのは、やっぱりコードネームだからなのかな? 倉石さんとか高台さんは、ありそうな名前だけど。
そんなこんなで午前九時、最初に僕の部屋を訪ねて来たのは、予定通りに沙島さんだった。
お茶とお茶菓子を用意した僕に、沙島さんは言う。
「甘い物はちょっと」
「あ、済みません。ダメなんでしたね」
僕はお茶菓子を下げて、沙島さんの対面に座る。
「フォビアの話って言っても、私のフォビアについては前に話しちゃったよね」
「そうですね」
「何か知りたい事ある?」
沙島さんに問われた僕は、少し考えた。
「沙島さんはいつ頃フォビアに目覚めたんですか?」
「中二だったかな。当時の私は太っててね。しかも食い意地が張ってたから、甘い物を食べ過ぎて」
えっ、そんな事で?
僕が唖然としていると、沙島さんは苦笑いして恥ずかしそうに言う。
「あはは……自分でもつまらない事だと思うんだけど。それ以来、甘い物を受け付けなくなっちゃったんだよね。それを今まで引き擦ってるのも、どうかとは思ってるんだけど……特に困ってはいないから、別に治らなくても良いかな」
「困ってないんですか?」
「甘いのがダメなだけで、他は普通に食べられるからねー。少しくらい砂糖が混ざってても、強い甘味さえ感じなければ平気だよ。最初はちょっとでも甘いとダメだったんだけど、まあ……慣れだね」
沙島さんのフォビアの判定は甘いみたいだ。
「逆に、実際は甘くなくても、見た目が甘そうだとか匂いが甘いだけでダメな時もあるんだけどね。甘い匂いの香水や芳香剤なんかも苦手だよ。オエッってなっちゃう」
いや、甘くないのか? 明確な基準がある訳じゃなくて、飽くまで本人の気分の問題なんだろう。
そこで僕は思い付いた。
「ちょっと思ったんですけど、アレルギーのフォビアってあるんですか?」
「アレルギー?」
「例えば、エビ・カニアレルギーの人がフォビアに目覚めて、他人にアレルギーを引き起こさせる事とか……」
「あるんじゃない? あってもおかしくないよね。私みたいなのでもフォビアになるんだから」
「そうじゃなくて……アレルギーのフォビアなら他人をアレルギー体質にする事はできるのかなって思いまして」
恐怖や嫌悪を感じるなら、何でもフォビアになる。でも、アレルギーみたいな体質の問題まで伝染するんだろうか? アレルギーで発生した苦しみを他人に与える事はできるだろうけど、アレルギー自体は移せないんじゃないかって事だ。
沙島さんは難しい顔をして考え込んだ。
「どうだろう? そんな人に会った事が無いから分かんないや。ごめんね」
「いえ、ちょっと思っただけなんで。気にしないでください」
知らないならしょうがない。沙島さんよりも上澤さんに聞くべき事なのかも。
「他に何か知りたい事はある?」
「今は無いです。ありがとうございました」
「どういたしまして」
沙島さんが出て行った後、僕は片付けをしながら考える。
フォビアに慣れてしまった人、フォビアを失っても失わなくても、どうでも良い人もいる。フォビアだからって必ずしも何とかしないといけない訳でもないんだ。
本日二人目は倉石さん。
「私は幼い頃から暗闇が怖くて怖くてしょうがなかった。フォビアに目覚めたのは、小学校四年生だったかな? クラスの半分ぐらいが集まって、近所の墓地で肝試しをしようって話になった。そこで……出たんだよ。いや、本当に出たかは分からないんだが……。何も分からないまま、皆が大騒ぎして逃げ出して。私も極度の恐怖と緊張に襲われて……気絶した。そのまま置き去りにされた私は、また都合の悪い事に夜中に目覚めてしまった。真っ暗な墓地の中で、私は風の音や動物の気配に怯えながら、一夜を過ごす事になった」
僕も小さい頃は暗い所が怖かったから、気持ちは分かる。今では何とも思わないんだけど、小学校低学年くらいまでは、ただただ怖かった。暗闇を恐れるのは本能なんだと思う。
「肝試し事件から、私は暗闇が一層怖くなった。暗闇の中で私の近くにいた家族や友人は、フォビアの影響であり得ない物を見た。それは幽霊だったり化け物だったり、人によって様々だった。逆に私自身は、そんな物は見なかった」
「どうしてなんですか?」
「私にも分からない。私の恐怖の対象は、飽くまで暗闇自体なのだという事なのかも知れない」
伝播した恐怖が、人それぞれの恐ろしい幻覚を見せたという事なんだろうか?
