モーニングスター

1

 動物園からウエフジ研究所に戻った僕は、まず事務所に寄って都辻さんに何があったのか報告した。


「ただ今、戻りました」

「お帰りなさい。事情は聞いてます。大変だったみたいですね」


 聞いているなら話は早い。手間が省けて助かった。


「ええ、まあ。他の皆は無事に帰って来ましたか?」

「はい。全員」


 僕は安心して小さく息を吐く。

 それから自分の部屋に戻って、携帯電話で上澤さんに話をした。


「向日くん、無事だったか?」

「はい」

「今、どこだ?」

「もう寮の部屋に帰ってます」

「おやおや……連絡してくれれば、迎えをよこしたのに」

「いえ、そこまでお手数をおかけしては」

「念のために検査を受けるか?」

「いや、大丈夫です。それよりもモーニングスター博士の事で、お話が……」

「ああ」


 上澤さんの声色が低く真剣な感じに変わった。

 僕は思考を整理しながら言う。


「……モーニングスター博士は逮捕されたんですけど、それでもあの人には気を付けてください」

「分かっているよ。彼は最大級の危険人物だ」

「どんなフォビアを持っているか分かりませんから」

「君はあの時、あの場所で何を見た? モーニングスター博士は何をした?」

「分かりません。動物園で……風が吹いて、火事が起こったんです。僕のフォビアも一時的に無効化されて、テレパシーみたいなのも使いました」

「複数の超能力を使ったのか?」

「そう見えました。でも、何かカラクリがあると思います」


 上手く伝わっただろうか? ちゃんと説明できたか自信が無い。

 僕の報告を聞いた上澤さんは、少しの沈黙を挟んで、僕に聞いて来た。


「向日くんは、どうするべきだと思う?」

「どうってのは……」

「勿論、モーニングスター博士の処遇だ」

「……正直、殺してしまった方が良いと思います」


 それは本心だった。死ねば生き返る事もないだろう。少なくともモーニングスター博士が直接実行しようとしている事だけは避けられる。

 上澤さんは電話の向こうで苦笑いした。


「ははは。君がそう言うなら、そうしようか?」


 冗談とも本気とも付かない問いかけに、僕は答えられなかった。

 そう簡単に人を殺してしまう事なんかできない。だけど、これから何が起こるか分からない。でも、少なくとも日本の法律では、予防的な殺人は認められていない。

 ……ここで決断しなければ、更に被害が出ていたとしても?

 僕には荷が重過ぎる。

 黙り込んでいた僕に、上澤さんは改めて問いかけた。


「どうして殺した方が良いと思った?」

「能力が恐ろしいからとかじゃなくて……勿論それもあるんですけど、奴は何かを企んでいます。捕らえられる事までも全部計算済みだったとしたら……」

「分かった」


 えっ、って? 何を分かったんだ?

 僕は焦った。


「本当に殺すつもりですか?」

「そういうつもりで言ったのでは?」

「いや、それは……」


 電話の向こうで上澤さんは小さく笑う。


「今すぐ殺しはしない。だが、保険をかけておこう」

「保険?」


 嫌な予感がしたけれど、上澤さんは答えてはくれなかった。


「とにかく今日はお手柄だった。だが、モーニングスター博士が単独で行動していたとは思えない。また何か動きがあるまで、ゆっくり休んでいてくれ」

「……はい」


 それで通話は終わる。どこか腑に落ちない気持ちで、僕は携帯電話を置いた。

 ……僕の考え過ぎかも知れない。取り敢えず、少し休もう。動物園でフォビアを使ったから、疲れている事は間違いない。

 僕はリビングに横になって、静かに目を閉じた。

 ああ、どうか何事も起こりません様に……。



 僕は少し眠るつもりだったけれど、全然眠たくならなかった。

 頭の中ではずっとモーニングスター博士の事を考えている。モーニングスター博士は本当にフォビアを持っているんだろうか? 多分だけど、生まれ付きのフォビアは持っていない。フォビアは大人になれば自然に弱まって失われる物だし、本人も深刻な恐怖症を抱えている様には見えなかった。可能性があるとすれば、本人のフォビアじゃないか、自力で超能力を開発したか……。

 危険な人体実験を繰り返したという話だったから、もしかしたらそれを自分に応用したのかも知れない。神になるとか何とか言っていたしな。

 でも、自分の脳ってどうやって改造するんだろう? やっぱり仲間がいる? 仲間って誰だ? 同じフォビアの研究者? それとも黙示録の使徒?


 考えても考えても分からない。そもそも考えただけで分かる訳がないんだ。僕は諦めて思考を放棄した。この事は一旦忘れよう。


 モーニングスター博士は公安が拘束しているはずだ。だけど……公安で本当に大丈夫なんだろうか? 脳波を遮断するヘッドギアがあっても、完全に超能力を封じられる訳じゃない。もし人の心を操る様な超能力を持っていたら……

 あぁ、不安になって来る。あの時、動物園で僕自身の手で殺しておくべきだったかも知れない。そんな度胸は無かったんだけど。

 もしモーニングスター博士が何か問題を起こしたら、今度こそ僕はためらわない。そう固く心に決めた。

 ……超命寺の遺言が僕の頭の中で再生される。嫌な気分だ。

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