その名はF

1

 ところがどういう訳か、僕は生きていた。

 白い天井、白い壁。病院らしき個室内のベッドの上で寝かされていた僕は、起き上がって周囲を見る。

 服は病衣に着替えさせられていて、腕には点滴の針が刺さっている。一見して僕の体の火傷は酷くない様に見えるけど、腕の外側には複数の打撲痕がある。

 僕が気絶してからすぐに消防の人が助けてくれたんだろうか? いや、それよりもあの女の子はどうなったんだろう? 無事に助けられたのか? それとも……もしも僕だけが助かってしまったんだとしたら……。

 悪い予想をして、僕の心は深く落ち込む。自分が生きていた事を喜ぶ気には少しもなれない。

 僕が助かったという事は、少なくとも人一人は助けられる猶予があったという事。僕を助けた事で、女の子が助からなかったんだとしたら、僕はとてもじゃないけど生きていられない。死にたがりの僕が、他人を差し置いて生き残ってしまう事があっちゃいけないんだ。

 ああ、僕の考えが足りなかったばっかりに。死のう。死のう。もし、女の子が生きていなかったら。僕は無能なだけじゃなくて有害なんだ。


 どうか女の子が生きていますようにと僕は祈った。神様も仏様も信じてなんかいないけど、困った時の神頼みだ。厚かましい恥知らずだと笑われても構わない。僕はもうこれ以上、心苦しい思いをしたくない。


 僕が鬱々としていると、個室のドアがスッと開いて、白衣を着た若い大人の女性が入って来た。看護師というよりは、医師の様な風貌。

 その人は僕を見ると、笑顔で話しかける。


「あら、起きてたの? 良かった」


 そう言ってくれたけど、それが僕にとって良かったのかは分からない。

 僕は恐る恐る女の人に尋ねた。


「あのっ……女の子はどうなりましたか?」


 女の人は笑顔を変えずに答える。


「ああ、あの子の事なら大丈夫。助かったよ。あなたのお蔭で」

「……僕のお蔭……なんですか?」

「そう、あなたのお蔭」

「その……僕が、何を?」


 僕は自分が何をしたのか、何に貢献できたのか、全く分からなかい。だから「あなたのお蔭」と言われても、違和感しかない。慰めの嘘を言われている様な気さえして来る。

 女の人が少し困った顔をしたので、僕は大きく不安を煽られる。


「女の子は本当に……」


 無事だったんでしょうかと僕が尋ねるより先に、女の人は口を開いた。


「ちょっと難しい話になるんだけど……あなたがいてくれたから、あの子が助かったのは確かなの」

「どういう意味ですか?」

「えーと、それはね……。どこから説明したら良いのか……」


 女の人は悩ましそうな顔をして、僕が寝ているベッドの脇の椅子に腰かける。そして両腕を組んで、しばらく唸っていた。

 僕はただ静かに待つ。


「正確には、女の子が助かったのは、あなたの能力のお蔭なの。能力と言うのは、超能力みたいなもので……。そう、あなたには超能力がある!」


 女の人は真剣な表情で言い切った。だから余計に僕はリアクションに困った。


「本当に……?」

「本当、本当。実は私も超能力者なんだ。ようこそF機関へ、篤黒勇悟くん。私は沙島さとう甘子かんのこ

「え、エフ機関?」

「そう。エフはアルファベットのFね」


 超展開に頭が追いつかない。

 僕に超能力がある? F機関って何だ?

 混乱する僕に、女の人――沙島さんは言う。


「私達の超能力はトラウマに起因する。私の場合は味覚嫌悪。甘味を受け付けない」


 そう言いながら立ち上がった彼女は、個室内の洗面台からコップを取り、水道の水を入れて持って来る。


「ちょっと飲んでみて」

「……はい」


 目の前にコップを差し出された僕は、戸惑いながらも受け取った。中の水は無色透明で、変な臭いもしない。どう見ても普通の冷たい水道水だ。

 何が超能力なのかも分からない僕は、警戒せずに口を付けた。


「うぇええっ、甘っ!?」


 一瞬で口の中に甘味が広がる。それも強烈で口に残る嫌な甘ったるさだ。全身に鳥肌が立って、急激に体温が下がり、震えが起こる。人工甘味料を極限に濃くすれば、こんな味がするんだろうか?

 僕は堪らず顔を顰めて、口の中の僅かな水をコップの中に吐き出した。

 沙島さんはいやらしい笑みを浮かべている。


「つまり、こういう能力。口の中に入った物が甘くなる」


 僕の口には、いつまでも甘さが残っている。唾と一緒に飲み込む事さえためらわれる様な、ひどい甘さ。何て嫌な能力なんだ。


「そして、あなたにもある。あなたのトラウマに関係した能力が」


 沙島さんの言葉に、僕は首を傾げる。

 一体僕にどんな能力があると言うんだ? そもそも僕は何かをした覚えが無い。

 考えても全く分からないので、僕は素直に尋ねた。


「……僕の能力って何なんですか?」


 沙島さんは申し訳なさそうに答える。


「正直に言うと、よく分からないの。あなたのトラウマに関係している事は確かなんだけど、だからこそどんな能力なのか、本質的な部分は本人にしか分からない」


 気まずい沈黙が訪れる。

 分からないって事は、本当に僕に超能力があるかも分からないんじゃないか……? もしかしたら違う原因だったりしないんだろうか? どうして僕が超能力者で、女の子を助けたって確信を持って言えるんだろう?

 疑問は尽きない。

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