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 動物園で僕とモーニングスター博士は睨み合ったまま、数分の時が過ぎる。

 やがてモーニングスター博士が改めて僕に話しかける。


「ムコー・マモル、私の話とはFについてだ。君はFの本質を理解していない」


 いきなり日本語で話されたから、僕は驚いた。日本語ができるなら、最初から日本語で話しかければいいのに……。


「本質?」

「Fとは神に至る力だ。私は超能力の研究を続けた結果、ついに人を超能力者にする方法を突き止めた。今の私は人を超えたエンピリアン――神を目指す者、そして神と人の間に立つ者だ。いや、私だけではない。人は皆、神に至る可能性を秘めている。その中でもFは特別だ」


 いや、おかしい。声と口の動きが合っていない。こいつ……超能力を使っている!

 僕のフォビアが効いていない? それとも効果が切れてしまったのか?


「君はフレッド・ロッコ・フレンダーを知っているな? 彼のF、神の声を。人と人の意識を繋ぎ合わせれば、あの様な事が可能になるのだ。古代から人には永遠に届かないと思われていた、本当の真実が手に入る」

「だから? 何だって言うんだ?」


 真実とやらに、どれ程の価値があると言うんだろうか?

 人は平気で自分を騙す。過去を都合の好い様に解釈して、真実を歪める。だから、いくら人の意識を繋ぎ合わせても、本当の事なんか分かりゃしない。お互いの認識の擦れ違いが浮き彫りになって、相互不信を深めるだけだ。

 そんな事よりも、僕は自分のフォビアが無効化されているという事実の方が気になってしょうがない。何が起こっているんだ?


「Fと超能力でアセンションを起こせるのだ。人の魂は昇華して、神に近付く」

「……限られた人だけが?」

「そうだ。君もまた選ばれた者」

「誰が選んだと言うんだ?」

「神――運命と言い換えても良い」


 僕を勧誘しようとしているのか? でも、全く信じる気にはなれない。

 僕は顔を顰めて、首を横に振る。


「物分かりが悪いな。制定者イナクターとは違うか」

「イナクターだと?」

「そう、解放運動の制定者。彼はアセンションの素晴らしさを理解してくれた」


 ふざけている! こいつが解放運動を裏で操っていたのか?


「神に近付いて、どうする?」

「神になれば、この世界を思うままにできる」

「思うままって……」

「おっと、誤解しないでもらいたい。世界を支配しようというのではない。全ての悪を排除して、完全なる善の世界をもたらすのだ。飢えや病に苦しむ人々を救い、世界に平穏をもたらす救世主を誕生させる。それこそが私の望み」


 やっぱり狂っているじゃないか……。

 僕は脱力した。悪意は無いのかも知れない。だけど、だからこそ危険だ。

 要するに、こいつは独裁者になりたがっている。自分だけの価値観で物事の善悪を決めようなんて、独善に他ならない。行き着く先は、独断と偏見に塗れた大虐殺だ。

 そもそも神になれるとも、世界を思うままにできるとも思えないけれど。妄想が行き過ぎて、願望と推論の区別が付かなくなっているんじゃないか? よくそんなんで学者をやってられたな。老化で認知が歪んだか?


「そんな話を僕にされても」

「ああ、ムダだった様だな。残念だ」


 モーニングスター博士は小さく笑って見せた。

 ……余裕があり過ぎる。逃げる素振りも見せない。何を企んでいる?

 僕は改めて周囲を警戒した。


「What're you doing? What's wrong?」


 またモーニングスター博士の言葉が英語に戻る。

 僕のフォビアが効いている? 僕のフォビアを無効化できるのは、一定時間だけ?

 でも、モーニングスター博士は変化に気付いていないみたいだ。僕と同じで、この人も無効化の発動を正確には把握できていない……? もしかして無効化能力自体の欠陥なのか?


「……逃げないのか?」


 僕の質問を聞いて、初めてモーニングスター博士は初めて超能力が通じていない事を自覚したみたいだ。多分だけれど、僕の言葉を理解できなかったんだろう。

 モーニングスター博士は苦笑いする。


「Oops...! Ho-ho-ho...it's a mistake」


 ミステイク? 何を失敗した? 何が失敗だったんだ? 超能力が無効化されているのに気付かなかった事?


「Nevertheless...that's fine. I'll be arrested. All as my plan...all in my plan」


 僕は猛烈に嫌な予感がした。こいつはここでわざと捕まろうとしている? そこには何か裏があるはずだ。思い通りにさせちゃいけない。

 だけど……確信が持ていない。取り逃がして良いとも思わない。


 その内に警察の人達が現れて、僕とモーニングスター博士を取り囲んだ。周りで一般の来園者達がどよめく。

 モーニングスター博士は特に抵抗もせず、大人しく取り押さえられて、ヘッドギアを被せられ、そのまま連行される。


「向日くん、大丈夫だったか?」


 僕に声をかけて来たのは、公安の若い男性……知らない人だ。


「誰ですか?」

「失礼。あの時は名乗っていなかったな。私は君に一度助けてもらった事がある」

「……済みません、覚えてないです」

「一昨年、S市のクモ女保護作戦で」


 霧の中でブラックハウンドとブラッドパサーにやられた人か?


「出血多量で病院に運ばれた……?」

「そうだけど、余り言わないでくれ。真桑まくわすすむだ。宜しく」

「向日衛です」


 真桑さんが握手を求めたて来たから、僕はそれに応じた。お互いに力を込めない、軽い握手。

 ……いや、今は挨拶よりもモーニングスター博士の事を言わないと。


「あの、真桑さん、一言だけ」

「何だい?」

「あの人……モーニングスター博士には気を付けてください」

「誰だって? モーニングスター?」


 ああ、この人はモーニングスター博士を知らない……のか?


「今、連れて行かれた人です。黙示録の使徒や解放運動の裏にいた黒幕。それがあのモーニングスター博士なんです」

「黒幕? 今、連行されたのが? だったら、もう全部解決したも同然じゃないか」


 真桑さんは困惑している。

 そりゃそうだろう。いくら何でも拍子抜けだ。


「僕はそうは思いません。モーニングスター博士は、まだ何かを隠しています」

「……君がそう言うなら用心しよう。それじゃ、また。寄り道せずに帰るんだぞ」


 真桑さんは僕の肩を軽く叩いて、去って行った。

 寄り道せずにって、そんな子供じゃないんだから。僕は小さく息を吐いて、動物園を後にする。次は何が待ち構えているのか……。

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