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午前中の訪問が終わり、昼休憩を挟んで午後一時、次の訪問者は船酔さん。
「俺のフォビアは乗り物酔いだ。名前こそ『船酔い』だが、船だけじゃなくて車でも電車でも飛行機でもダメだ」
「乗り物はどれもこれも全部ダメなんですか?」
「そうじゃない。乗ってるだけなのがダメなんだ。自分で運転すれば、多少は平気になる。人の運転だとバイクや自転車でもダメだ」
「どうしてそんな事に……」
「ガキの頃から乗り物には弱かった。車に乗せられると五分で酔ってた。小中高と学校の行事で電車やバスに乗る度に嫌な思いをした。多分そのせいだな」
僕は乗り物酔いしないから分からないけど、酔うにしても全部が全部ダメって事があるのか? ……あるからフォビアなんだろうけど。
それにしても知らない人と話すのにも、慣れて来たなと自分で思う。一度話せば、もう知らない人ではなくなるし、一対一で会って話すって事は僕が思っていたよりもずっと重要なのかも知れない。
「船酔さんはご自分のフォビアをどうしたいと思っていますか?」
「そうだなぁ……乗り物がダメなのは克服したいと思うけど、フォビアに関してはどうでも良いな」
「どうでも良い?」
「恐怖症さえ治れば、フォビアはどうでも良いって奴は多いと思うぜ」
「怖さを感じなくなれば、フォビアも消えるからですか?」
「それもあるが……仮にフォビアが消えなくても、日常生活に問題が出なければ良いんだ。この寮にいる奴は、大体フォビアを制御できてるしな。それでも役に立たないフォビアはいらないって奴もいるんだが」
「船酔さんのフォビアは……使い所と言うか、そういう場面はあるんですか?」
僕は素直な質問をしたつもりだったけど、船酔さんは苦笑いする。
「意地の悪い事を聞くなよ、お前。そんなに役に立ちゃしないけど、ハイジャックとかに遭遇した時には使えると思ってる。実際に役に立ったことは、これまでの人生で一度も無いがな。全く、日本は平和で結構な事だ」
船酔さんは自嘲気味に鼻で笑った。
確かに、人を酔わせて何かメリットがあるかって言うと……無いよな。乗り物酔いだから気分が悪くなるだけだし。
「俺が話せる事はこのぐらいだな? 他に何かあるか?」
「いえ、ありがとうございました」
船酔さんもフォビアを深刻には考えていない。そもそも船酔さんの場合は、乗り物にさえ乗らなければ、フォビアが発動しない。だから、ここで暮らしている分には問題だと思わないんだろう。
逆に視線恐怖症や暗闇恐怖症は、そうはいかない。人と全く会わずに生きる事は難しいし、どこだろうと夜になれば暗くなる。フォビアに対する態度は、日常生活への影響の有無によって大きく変わるみたいだ。
本日五人目の来客は、ステサリーさん。
「私のフォビアは物を腐らせる能力です。
「生物って言うと、お肉とか野菜とか?」
「そうです。あ、生物以外でも、賞味期限の短いのは要注意です。パンとか、すぐにカビてしまいます」
「ステサリーさんは何が原因で、そんなフォビアになったんですか?」
「……よく分かりません。動物の腐乱死体を見た事があります。それが関係しているかも知れません。腐って虫が湧いた野菜を見た事があります。それも関係しているかも知れません。とにかく、腐っていて、酷い臭いがして、グズグズになっている状態が恐ろしいと感じます。塩辛なんかも実は苦手です」
話が一区切りすると、ステサリーさんはキョロキョロと室内を見回した。何だろうと僕が思っていると、ステサリーさんは恥じらって言う。
「あっ、ごめんなさい。近くに腐る物が無いか心配で……」
「無いと思いますよ。話は変わりますけど、ステサリーさんはご自分のフォビアについて、どう思っていますか?」
「どうって……?」
「使いこなしたいとか、無い方が良いとか」
僕の問いにステサリーさんは少し考えてから答えた。
「実は……私の能力、使い道があるんじゃないかと思っています」
「それは……どんな?」
「発酵食品とか作れるんじゃないかなって。大量生産は無理ですけど、そこまで大きな事はできなくても、ちょっとでも役に立つ事があれば、自分を肯定的に見る事ができると思うんです」
一瞬でもしょうもないと思った事を僕は恥じた。どんなに小さな事でも、何かの役に立つ事で、自分自身を肯定できる様になる。自己肯定。自分に自信を持つ事。
「だから、使いこなしたい?」
「はい。いつかは無くなってしまう力だとしても」
ステサリーさんは自分のフォビアを過大評価していない。世のため人のためとか大きな事を考えている訳じゃない。それでも自分のフォビアを前向きに受け止めようとしている。そういう人もいるんだ。
六人目は灰鶴さん。灰鶴さんは僕の部屋に入るなり、部屋の隅を気にした。頻りに天井や床の角に目を向けている。
「どうしたんですか?」
「いや、ごめん。虫がいないかと思って」
「いないはずですよ。ちゃんと片付けてますし」
「それなら良いんだけど」
「どうぞ、こちらへ」
灰鶴さんをリビングに通して、お茶とお茶菓子を用意する。
その時も灰鶴さんは部屋の隅を気にしていた。そんなに虫が怖いんだろうか?
