4

 午前九時、僕は携帯電話で上澤さんに夢の話をする。一から十まで全て説明するつもりで意気込んでいたんだけれど、話している内に段々僕は不安になって来た。夢の内容をどこまで信じられるのかという問題が、峻険な山の様に僕の心にプレッシャーをかける。

 だけど、上澤さんは最後まで静かに聞いてくれた。


「成程、地上に天国を……。連中が日富くんの能力を学習するとは思わなかったな。まさかストレージまで……」

「ルーシーの言っていた事の意味が分かるんですか?」

「推測ではあるが、ルーシーは東京にいる人間の精神を自分自身のストレージと繋げるつもりなんだろう」

「繋げると何が起こるんですか? ルーシーのストレージの中には何が?」

「これも推測だが、安らぎや温かさ、喜びと言った、人にとって好ましい感情や体験が詰まっているんだろう。良い物だけを選り集めた世界。それを天国と呼んでいる」

「天国を地上に再現する……」

「それこそが目的だとルーシーは言っていたんだったな」

「それで……何がどうなるんでしょう?」

「分からない。東京に幸せの国を創って、統治するつもりなのかも知れないな」

「幸せの国……」


 本当に幸せの国になれば良いけれど、そうそう都合好く行くとは思えない。

 それは上澤さんも同じ考えの様だ。


「どうにか止める方法は無いでしょうか?」


 僕の問いかけに上澤さんはしばらく沈黙した。


「……今は公安の働きに期待するしかないな。事前に怪しい動きを察知してくれる事を祈れ」

「『祈れ』って」

「現時点で他にできる事は無いだろう。仮に地上に天国を展開されても、向日くんならば止められると思う」

「止められる……でしょうか?」

「君が止めたいと思えば――と言うか、君以外には止められないんじゃないかな?」

「そう……ですね」

「どうした? 元気が無いじゃないか」


 どうしても僕はルーシーの言葉が引っかかる。天国とは……。


「ルーシーは人がそれを望むんだと言っていました。皆が天国を望んでいると……」

「望むままを与える事が正しいとは限らない。それが悪い結果をもたらす事もある。本当に望む物が与えられるとも限らないしな」

「ええ、そうですよね。僕がしっかりしないと」


 僕は一つ息を吐いて、気を取り直した。


「仮に公安が事前に――予兆とか、そういうのに気付けなかったら、僕も公安の人達も一緒に天国に取り込まれると思うんですけど、その事については何か……対策とか無いんですか?」

「君の存在こそが最大の対策のつもりだ」

「……分かりました」


 覚悟を決めるしかない。僕がどうにかするんだという強い気持ちで臨む。弱気にはならない。


「頼んだぞ、向日くん。必ず無事に帰って来てくれ。それが私達の望みだ」

「はい。必ず」


 通話を終えた僕は、一際大きな溜息を吐く。

 言い切ったからには、やり遂げる。いつもその覚悟で進んで来た。今回だって乗り切れる。



 それから午後になって、真桑さんが僕に現在の状況を語ってくれた。


「取り敢えず、皇居にいる人間には全員退避してもらった。これで最悪の事態は免れるだろう」

「国会とか……その辺は大丈夫なんですか?」

「残念ながら今は開会中で、急に閉じる事はできないんだ。それに都民にも不安を与えてしまう」

「そんな事を言ってる場合じゃないでしょう? 寧ろ、全員を山手線の内側から避難させるべきですよ」

「落ち着くんだ。エンピリアンの作戦で死者が出る事は無いと見られている」

「だからって……!」


 天国がどんな場所になるのかも、まだよく分かっていないのに……。死ななきゃ良いってもんじゃないだろう。


「自衛隊とか動かせないんですか?」

「無理だ。防衛省は国防党が仕切っている。連中はあっち側だ」

「総理大臣に直接訴えるとか何とか――」

「だが、国家公安委員長も国防党だ。下手な動きを見せれば、先にこっちが排除されてしまう」

「どうにもならないって事ですか」

「まだ諦めるには早いぞ」


 真桑さんの一言で、僕は正気を取り戻した。

 そうだった。まだ始まってもいないんだ。事が起こる前にエンピリアンを止められる可能性は0じゃない。どんなに僅かでも、希望があるなら諦めちゃいけない。


「そうですね。まだ時間はあると信じましょう」


 今は前を向いて、できる事をやって行くしかない。



 状況が動いたのは、その日の深夜十一時だった。

 エンピリアンのペルセウス――ジョゼ・スガワラが品川駅に現れたと、真桑さんが寝ている僕を起こして教えてくれた。

 僕達は急いで真夜中の品川駅に向かう。ジョゼ・スガワラがあれから心変わりしていなければ、冷静な話し合いができるかも知れない。そう期待して。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る