3
僕はニーナさんに聞いてみた。
「次はどの隕石がどこに落ちるんですか? それが分かっていれば……」
それに対してミハイロフさんが答える。
「今年の受難節は本当の意味で受難の季節になるだろう。四十日の苦しみの後、世界は生まれ変わる。変革には大いなる苦痛が伴うのだ」
僕は眉を顰めた。
「次はどこに……」
ミハイロフさんは答えてくれないし、ニーナさんに聞こうともしない。そして全く関係ない言葉を僕に投げかける。
「ムコウ、今の世界が正しいと思うか?」
「正しい……?」
「ワタシは思わない。一部の者だけが富み、多くの者が貧しさに苦しむ、今の世界が本当に正しいとは……」
急に世界規模の話をされても、僕は困る。僕は日本しか知らないから。
それでも格差が拡がっているという話はニュースとかで耳にする。実感する部分がない事も無い。
学校に通えない、食事も満足に与えられない子供は、日本にもいる。僕達の目には入らないだけで……いや、本当は目に映っているけれど、正面からまともに見ようとしていないだけなのかも知れない。
どこの都市にだって、良くない噂が立つ場所はある。あそこは治安が悪いだとか、不審な人が出入りするだとか……。
多くの人はわざわざそんな所には近付かない。だから本当の事が見えない?
「世界は変わらないといけない。ワタシ達は試練に耐える準備ができている。正しい信仰を守り、厳しい苦難に耐え抜いた者だけが、新たな世界で生きられる」
僕は絶句した。
この人も黙示録の使徒の一員だったんだ。そうじゃなければ、こんな事を言い出すはずがない。日本の公安と同じ様に、接触している内に感化されたんだ。
「ワタシ達は知っている。試練の中から生まれた『F』こそが真実の使徒なのだと。ムコウ、君もまたその才能を与えられた者……」
「それは違います。僕のフォビアは僕の罪が生み出した物です。試練なんて、そんなんじゃありません」
「罪?」
「僕のフォビアはフォビアの人を救うためにあります。あなたの言う試練の苦しみから人を救う事こそが、僕に与えられた道なんです」
ミハイロフさんは僕の答えを聞かされて黙り込む。どうやら、どう解釈していいか困っているみたいだ。
僕は続けて言う。
「一握りの人間の力だけで世界を変えようなんて、そんなのはいけませんよ」
「それは違う。多くの貧しい者達が、私達の味方だ」
「……それで、貧しい人達は試練に耐えられるんですか?」
「正しい信仰さえ守っていれば」
これ以上この事で話してもしょうがないと思って、僕は話題を元に戻す。
「それはそれとして、いつどんな隕石が落ちるのか、もう分かってるんですか?」
「受難節だ」
「ああ、そうでしたね……」
「大いなる試練の後に、十四万四千人が生き残る。人類はそこから再出発する」
たった十四万人しか生き残らない? そんな事になったら、人間は絶滅するんじゃないのか?
「十四万って……」
「正しい信仰さえあれば大丈夫だ。バベルの塔が技術の過信と傲慢によって崩壊したのと同じく、今の人類も技術の過信と傲慢によって滅びる。しかし、ワタシ達は生き残る。神の教えを忠実に守り、試練を耐え抜く覚悟があるからだ」
これまで人類が築き上げて来た文明をも捨て去るっていうのか……。僕にはとても耐えられそうにない。
どうにか隕石を落とさせない様にはできないか? でも、肝心のニーナさんは日本語が分からないし、僕もロシア語は話せないから、説得する事もできない。
僕にできるのはフォビアを無効化する事だけだ。ああ、ドームから見上げる星空は綺麗なのに、僕の心はどんより曇っている。
一ヶ月の滞在は予想していたよりも、遥かに苦痛になりそうだ……。
そして一週間が経った。僕は毎晩、ミハイロフさんに説得というか、信仰の重要さを力説された。その度に僕は曖昧な返事をしておいた。明確に拒絶して敵対したら、どうなるか分からないからだ。表向きはロシア当局の人だから、どうしても面倒な事になってしまうだろう。
それはともかく、ここでの生活は厳しかった。まず何よりも寒過ぎる。冬のロシアの高山がこれ程までに厳しいとは思わなかった。
日中でも氷点下から気温が上がらず、夜間はマイナス何十℃にもなる。閉じこもってばかりなのは良くないと思っていても、外を出歩く気になれない。
次に食事だ。料理がまずくてしょうがないという訳じゃないんだけれど、時々口に合わない物がお出しされる。食べない訳にはいかないから、残さず食べるけど……。和食が恋しくなるよ。白いご飯とお味噌汁……。
振り返ってみれば、僕は何週間もの長期旅行をした事が無い。初めての海外旅行にしては、条件が厳し過ぎたんだ。極寒の地、伝わらない言葉、食事も合わない、文化が違う……。早く日本に帰りたい。完璧にホームシック。
それなのに唯一言葉の通じるミハイロフさんは、おかしな思想に染まっている。
ああ、どうしてこんな事に……。孤独が僕の絶望を深めて行く。
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