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 僕はN空港からモンゴルのウランバートルへ、そしてウランバートルからロシアのイルクーツクへと、飛行機で移動する予定だ。

 初めての海外旅行がロシアになるとは思いもしなかった。当然、パスポートを持つのも初めて。名義は「向日衛」……これって偽造にならないのかな?

 冬の北アジアは冷え込むという事で、できる限りの厚着をして行く。



 ウランバートルに着いた時点で、僕はロシア当局の関係者に身柄を預けられた。

 ウランバートルまでは笹野さんが付いて来てくれたんだけど……。正直、僕は不安というか、恐ろしかった。未知の土地で見知らぬ人と二人切りになるなんて。

 僕を迎えに来たロシア当局の関係者は、イグナーティ・アウグスト・ミハイロフという、厳つい顔付きの白人男性だ。

 ミハイロフさんは流暢な日本語で僕に話しかけて来る。


「君がムコウ、ニュートラライザーだね?」

「はい」

「ワタシはイグナーティ・ミハイロフ。ロシアの……そうだな、警察みたいな組織の一員だ」


 って何だろう? 普通の警察じゃないという事だけは分かる。

 えーと、上澤さんはオフラーニって言ってたっけ。確か……警備局。


「宜しく」

「こちらこそ、宜しくお願いします」


 右手を差し出して握手を求めて来たミハイロフさんに応じて、僕は警戒しながらもゆっくりと右手を差し出す。そして、がっちりと握手。

 それから僕とミハイロフさんは笹野さんに見送られて、ロシアのイルクーツクに向かう飛行機に乗り込む。



 ウランバートルも寒かったけれど、イルクーツクは輪をかけて寒い。氷と雪が全然解けずに残っている。街全体が凍り付いているみたいだ。

 僕とミハイロフさんはイルクーツクから四輪駆動のSUVで西に移動して、トゥンキンスキー地区ナツィオナリニパルクで一泊。そこから更に西へ移動して、山中のS天文台に向かう。そこはモンゴルとの国境に近いらしい。

 S天文台周辺には何も無い。標高2000mの山の上に、白い建物が何棟か並んで建っているだけ。人里離れて孤立した環境って、何だか殺人事件でも起きそうな感じだ。


 S天文台に僕は留学生という建前で入り込んだ。ここには太陽望遠鏡と小惑星監視システムがある。天文台の職員の人達は、僕の事を奇妙に思っているみたいだ。日本人の学生がロシアの天文台に勉強に来るなんて事が、そもそも前代未聞。

 それでもロシア当局の監視が付くという事で、そこまで警戒はされてない様子だ。

 僕はロシア語が全く分からないから、職員の人達と会話する際には必然的にミハイロフさんを介する事になる。僕の事についてはミハイロフさんから職員の人達に説明してある……はずだ。正直な話、デタラメな説明をされていたとしても、僕には嘘を見破る術がないんだけれど、そこまで疑ってかかる事もないだろう。


 最初に僕は天文台の職員の人達と顔を揃えて挨拶する事になった。天文台の職員は技術系と事務系で、それぞれ20人ずつ。多過ぎて一度に全員は覚え切れないけれど、僕が最低限知っておく必要があるのは、ニーナさんだけだ。それ以外では台長と技術系と事務系それぞれの係長の三人ぐらい。

 当のニーナさんはと言うと、この天文台にいる五人の女性技術士の一人で、地球周辺の小惑星の観測員だった。

 そしてミハイロフさんの指名で、ニーナさんは僕の教育係につく事になる。その事に関して、特にトラブルになったりはしなかった。ニーナさんは嫌がりもせずに引き受けて、他の職員の人達も全く異議を唱えない。そこがちょっとだけ引っかかった。

 まあ、事前に話は通してあるという事なんだろう……。


 ニーナさんは主に夜間の小惑星の動きを監視している様だ。

 百m以下の小さな隕石では、文明崩壊レベルの大災害には至らないけれど、それでも都市に大きな被害を与える事はできる。しかも、地球に落ちる確率は巨大隕石より遥かに高い。S天文台の小惑星監視システムは、そういう小さな隕石までも監視対象にしている。隕石が落下する数週間から数日前までに精確な予測をして、落下地域に事前に警告しようというんだ。……本当にそんな事ができるのかは、ちょっと分からないけれど。

 僕もニーナさんに合わせて、日中は休んで夜中に起きていられる様にする。


 初日の夜に、僕はミハイロフさんに通訳をしてもらって、ニーナさんから天文台での仕事の話を聞いた。

 ニーナさんは小惑星監視用の大型望遠鏡の前に腰かけて語る。


「隕石は主にアステロイドベルトから来る。直径が1km以上なら、落下の影響は世界規模だ。数百mでも場所によっては壊滅的な被害を与える。百m以下でも都市部に降り注げば、人的・経済的損失は計り知れない」


 ニーナさんの表情は真剣だ。


「大きな隕石は早く発見できるし、迎撃もし易い。一方で小さな隕石は、その分だけ発見が遅れるし、迎撃も難しい。早く予兆を掴めば、対処も早くできる」


 ミハイロフさんの通訳を聞く限りは、とてもニーナさんは黙示録の世界なんて望んでいる様には見えない。

 僕は天文学を勉強しに来ているという建前だから、何か質問しないといけないんじゃないかと思って、一つ質問してみた。


「隕石の監視ってどうやってるんですか? 望遠鏡を覗いて分かるんですか?」


 僕の質問をミハイロフさんがロシア語で伝えると、ニーナさんは小さく笑ってロシア語で答えた。それをミハイロフさんがまた日本語に通訳する。


「何も特別な事はない。隕石も他の太陽系の小惑星と同じで、太陽の周りを回って落ちて来る。無数の星の中から少しずつ地球に近付いて来る軌道の小惑星を、毎日観察して見付けるだけ。地道な作業の繰り返しだ」


 レーダーか何かで小惑星を発見して、スーパーコンピューターで軌道を計算すると思っていた僕は、その答えに驚いた。まさか人力で発見しようだなんて。


「距離・大きさ・速度から、大まかな落下予測地点は割り出せる。十二月に日本の北海道に落ちた隕石も、情報だけは掴んでいた。ただ、日本政府に伝えるためのネットワークが無かった」


 ミハイロフさんの言っている事は本当か? それならニーナさんは本当に黙示録の使徒の一員なんだろうか?

 上澤さんの話では、ニーナさんのフォビアが北海道に隕石を落としたって……。

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