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午後五時になり、七人のフォビアの人達の話を聞き終えた僕は、長い溜息を吐く。多くの人の話を聞けば、今まで知らなかった事や、分からなかった事に触れられる。有意義な時間だったとは思うけど、とても疲れた。それも明日の午前中、残り三人で終わる。
部屋を片付けて、夕食のために一階に降りると、倉石さんと食堂で会う。倉石さんは暗所恐怖症だから、暗くなる前に夕食に出るみたいだ。
人の多い所が苦手な皆井さんや由上さんは、もっと人の少ない時間帯を選ぶんだろうか? それか食堂じゃなくて売店を利用するのかも知れない。仮に孤独恐怖症の人がいたら、逆に人の多い時間帯を選んだりするのかな?
日常生活に影響する恐怖症を持っている人の苦労は計り知れない。これに制御できないフォビアが加わると、手が付けられなくなるだろう。フォビアを制御できない人が地下に閉じ込められるのも、しょうがない事なのかも……。だからって、いつまでも閉じ込めておくのは良くない。普通の生活に戻るには、早くフォビアを制御できる様になるしかない。そして……僕にはその手伝いができるかも知れない。
翌朝六時、僕の携帯電話に上澤さんからメールが届いた。
午後一時に副所長室に来なさい。
重要な話がある。
……重要な話って何だろう? フォビアの人達について、何か聞かされるのかな?
今日の午前中で、寮にいるフォビアの人達とは大体会った事になる。それと無関係な話をされる事は無いだろう。
午前九時、今日最初の来客は耳鳴さんだ。
「私は小学校の頃にサッカーボールが耳に当たって、それから難聴と耳鳴りに悩まされる様になった。特に雑多な音の聞き分けが難しくて、急に耳鳴りがして音が聞こえなくなる。大音量を聞かされても同じだ。静かな所でないと心が落ち着かない」
「……今は大丈夫なんですか?」
「ああ、ここは静かだからね。静かな所にいれば、フォビアは発動しない。若い頃とは違って、今では耳鳴にも慣れてパニックを起こさなくなったから、安定していると言えば安定している」
耳鳴さんは自分のフォビアを制御できているのかな? 気になった僕は、率直に聞いてみた。
「耳鳴さんのクラスは何ですか?」
「クラス? あぁ、Bだよ。Cになれれば良かったんだが……」
なれれば良かった?
「もうなれないんですか?」
「この年では難しいだろう。耳鳴も治る気配がない」
耳鳴さんはフォビアを使いこなす事を諦めている。僕も十年後、二十年後までフォビアを使いこなせなければ、諦めなくちゃいけないんだろう。
……余り先の事を考えるのは止そう。
「耳鳴さんはご自分のフォビアについて、どう思いますか?」
「どうって、嫌だと思うよ。そもそもフォビア自体を好ましく思っていない。自分の嫌な感覚を他人に押し付ける能力って、いやらしいと思わないか?」
「……そうですね」
「喜びや楽しみを分かち合えるならともかく、フォビアは基本的にネガティブな能力だから」
耳鳴さんはフォビアを良く思っていない。自分のだけじゃなくて、フォビアという能力を忌まわしく思っているんだ。
「私のフォビアは他人に耳鳴りを起こさせて、正常な聴力を失わせる。この能力自体には、使い所はある。だが、それは私の望む超能力のあり方ではない」
「耳鳴さんが望む超能力のあり方って、何ですか?」
「私は小さい頃から耳が良かった。小さな音を聞き分けるだけでなく、人の言葉の真偽を聞き分けられた。多少の衰えはあるが、今でも……」
本当かなと僕が思っていると、耳鳴さんは眉を顰める。
「所詮は自己申告だ。無理に信じてもらおうとは思っていない」
「いや、そんな事は……」
「取り繕わなくても良い。声で分かる」
耳鳴さんは本当に超能力者なんだろうか? 本当はフォビアじゃなくて、超能力者として活躍したかったのかな? 超能力者としてのプライドがあるから、フォビアを受け入れられないのか……。そういう人もいるんだな。
本日二人目の来客は高台さん。
「俺のフォビアは高所恐怖症だ。低所恐怖症も持っている。高い所から低い所を見下ろしたり、低い所から高い所を見上げるのがダメだ。見上げたり見下ろしたりしなければ大丈夫」
「そのフォビアになった原因とかは……」