そこで話は一旦途切れ、倉石さんはお茶を飲んだ。
僕は倉石さんに質問する。
「倉石さんはご自分のフォビアをどうしたいとお考えですか?」
「……どういう意味だい?」
「使いこなしたいとか、無くしたいとか」
「あぁ、無い方が良いんだけど……訓練でかなり慣れて来ているから、無理に失わなくても良いんじゃないかとも思っている。自然にフォビアを失う時が近いのかも知れない」
「そうなんですか?」
「確実な事は言えないけど、そんな感じがしている」
倉石さんはフォビアじゃなくなるかも知れないのか……。おめでとうと言って良いのかな? まだ確実じゃないから早いか? 恐怖症を克服してフォビアを失うなら、それは良い事なんだろうけど。
「さて、私の話は大体終わった訳だが……」
「ありがとうございました」
「それじゃ、私は帰ろう」
倉石さんが帰った後、僕はフォビアを失う事について考えた。
フォビアを使いこなそうとしても、恐怖に慣れたら失うって、凄く不安定なんじゃないか?フォビアを役に立てようと思うなら、フォビアを失う事も恐れないといけなくなる。それは避けては通れない道なんだろうか……。
三人目は由上さん。由上さんは真っ黒なサングラスをかけていた。
「僕のフォビアでは人が醜く見えます。中学生ぐらいの時から、人が醜く歪む妄想が始まりました。自分も他人もです。そう思いたくなくても、思ってしまうんですよ。よく見れば、そんな事はありません。でも、そういう妄想が頭から離れないんです。不安になって見詰めていると、また歪みが始まります。ゲシュタルト崩壊みたいに。その内、人の顔を見る事が怖くなりました。目や鼻といった顔のパーツが、極端に大きく見えたり小さく見えたり、顔が曲がったり捻じれたり。顔だけじゃありません。体型もそんな風に見える時があります」
「今もですか?」
「そうです。だから、普段は何も見ない様にしています。このサングラスは向こう側が見えません。僕は目で見ないで、超能力で物の気配を感じ取っています」
「えっ、そんな事ができるんですか?」
「はい。僕にとっては超能力は視覚よりも頼りになります」
「透視能力……ですか?」
「少し違います。物体のシルエットだけを読み取る、第三の目がある感じです」
日富さんの人の考えを読む能力を聞いた時も驚いたけど、由上さんもフォビアじゃない超能力を持っているんだな。フォビアも超能力の一種だから、フォビアの人も超能力者になれる可能性は理論上あり得るんだろうけど、両方とも持っている人は初めて見た。
僕も超能力者になれるのかな?
「何か質問はありますか?」
「その超能力って、どんな訓練をしたんですか?」
「訓練……と言うより、普段の生活です。なるべく人を見ないために、目を閉じている事が多かったので。高三の時には時々目を開けるだけで、何とかなっていました」
由上さんは素質があったのかも知れない。どんな超能力者になれるのか、訓練で望んだ能力が得られるなら、世の中もっと超能力者だらけだろうし。
あ、でもフォビアと反対のポジティブな能力の持ち主は、普通に社会で活躍しているんだっけ。政治家とか芸能人とかスポーツ選手とかで。僕もどっちかって言うと、そっちの方が良かったな。
こんな事を言ってもしょうがないか……。皆井さんの言う通り、なりたくてなる人はいないし、なった以上は付き合うしかない。それがフォビアなんだ。
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