暗躍する影

1

 その翌日に僕達はS県H市のウエフジ研究所に戻った。

 その日は何事もなく休憩して、更に翌日――コンサートから二日後。僕は上澤さんに呼び出される。


「向日くん、お疲れ様」

「はい」

「黙示録の使徒は今後、動き難くなるだろう。次の宗教的なイベントは復活祭から一週間後……つまり今日から五日後だが、ここで立て続けに何かを起こす事はしないと思う。コンサートが失敗したからな」

「お休みを頂けるって事ですか?」


 僕は余り期待せずに聞いてみた。

 上澤さんは即答せずに考え込む仕草を見せる。


「……一つ、懸念がある」

「はい」

「もしもコンサートが成功して終わっていたら、連中はどうするつもりだったか……という事だ」

「はい」


 そんなの分かる訳ないじゃん……と言おうとしたけど、黙っておく。上澤さんは何か知っているのかな?


「以前に『高度な医学知識を持った人間』が、黙示録の使徒の背後にいる――と言った事を憶えているかな?」

「はい」

「コンサートでは死者が蘇ったそうだな?」

「はい。死んだ人……それも身近な死者の幻覚を見せる、そういうフォビアだったんだと思います」

「復活祭に相応しいイベントだったという訳だ。まあ、復活祭で復活するのは本来ならキリストだが……。それはともかく、復活祭の七日後に来るイベントが何か知っているかな?」

「復活祭の後?」


 別に僕はキリスト教徒じゃないから分からない。


「神の慈しみの主日だ。カトリックの祝日で、プロテスタント系の諸派にとっては、これと言った何かがある訳ではないが……。主の復活と絡めるには何かと都合の好い日でもある。例えば……聖トマスの不信を引合いに出して、奇跡的なイベントの内容を宣伝するとか」

「でも、それは失敗しましたよ」


 だから、これ以上の発展は無いはずだ。


「そう……失敗した。しかし、仮に成功していたら? そこで『高度な医学知識を持った人間』の話に立ち返ろう。その人物は現在、日本にいる可能性が高い」

「どうして分かるんですか?」

「研究者は何事も自分の目で確かめずにはいられないのだよ」


 ……研究者でもない僕にはよく分からない。アメリカのイエローストーン国立公園でも、その人物は信者に混ざって観察していたんだろうか?


「確かめるって、瓶詰の脳がフォビアを発動させられるかどうかって事ですか?」

「フフフ、違う、違う。奴が確かめたかったのは、瓶詰の脳が起こす奇跡じゃない。それは何度も実験して既に実証済みのはずだ」

「じゃあ何を……」

「ヒントだ。どうして連中は日本でコンサートを開いたのか?」

「あれじゃないですか? 宗教に甘いから?」

「違うね」


 上澤さんは冷淡なぐらい、はっきりと断言した。そして僕を見詰めて小さく笑う。

 ……いくら考えても分からない。素直に降参しよう。


「済みません、分かりません」

「君がいるからだよ」

「僕が……?」


 あのコンサート会場に、黒幕が潜んでいたって言うのか? 僕のフォビアの能力を見るために?

 上澤さんは再び真剣な顔をして、僕に言った。


「もう数日だけ待ってくれ。諸々の情報が確定し次第、君に伝えよう」

「目星は付いてるって訳ですか」

「ああ」


 僕は寒気を感じて身震いした。

 上澤さんに対してじゃない。とても嫌な予感がしたんだ。近い将来に、とんでもない事件が起きる様な気がして……。





 それから二日後、僕は再び上澤さんに呼び出される。


「向日くん、黒幕の正体が確定した」

「誰なんですか?」

「元フォビアの研究者だった人物だ。名前は……ジョシュア・ライトスン・モーニングスター、アメリカ人。フォビアの解明に手段を選ばなかったため、学会から除名され永久追放処分を受けた」

「手段を選ばなかったって……具体的には?」

「人為的にフォビアを生み出すために、脳外科手術を施したり、危険な薬物の投与を試したり、非道な人体実験を繰り返した」

「完璧に危ない人じゃないですか……」

「しかし、除名されたのは四十年前。当時、モーニングスター博士は三十代だった。生きているなら、もう結構な高齢者だ。後継者がいるのかも知れない」


 人為的にフォビアを生み出そうとしていたって事は、P3みたいな計画を持っていたのかな?

 僕は上澤さんに尋ねる。


「フォビアを生み出すって、P3と同じですか?」

「四十年前、モーニングスターは倫理規定違反で委員会に召喚された。その時の記録によると……同じとは言い難い」

「……何が目的だったんですか?」

「簡単に言うと、神になる事……だ」


 僕は眩暈がする思いだった。片手で両目を覆って、二度首を横に振る。

 上澤さんも困った顔で笑っていた。


「フォビアの研究を続けている内に、フォビアに神性を見出してしまったんだな」

「勝手な幻想ですよ」


 吐き捨てる様に言った僕に対して、上澤さんは真顔に戻って言う。


「ところが、そうでもないのだ。モーニングスター博士の技術力や先見性は、学会内でも高く評価されていた。倫理規定を逸脱さえしていなければ」

性質たちが悪いですね」

「ああ、全く。まるで的外れな事をやっているならともかく、フォビアが神に至る力だというのは、そう間違ってはいない」

「どういう事ですか?」


 困惑する僕に上澤さんは語った。


「フレデリック・ロッコ・フレンダーの事を憶えているかな?」

「フレデリック……?」

「ゴッズボイスのフレッドだ。フレッド・フレンダー」

「あー、フレッドさん」


 フルネームはそんな名前だったんだなぁ……。


「フォビアを利用すれば、フレッドの様に他人の知識を得る事もできる。勿論、それは当人にも深い知識と教養を要求するし、誤解や妄想、誤った理論を取り込んでしまう危険性も持っている。それでも『他人と意識をリンクさせる』という事は、無限の可能性を持っているんだ」


 それはそうなのかも知れない。超常現象を引き起こす事も可能になるなら、尚更。


「だけどね……人の心がそう簡単には思い通りにはならない様に、フォビアも人の思い通りにはならないんだよ。思い通りの能力を得る事は難しく、仮に得られても今度は使いこなすのに苦労する。モーニングスター博士は夢を見ているんだ。目を覚まさせてやらないとな」

「はい」


 モーニングスター博士か……。本人か後継者か知らないけれど、バカな事は止めないといけない。

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