「高所恐怖症は生まれ付きだ。低所恐怖症は……いつの間にかなっていた。高い所を見上げると、高い所を想像してしまうんだな、多分。フォビアが覚醒したのは、ある時に飛び降り自殺を見たせいだ」
飛び降り自殺と聞いて、僕はドキッとする。あっと言う間に頭が真っ白になって、全身の動きが止まる。
いけない、いけない。生唾を強引に飲み込み、一度大きく深呼吸。
心臓が止まったかと思った。まだバクバクと鳴っている。
高台さんが怪訝な顔をする。
「どうした?」
「いえ、何でもないです。続きを」
「酷い死に様だった。頭が割れて、真っ赤な血が流れて……」
ダメだ。気分が悪くなって来た。僕は口元を押さえて訴える。
「待ってください」
「グロい話はダメか?」
「……はい。済みません」
「いや、それが普通の反応だろう。好んで聞きたがる方がおかしい」
正確にはグロがダメな訳じゃないけど、そういう事にした。気分が落ち着くまで、少し待ってもらう。
十分後、僕は改めて話の続きを促した。
「もう大丈夫です。フォビアの話を聞かせてください」
「……俺から話す事は何も無いんだけどな」
「あ、それでは……高台さんはご自分のフォビアをどう思っていますか?」
「普通かな」
「普通?」
「そう、良くもなく、悪くもなく。特別に便利でもなく、不便でもなく」
高台さんは自分のフォビアに慣れているんだな。こういう風に言えるって事は。
「治したいとか、そういう事は考えてませんか?」
「高所恐怖症は治したいけどな。フォビアは……あっても無くても」
沙島さんと似た感じなのかな?
フォビアにも苦しまない人、苦しんでしまう人、受け入れられる人、受け入れられない人。色んな人がいるんだ。皆が自分のフォビアを受け入れられる様になれば良いのに。でも、それは僕の勝手な願いでしかないのか……。
最後の来客は勿忘草さん。
「私は勿忘草レイナです。初めまして?」
「いや、初めてじゃないですよ」
「あっ、そうでした……」
勿忘草さんは恥ずかしそうに笑う。
ほわほわした感じの人だけど、大丈夫なのかな?
「えーーーーと……何の話をするんでしたっけ?」
「フォビアの話です」
「フォビアの……何を話せば良いの?」
「まずはフォビアの性質から、お願いします」
この人、本当に大丈夫? いつもこんな調子なら、日常生活も怪しくないか?
「へへへ、ごめんなさいね。ちょっと緊張してます。私は勿忘草レイナ、フォビアは記憶障害です。人の記憶を消します」
「記憶を消すってヤバくないですか?」
「大丈夫、大丈夫。短い間の記憶だけです。全部消しちゃったら、まずいですよ」
「そ、そうですか……。フォビアに目覚めた原因とか、ありますか?」
「私ですね、緊張しちゃうと、記憶が飛ぶんです。中学のスピーチコンテストでやらかしまして。それからですね」
勿忘草さんは嫌な顔をしない。フォビアの原因になった事を語る時って、大体は嫌な思い出を話す事になるから、そういう反応が無いって事はフォビアに慣れているのかな?
「勿忘草さんはご自分のフォビアを……どうお考えですか?」
「どうも思ってませんけど。あっ、ちょっと役に立つかもとは思ってます。嫌な事、忘れられますから」
……この人、本格的にまずいんじゃないかな? 過去のやらかしを笑顔で語れるのって、当時の「嫌な思いをした」って記憶を忘れてるだけだじゃないか? 時には嫌な思い出を忘れる事も必要だろうけど、それで良いのか?
「このフォビアを失うくらいなら、記憶障害が治らなくても良いと思ってます」
「そこまで!?」
そんなに強い思い入れがあるとは……。自分のフォビアが役に立つっていう確信があるのか?
驚く僕に、勿忘草さんは言う。
「私のフォビアは、他の人のフォビアを一時的に無効化できるんですよ」
「無効化?」
「嫌な記憶を飛ばしてしまう事で、その瞬間を忘れられるんです。トラウマを刺激した瞬間の記憶を消せば、何も感じなかった事にできます」
多分だけど、勿忘草さんはフォビアの人を助けた実績があるんだろうな。だから、自分の能力に自信を持っている。
僕も勿忘草さんみたいになれるんだろうか?
でも、記憶障害は治った方が良いと思うんだけど……。
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