ペンションにて
1
僕達は二時間ちょっとかけて富士山麓のペンション――「ブンブンの森」に着く。太陽は既に大きく西に傾いて、辺りは少し夕焼け色。市街地のホテルに向かわなくて良かった。もう一時間も経てば、完全に陽が落ちて暗くなっていただろう。
部屋が空いていると良いんだけど……と思いながら、ペンションの受付に行くと、故障さんと眠さんが青い顔をしていた。
「どうしたんですか?」
僕が尋ねると二人は申し訳なさそうな顔をした。
少しの間を置いて、故障さんが小さな声で言う。
「お金が無いんです……」
「えっ?」
大人が二人して財布を持ってないって、そんな事ってあるのか?
「財布を失くしたんですか?」
「財布は車の中に置いてあって、車の鍵を持ってたのが不動さんで……」
「あぁ、それは……しょうがないですね。取り敢えず、まとめて清算しておきます」
車の窓やドアを壊す訳にもいかないし、ここから病院に行くのにも時間がかかる。
C機関の二人の代金をウエフジ研究所の領収書にツケて良いのか少し考えたけど、その辺は上の方の人か事務の人が話を付けてくれるだろう。
もしもの時のために財布には十万円ぐらい入れて持ち歩いているから大丈夫。長い人生、何が起こるか分からないから、財布の中身は少し多めに。それが父さんの口癖だった。父さん、あなたの教えは正しかった。
「部屋はどうしましょう?」
「大部屋で構いません。ご迷惑はおかけしませんから」
「では、四人で一つの部屋にしましょう」
そんな訳で僕達は一つの部屋に泊まる事に。
男女四人で一つの部屋に泊まる……と言っても、何か起こる訳もなく、普通に男二人と女二人で分かれて行動する事に。C機関の二人が入浴している間、僕と開道くんは洋風の客室で待機。二人してそれぞれのベッドの上で一息吐く。
開道くんは自分のフォビアで人を傷付けた事実に、すっかり落ち込んでいた。
吸血鬼かブレインウォッシャーか、どっちの仕業かは分からないけど、絶対に許す訳にはいかない。だけど、今は連中への怒りは置いといて、自分にできる事をしないといけない。
僕は携帯電話を取り出して、浅戸さんの番号にかけた。呼び出し音が数回鳴った後、浅戸さんが電話に出る。
「向日くん、今どうしている?」
「開道くんが無事に目を覚まして……今はC機関のお二人と四人で、ブンブンの森っていうペンションにいます」
「C機関の二人って、『故障』と『眠』か?」
「はい。それより浅戸さん、大丈夫ですか?」
「ああ、念のため一日入院する事にはなったが、特に異常は見付からなかった。明日の朝には退院できる」
「それは良かったです。他の二人は?」
「他の?」
「公安の人と、C機関の……不動さん」
「ああ、その二人な。公安の尾先も異常は無かった。C機関の不動は意識を取り戻しはしたが、精密検査は明日だ。簡易検査で記憶力や判断力の衰えは見られなかった様だから、大丈夫だとは思うがな」
「分かりました。ありがとうございます」
取り敢えず、大事に至らずに済んだみたいで良かった。これで開道くんも安心できるだろう。
「それで今後の予定なんですけど、一緒に帰れそうですか? それとも僕達だけで先に帰る事になるんでしょうか? 一応、上澤さんにも連絡したんですけど」
「道中、何があるか分からないからなぁ……。一緒に車で帰った方が安全だと思う。宿は『ブンブンの森』だったな?」
「はい、そうです。ペンション・ブンブンの森」
「明日の正午には、車で迎えに行けると思う」
「はい」
「……C機関の二人もいるんだったな。そっちの方は何て言ってる?」
「不動さんが戻らないと、どうにもならないみたいです」
「まあ、あっちはあっちで何とかするだろう。他に何か聞く事は無いか?」
「研究所への連絡はどうしましょう?」
「私がやっておこう」
「済みません、お願いします」
浅土さんとの通話を終えて、僕は小さく安堵の溜息を吐く。それから開道くんに声をかけた。
「開道くん、病院に運ばれた三人は無事だってさ」
「あっ、そうですか……」
安心したんだろう。開道くんの表情が少し綻ぶ。
良かった。そう僕は思ったんだけど、開道くんはすぐにまた表情を曇らせた。
「向日さん、俺……もうフォビアを使わない方が良い気がします」
「やっぱり気にしてるのかい?」
「ええ、まあ。ちょっとは皆の力になれると思ったんですけど……」
「良いさ。誰も君に無理強いはしない。フォビアを失くしたって、君は君だ」
「すいません。迷惑かけて」
「迷惑なんかじゃないよ。フォビアをどうするのかってのは、研究所にいる人達……僕達を含めた全員にとって重要な問題なんだ。皆、自分や他人のフォビアとどう付き合って行くべきなのか、真剣に考えてる。開道くんも研究所に帰ったら、他の人達に相談してみるといい」
「他の人達って……」
「そうだなぁ……例えば、芽出さんとか、船酔さんとか、高台さんとか? 副所長の上澤さんに、そういう話をする時間を用意してもらうのも良いかも知れない。どっちにしても、研究所に帰った後の話になるけどさ」
「相談……ですか……」
開道くんは俯いて小声で呟き、真剣に考え込んでいる様子だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます