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 復活祭の日から一週間が過ぎた。

 黙示録の使徒が活動を再開するとしても、もう少し先の事になるだろうし、当面の危機は去っただろうと、僕は研究所のフォビアの子供達と一緒に外出していた。

 向かう先は動物園だ。子供達を連れて行くのは、実は二回目だったりする。

 暖かく穏やかな天候で、絶好のお出かけ日和。子供達も動物園に行くのを楽しみにしていた。

 護衛……と言うか、付き添いには開道くんと灰鶴さんに来てもらった。灰鶴さん、虫嫌いだけど動物は平気みたいだ。

 楽しい外出になると思っていた。僕は油断していた。


 動物園に入ると、空が暗くなって、嫌な風が吹いた。強い風じゃないけれど、辺りが急に静まって、ざわざわと草木が波打つ。冷たくも温くもない、奇妙な風。

 強風恐怖症の荒風さんが怯える。いや、荒風さんじゃなくても、誰でも不安な気持ちになるだろう。そんな風だ。

 自然現象に過ぎないと、僕は荒風さんを落ち着かせようとした。


「大丈夫だよ。何も起こらない」


 ただ風が吹いただけ。そう思っていた。

 次の瞬間、動物園のあちこちで焦げた臭いと灰色の煙が上がった。

 穂乃実ちゃんが目を見開いて怯える。またも皆が不安になる。僕にも動揺が伝わって来る。周りの人達も大騒ぎして、火を消し止めようとする。


「何だ!?」

「火だ、火だ! 早く消せ!」


 大人達が慌てて、あちこちで火元に水を浴びせたり、はたいたりして消火する。

 様子を見るに、どうやら小火ぼやだ。大火事にはならないだろう。

 だけど、原因が分からない。風はともかく、あちこちで原因不明の出火?

 まず穂乃実ちゃんのフォビアを疑うけど、火が起こるまで穂乃実ちゃんに変わった様子はなかった。だから、穂乃実ちゃんのフォビアだとは考え難い。

 ――となると、誰か別の人のフォビア? 誰かって誰だ?

 まさか黙示録の使徒が、まだ日本に残っていた? それとも全く無関係の自然発生したフォビア?

 僕は自分のフォビアを意識して、辺りを見回した。火事も不気味な風も、すぐに収まって動物園に平穏が戻る。

 男性の声でアナウンスがある。


「お客様にお報せいたします。園内で火災が発生しましたが、無事消火されました。ただ今、原因を調査中です。お騒がせして大変申し訳ありませんでした」


 ボヤ騒ぎは収まったみたいだけど、それで「はい、めでたし」とはならないぞ。

 誰だ? どこにいる? 敵なのか?


「あの、マモルさん……?」


 穂乃実ちゃんが僕の顔を見て、不安そうに問いかけて来る。

 自力で不安から立ち直ったんだな。立派な成長だけど、今はそれを喜んでいる場合じゃない。僕は皆に言う。


「今日は帰ろう」

「えっ、今来たばっかりですよ」


 開道くんが驚いて抗議した。僕は真っすぐ開道くんを見て言う。


「どうも様子がおかしい。あのボヤ騒ぎは何だったんだ?」

「そんな事、オレに聞かれても……」


 開道くんは特に何か怪しいとは思わなかったみたいだ。……僕の考え過ぎか?

 いや、それでも大事を取るに越した事はない。

 僕は灰鶴さんにも視線を送って、意見を求めた。


「灰鶴さん」

「えっ、私? んー、どうだろう……?」


 二人して鈍いのか? 僕が過敏になっているだけ? 黙示録の使徒と戦っていた僕と違って、ずっと研究所にいた二人は危機感が薄いんだろうか?


「Excuse me...」


 困惑している僕に、英語で話しかけて来る人がいる。振り返ってみると、白髪で白髭のお爺さんがいた。柔和そうな顔なのに目は鋭い。古代ギリシアの偉人みたいな、荘厳な雰囲気を持った不思議な人だ。

 何か困っているんだろうかと、僕は親切心で応じる。


「What's the matter?」

「Could you stop your "F"?」


 ……を止めろ? Fってフォビアの事だよな? 「Could you」だったから、「止めてください」か?

 この人は何者だ? マリアさんみたいなアメリカの研究者? それとも……。


「Are you an Apostle of Apocalypse?」


 僕は真正面から聞いてみた。そうすると、このお爺さんは笑って否定する。


「No no no...」


 はっきり「No」って言えるって事は、やっぱり黙示録の使徒の事を知っている?


「Then who're you?」

「I have something to talk to you. Could you stop your "F"?」

「No!」


 どんなに丁寧に頼まれても、これだけは「Yes」とは答えられない。もう相手にしない方が良いと決め付けて、僕は灰鶴さんに言った。


「灰鶴さん、帰りましょう」

「そうだね……」


 怪しい外国人の老人に、灰鶴さんも何かを感じ取ったらしい。

 開道くんも灰鶴さんには抗議しない。彼もまた何かを感じ取っているんだろうか?

 二人は子供達を連れて、動物園を出て行こうとする。子供達も不満そうにしながらも従う。僕も後を追おうとしたけれど、怪しい老人に止められた。


「Running is no use...」

「What?」


 僕は不気味な物を感じて振り返る。

 老人は静かに自信に満ちた笑みを浮かべていた。


「You all are mine. I'm an Empyrean who's intermediate God between humans」


 ……何を言っているんだ? エンピリアン? 神と人の間?


「Are you...Mr. Morningstar?」

「Exactly. Could you stop your "F"?」

「Never!」


 やっぱりこいつ、モーニングスター博士じゃないか!

 でも、これはチャンスだ。ここで捕まえれば、もう二度と悪さはできないぞ。のこのこ出て来た事を後悔させてやる。


「Don't move! Just give up!」


 そんなやり取りをしている間に、皆は動物園の出口に向かっている。

 開道くんが振り返って僕の名前を呼んだ。


「向日さん!」

「僕は用事がある! 皆、先に帰っててくれ!」

「そんな……」


 開道くんは納得してないみたいだったけれど、灰鶴さんに手を引かれて動物園を出て行った。

 僕は携帯電話を取り出して、上澤さんに連絡する。モーニングスター博士を視線で牽制しながら。


「上澤さん、モーニングスター博士が現れました! 場所は動物園です!」

「何だって!?」

「今、僕は一対一でモーニングスター博士と向き合っています」

「危険だ!」

「分かってますから、早く応援をよこしてください」

「ああ。無理はしないでくれ。危なくなったら、逃げるんだぞ」

「はい」


 口では「はい」と言ったけど、逃げるつもりは全くない。ここでモーニングスター博士を取り押さえれば、全部解決するんだ。そうじゃなくても、大きく物事が前進するに違いない。

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