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 ミハイロフさんの説得だか何だかよく分からない語りは、それ以降も毎晩続いた。

 ある日、ミハイロフさんは僕に写真を見せた。一枚は漁港の風景だ。漁師達が雪の中で魚を手に笑顔で写っている。もう一枚は農村の風景。畑仕事をする人達。他にも草原での牧畜の様子や、伝統衣装での舞踊なんかが写真に納められていた。今の時期だけじゃなくて、春とか夏、秋に撮られた物もある。人種も様々だ。北欧系の人達もいれば、中央アジアっぽい人達もいるし、東アジアっぽい人達もいる。


「これはロシアの各地方の風景だ。厳しい自然の中で、貧しくも懸命に生きる者達。美しいだろう? 人の本来の生き方とは、こうなのだと思っている。今の社会は科学文明に毒されている。それが貧富の格差を決定的にしているとも知らずに。人は神の教えを守って、質素に心豊かに生きるべきなのだ……」


 ミハイロフさんは大きな溜息を吐いて、語りを続けた。


「都市に住んでいると、人の醜さを思い知らされる。辺境で自給自足で生きる人々に比べて、都市の生活の何とおぞましい事か……。人が人を従える事の罪深さよ。仕事にあぶれた者が食うにも困り、犯罪に走る。落ち零れが浮浪者となり、スラムに吹き溜まる。誰も彼も都市の輝きに目が眩んだばかりに。人は物質的な豊かさと引き換えに精神的な豊かさを失ってしまったのだ」


 確かに、半分は当たっているかも知れない。

 今の世の中は物で溢れているのに、手に入らない物は何も無いはずなのに、満たされない毎日を送っている人達がいる。自給自足の生活を送っていれば、少なくとも職に困る事はないだろう。

 だけど、それでも餓死や病死はなくならないし、災害に苦しめられるだろう。そこに都会も田舎も無い。都会には都会の、田舎には田舎の苦しみがあるんだ。

 やっぱりミハイロフさんは田舎を美化し過ぎだよ。高度な文明を捨て去って、昔の生活に戻れば、何もかもが上手く行くと思うのは間違いだ。

 それに近代的な医療施設が無い状況で、どうやってフォビアの人達に生きろと言うんだろうか? 大災害の後では、社会にフォビアの人達を受け容れる余裕があるとは思えない。つまり、フォビアは利用されるだけ利用されて、最後には厄介払いされる運命なんじゃないか?

 そう考えると素直に賛同する気にはなれない。ミハイロフさんの言っている事は分かるんだけど、デメリットに目を瞑り過ぎている。

 僕はどうしようもなく暗い気持ちになる。この人を逆に説得する事は、無理なんだろうなという諦め。それが僕のフォビアを強化する……。



 僕がS天文台に来て、三週間が経過した。

 その日の夕方、僕とミハイロフさんは台長とニーナさんが真剣な顔で話し合っている場面に出くわした。

 一体何の話をしているのか、僕はミハイロフさんに聞いてみる。


「あの二人は何の話を?」

「地球に接近中の二つの小惑星について話をしている様だな」

「二つ?」

「一つは700m級、もう一つは400m級の中型の小惑星だ」

「それが地球に落ちるかどうかって話ですか?」

「いや、計算上は地球には落ちない事になっている」

って……」


 それじゃ実際には落ちるみたいだ。

 不安に思う僕に、ミハイロフさんは笑顔で答えた。


「どうなるかは今晩のお楽しみだ」


 何が楽しみなんだろうかと、僕は嫌な気分になった。ミハイロフさんにとっては念願の叶う時かも知れない。だけど、その他の大勢の人達にとっては……。

 いや、待てよ……。ここで小惑星が地球に落ちるって分かっているなら、対処する事もできるんじゃないのか? 数日もあれば、ミサイルでも何でも打ち上げて、小惑星を破壊するとか軌道を逸らすとか、できるかも知れない。


 そして夜になり、ミハイロフさんは当局と連絡を取ると言って、一人でどこかに行ってしまった。

 ニーナさんは相変わらず、小惑星監視用の大型望遠鏡の前に座って、真剣に夜空を見詰め続けている。

 僕はニーナさんの側に用意された椅子に座っている。いつもならミハイロフさんの迷惑な話を延々と聞かされているんだけれど、そのミハイロフさんは今はいない。

 僕は思い切って、ニーナさんに話しかけてみる事にした。ニーナさんも天文台に勤めている研究者だから、英語ぐらいはできるはずだ。僕の拙い英語で、どこまで意思が伝わるかは分からないけれど……。本人がどう思っているのか、知っておきたい。黙示録の使徒の事、大災害の事、それを自分が引き起こす事について。


「Excuse me」


 僕が声をかけると、ニーナさんは驚いた顔をした。


「Me?」

「Yes, I want to talk with you」

「What are you talking about?」


 良かった、ちゃんと英語が通じるみたいだ。僕の高校レベルの英語で、まともに話が続けられるか分からないけれど、やれるだけやってみよう。


「A stone……fall on the Earth」


 僕はどうにかジェスチャーで伝えようと、右手で握り拳を作って、開いた左手の上に打ち下ろす。


「Meteorite?」

「ああ、ミーティオライト。Yes」


 隕石はミーティオライトって言うんだな。憶えておこう。


「What about meteorite?」

「Are two meteorites going to fall on the Earth?」


 ……「二つの隕石は地球の上に落ちますか?」って聞いたつもりなんだけど、これで合ってるかな? 僕は心配になりながら答えを待つ。

 ニーナさんは両手で二つの拳を作って、ジェスチャーを交えながら答えた。


「Two meteorites are going to collide soon――」


 ニーナさんは右の拳に左の拳をぶつける。


「――and split into some pieces」


 そして両手をバッと広げた。

 つまり二つの隕石がぶつかって、破片が散って軌道が変わるって事か?


「Are they going to fall on the Earth?」

「It's unavoidable」


 僕の問いかけに、ニーナさんは平然とした顔で答えた。

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