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午前九時、僕は携帯電話で上澤さんに夢の話をする。一から十まで全て説明するつもりで意気込んでいたんだけれど、話している内に段々僕は不安になって来た。夢の内容をどこまで信じられるのかという問題が、峻険な山の様に僕の心にプレッシャーをかける。
だけど、上澤さんは最後まで静かに聞いてくれた。
「成程、地上に天国を……。連中が日富くんの能力を学習するとは思わなかったな。まさかストレージまで……」
「ルーシーの言っていた事の意味が分かるんですか?」
「推測ではあるが、ルーシーは東京にいる人間の精神を自分自身のストレージと繋げるつもりなんだろう」
「繋げると何が起こるんですか? ルーシーのストレージの中には何が?」
「これも推測だが、安らぎや温かさ、喜びと言った、人にとって好ましい感情や体験が詰まっているんだろう。良い物だけを選り集めた世界。それを天国と呼んでいる」
「天国を地上に再現する……」
「それこそが目的だとルーシーは言っていたんだったな」
「それで……何がどうなるんでしょう?」
「分からない。東京に幸せの国を創って、統治するつもりなのかも知れないな」
「幸せの国……」
本当に幸せの国になれば良いけれど、そうそう都合好く行くとは思えない。
それは上澤さんも同じ考えの様だ。
「どうにか止める方法は無いでしょうか?」
僕の問いかけに上澤さんはしばらく沈黙した。
「……今は公安の働きに期待するしかないな。事前に怪しい動きを察知してくれる事を祈れ」
「『祈れ』って」
「現時点で他にできる事は無いだろう。仮に地上に天国を展開されても、向日くんならば止められると思う」
「止められる……でしょうか?」
「君が止めたいと思えば――と言うか、君以外には止められないんじゃないかな?」
「そう……ですね」
「どうした? 元気が無いじゃないか」
どうしても僕はルーシーの言葉が引っかかる。天国とは……。
「ルーシーは人がそれを望むんだと言っていました。皆が天国を望んでいると……」
「望むままを与える事が正しいとは限らない。それが悪い結果をもたらす事もある。本当に望む物が与えられるとも限らないしな」
「ええ、そうですよね。僕がしっかりしないと」
僕は一つ息を吐いて、気を取り直した。
「仮に公安が事前に――予兆とか、そういうのに気付けなかったら、僕も公安の人達も一緒に天国に取り込まれると思うんですけど、その事については何か……対策とか無いんですか?」
「君の存在こそが最大の対策のつもりだ」
「……分かりました」
覚悟を決めるしかない。僕がどうにかするんだという強い気持ちで臨む。弱気にはならない。
「頼んだぞ、向日くん。必ず無事に帰って来てくれ。それが私達の望みだ」
「はい。必ず」
通話を終えた僕は、一際大きな溜息を吐く。
言い切ったからには、やり遂げる。いつもその覚悟で進んで来た。今回だって乗り切れる。
それから午後になって、真桑さんが僕に現在の状況を語ってくれた。
「取り敢えず、皇居にいる人間には全員退避してもらった。これで最悪の事態は免れるだろう」
「国会とか……その辺は大丈夫なんですか?」
「残念ながら今は開会中で、急に閉じる事はできないんだ。それに都民にも不安を与えてしまう」
「そんな事を言ってる場合じゃないでしょう? 寧ろ、全員を山手線の内側から避難させるべきですよ」
「落ち着くんだ。エンピリアンの作戦で死者が出る事は無いと見られている」
「だからって……!」
天国がどんな場所になるのかも、まだよく分かっていないのに……。死ななきゃ良いってもんじゃないだろう。
「自衛隊とか動かせないんですか?」
「無理だ。防衛省は国防党が仕切っている。連中はあっち側だ」
「総理大臣に直接訴えるとか何とか――」
「だが、国家公安委員長も国防党だ。下手な動きを見せれば、先にこっちが排除されてしまう」
「どうにもならないって事ですか」
「まだ諦めるには早いぞ」
真桑さんの一言で、僕は正気を取り戻した。
そうだった。まだ始まってもいないんだ。事が起こる前にエンピリアンを止められる可能性は0じゃない。どんなに僅かでも、希望があるなら諦めちゃいけない。
「そうですね。まだ時間はあると信じましょう」
今は前を向いて、できる事をやって行くしかない。
状況が動いたのは、その日の深夜十一時だった。
エンピリアンのペルセウス――ジョゼ・スガワラが品川駅に現れたと、真桑さんが寝ている僕を起こして教えてくれた。
僕達は急いで真夜中の品川駅に向かう。ジョゼ・スガワラがあれから心変わりしていなければ、冷静な話し合いができるかも知れない。そう期待して。
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