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 腑に落ちない顔をしている僕に、沙島さんは改まった態度で言った。


「トラウマに起因する超能力は、『フォビア』って呼ばれているの。恐怖症の事を英語で『phobia』って言うんだけど、そのフォビアね。海外――欧米では恐怖って意味の『fear』の頭文字を取って、『F』とか呼んでるんだけど……まあ、その話は置いといて」


 沙島さんは小さな箱を正面から横に置くジェスチャーをして、一呼吸入れる。


「長年の研究で、フォビアはどうやら人の共感能力と関係がありそうだって事が分かって来たの。例えば、恐怖が伝染して集団パニックが起こるみたいに、人には自分の感情を伝える力や、他人の感情を読み取る力があって、それが強い人が超能力者になるんじゃないかって言われてる」

「共感……」

「そう、共感。強い心の働きが周りの人に伝染する。フォビアの場合は恐怖心だね。勿論、フォビア以外にも超能力者はいるよ。一緒にいるだけで楽しいとか、この人なら信頼できるとか、そういうポジティブな感情の働きを伝えられる人達。そういう人達は、例えば芸能人になったり、俳優になったり、社長や政治家みたいな集団のリーダーになったり、自分の能力を発揮できる場所がある。一方でフォビアは……ちょっと厄介と言うか、何と言うか」


 話の内容は何となくだけど分かる。共感能力の延長に超能力があって、恐怖心を伝えるフォビアは好ましくない能力だという事。

 僕もそういうの一人……。

 沙島さんは説明を続ける。


「トラウマが制御できない様に、フォビアの超能力も制御が難しくて、しかも他の超能力と比べて強力だから効果が現実にまで影響するの」

「現実に影響する……?」

「あなたが助けた女の子、あの子もフォビア持ち。火に対してとても強い恐怖心を持っていて、それが極限まで高まると実際に発火しちゃう」


 僕は理解した。いきなりトイレが火事になったのは、あの女の子が能力を暴走させたからなんだ。それに市内の連続放火事件も、多分だけどあの子が関係している。

 僕は沙島さんに直接確認した。


「じゃあ、市内で火事が何件も続いたってニュースは……」

「そう、篤黒くんが考えている通り。フォビアは暴走する。超能力の中でも、最も危険な能力。だから私達F機関は、フォビアを発見して保護しているの。それがF機関の仕事」


 今までそんな話は聞いた事もない。きっとF機関は秘密警察とか軍の特殊部隊みたいな、表立った活動をしない組織なんだろう。フォビアの存在が公になれば、その扱いを巡って大きな混乱が起きる事は間違いない。そのくらいの事は僕でも分かる。


「そうすると僕も『保護』される訳ですか」


 保護と言えば聞こえは良いけど、実態は隔離だろう。危険な超能力者が野放しにならない様に管理する。

 しかし、つくづく僕はどうしようもない人間だ。まさか社会的にも厄介者と認められるなんて。今の僕には、その事実に反発する気力も無い。お望み通り、大人しく隔離されよう。社会の迷惑にならない様に。

 そう思っていた僕に、沙島さんは言う。


「お願いがあるの。篤黒くん、あなたには私達の仕事を手伝って欲しい。F機関で私達と一緒に働いてみない?」

「働く……?」

「あぁー、篤黒くんは高校生になったばっかりだから、まだ就職とか早いと思ってるかな?」


 沙島さんの言う通り、急な話で僕は何も答えられなかった。僕の時間は中学校の卒業式で止まったままだったから。高校を卒業した後の事も、就職の事も、全く考えてもいなかった。


「仕事って、どんな……」

「フォビアの人を助ける仕事」


 この人は「助ける」って言葉が、僕の中でどれだけの重みを持っているのか、分かって言っているんだろうか? いや、人の心の中なんて分からないって事は、僕だって承知しているつもりだ。だから沙島さんに特別な意図は無いはず。でも、僕に誰かを助ける事なんてできるんだろうか?

 黙ってばかりの僕に、沙島さんは言う。


「返事は急がなくても良いよ。でも、覚えておいて。あなたにしかできない事、あなただからできる事がある」

「僕だから……」

「いつまでとは言わないから、ゆっくり考えて」


 沙島さんは僕に一枚の紙切れをそっと握らせた。そして徐に立ち上がると、僕からコップを取り上げて洗面台に戻す。


「それで、体の方は元気かな? 立ってみて」


 僕は言われたままに、ベッドから下りて自分の足で立ち上がる。

 特に問題は無いみたいだ。どこか痛む訳ではないし、体が重い訳でもない。ちょっと点滴のチューブが邪魔なだけだ。


「大丈夫みたいです」

「それじゃ、点滴は抜いておこう。座って」


 僕がベッドに腰かけると、沙島さんは白衣のポケットから脱脂綿と紙テープを取り出し、僕の腕に刺さっている点滴の針を抜いた。そして針の痕に脱脂綿を被せて指で押さえ、テープで固定する。

 ベテランの看護師の様な手慣れた処置に、僕はただ感心していた。


「迎えに来てもらえるように、こちらでご家族に連絡しておくから、しばらくここで待ってて。おっと、超能力の話は他の人には秘密にしてね。言っても信じてもらえないかも知れないけど」


 そう言って沙島さんは個室から出て行く。

 一人残された僕は沙島さんから渡された紙切れを開いて見た。どうやら連絡先を記したメモみたいだ。住所と電話番号が書いてある。


ウエフジ研究所 S県H市西区K町××××

久遠ビルディング3F

事務所 0××-×××-××××


 僕は誰かの助けになれるのか? 僕は生きていても良いんだろうか? もし僕が誰かの役に立てるなら……少しだけ前を向いて生きられる気がした。



 三十分ぐらいして、父さんと母さんが二人揃って僕を迎えに来る。

 僕が運び込まれた建物は、病院じゃなくて「久遠ビルディング」という名前の貸しビルだった。どうやら近くの病院の病室に空きが無くて、緊急時の民間施設として利用できるから、取り敢えずここに運び込まれた……という事になっていたらしい。

 父さんも母さんも、その説明に特に疑問を抱いていなかった。あっさり騙され過ぎだと思う。我が家は大丈夫なんだろうか?

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