「私は虫の中でも、這い回るのが特にダメなんだ。アリとかクモとかムカデとか芋虫とか、そういうの。見ただけで全身に鳥肌が立って動けなくなる」
「フォビアになった原因とか……」
「思い出させないで」
灰鶴さんに強い口調で言われて、僕は口を閉じる。触れてはいけない過去だったらしい。気まずい空気になってしまった。
「その、灰鶴さんはご自分のフォビアをどうお考えですか?」
「……良いとは思わないかな」
「失くしたいという事ですか?」
「そうだね。大して役にも立たない能力だ。失っても惜しいとは思えない」
僕は灰鶴さんの言い方に違和感を覚えた。失くしたいと言う割には、積極性が感じられない。自分の能力を忌み嫌っているなら、こういう言い方はしないと思う。人前だから、表現を抑えているだけなんだろうか? 大して役に立たないって事は、逆に言えば、全く役に立たない訳ではないって事になるんじゃないか?
ちょっと気になったので、僕は聞いてみた。
「灰鶴さんは恐怖症を克服したいと考えてますか?」
「克服……する必要ある? 嫌な物は嫌で良いじゃない。私が無理して嫌いな虫に慣れるとか、あり得ないし。逆に虫の方が私の前から消えるべきだよね」
そ、そういう風に考えるのか……。どっちにしても虫は灰鶴さんに配慮なんかしないんだから、慣れた方が良いと思うんだけどな。ここまで開き直れるって、ある意味では羨ましい。
本日七人目は刻さん。この人で今日は最後だ。
「俺のフォビアは時間の進む速度を変える。速くする事も、遅くする事もできる」
「それって凄い能力じゃないですか?」
刻さんのフォビアは、今まで会った誰よりも有用な能力だと思う。C機関が放っておくとは思えないんだけど……。
「完璧に使いこなせれば、そうだったんだけどな」
まあ、そうですよね。そうじゃないから、ここにいるんですよね。
「俺は制限時間が大の苦手で。人生で初めて制限時間を意識したのが、小学校のテストだった。それ以来、余裕が欲しい時には時間が速く進み、逆に早く終わって欲しい時には時間が遅く進んでいると感じる様になった。体感時間が狂うんだな。フォビアが発覚したのは、高校受験の時だ。同じ試験会場の受験生全員を巻き込んで、散々な点数を叩き出した」
「刻さんはフォビアを使いこなそうと思ってるんですか?」
「ああ。自分でも制御できれば便利な能力だと思う」
刻さんに限らず、有用な能力を持っている人は、それを何かに役立てたいと思うものなんだろう。雨田さんも、僕も……。
「だが、そう簡単じゃなかった。フォビアは恐れが生み出す力だ。恐れが無ければ、フォビアは使えない」
「自由に時間の進み方を遅くしたり速くしたりはできないって事ですか?」
「そうだ。恐らくだが、永遠に無理だろう。制限時間を意識する必要がある。それでも使い道は多いから、使いこなしたいと思っている」
「どのくらいまでの事なら、できるんですか?」
「今は暴走を抑えるだけだ。発動には俺自身の焦りが必要になる」
刻さんの言葉を聞いて、僕は不安になった。本当に僕はクラスCと呼ばれる存在になれるんだろうか? フォビアと恐怖心は切っても切り離せない。僕のフォビアが無力感から来ているとして、どうしようもない窮地でしか、その能力を発揮できないとしたら。果たして、それは役に立つと言えるんだろうか?
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