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 正午が近くなって、僕はようやく空腹を感じ始めた。

 良かった。地獄では感覚が正常に戻るみたいだ。僕は安堵して、食事ができるお店を探して歩く。

 駅内のレストランやコンビニの人達も、頭にヘッドギアを着けている。天国と地獄が出現してから半日足らずで、よくこれだけの人数に対応できる分を用意できたなと思う。エンピリアンの計画に対抗するために、予め準備してあったんだろうか?

 そんな事を考えながら僕は目に付いたレストランに入って、食事を取った。レストランに限らず、どの店も非常時だから無料って訳じゃなくて、当然お金を払わないといけない。世の中そうそう甘くない。十分なお金を持っていて良かったと思う。

 ゆっくり時間をかけて食事を終えた僕は、仮眠室で少し眠る事にした。


 午後二時頃になって、僕は真桑さんに起こされた。これから新宿御苑に突入する作戦を立てるらしい。

 僕は真桑さんに連れられて、駅のロビーに向かう。そこでは一条府道さんが十人ぐらいの警察の人達を前に、現在の状況について報告を受けていた。僕と真桑さんは話が一区切り付くまで待機する。

 数分後に一通りの報告を聞き終えた一条府道さんが、僕を見て言った。


「待たせてしまったかな? おい皆、彼が今回のキーパーソンの向日衛くんだ。よく覚えておく様に。それでは解散」


 警察の人達は僕に注目した後、銘々にロビーから去って行く。広いロビーには僕と真桑さんと一条府道さんの三人だけになった。

 一条府道さんは真剣な顔で僕に尋ねる。


「単刀直入に聞くが……。どこまでできるんだ?」

「どこまでって言うのは――」

「新宿御苑に入れるか?」

「はい。できると思います」

「何人ぐらい連れて行けそうだ?」

「大勢は無理だと思います。あの中が天国と同じなら、長時間の滞在は危険です」

「脳波を防いでいてもか?」

「天国では不思議な力が働いているんです。上手く言えませんが、地上や地獄とは理屈が違うんですよ」

「例えば?」

「天国では空腹や疲労、眠気を感じません。それで……安心感というか、心が安らかになるんです」

「そうなのか?」

「はい。欲求を捨て去った人にとっては、素晴らしい世界になるんだと思います」


 一条府道さんは僕を疑いの眼差しで見詰めた。天国を持ち上げる様な事を言ったからかも知れない。でも事実なんだ。


「多分ですけど……長く天国にいると、心や体が天国に順応して行くと思います」

「順応?」

「天国には約束があるんです。争ってはいけないとか、奪ってはいけないとか」

「約束を破ったら、どうなる?」

「地獄に送られます。僕はそうやって地獄に来ました」

「天国と地獄か……」


 一条府道さんは僕の話を聞いて、考え込む仕草をした。そして数秒後に改めて僕に尋ねて来る。


「エンピリアンの目的は結局何だったんだ?」

「それは……救済なんだと思います。生きる事に苦しむ人の魂を解放しようと」

「正気か?」


 頭がおかしいと思われてしまった。まあ自分でも言ってておかしいと思う。


「……まあまあ正気です。お金とか権力を求める人、欲望の強い人は地獄に送られるんです。そこでは好きなだけ闘争ができます。地獄と言う名の無法地帯だから、力があれば何をしても許される。きっと、地獄が相応しいんです」

「おいおい……」

「天国は逆です。生きる事に疲れた人が行くんです。そこには何も無いけれど、永遠の安らぎがある……。ルーシー・モーニングスターは多分、本心から人を救おうと思っています。欲に塗れた悪人は地獄に落ちて、哀れな善人は天国に招かれるんです」

「だったら半礼寅卯は?」

「あの人は……地獄の王にでもなるつもりなんじゃないですか? 全ての富と権力を収めて」

「どっちにしても二人を放っておく訳にはいかない」

「はい。それは分かっています。僕は半礼寅卯もルーシーも倒すつもりです」


 僕の決意表明を聞いて、一条府道さんは眉を顰めた。


「ルーシー・モーニングスターまで? 彼女は善意で人を救おうとしているんじゃなかったのか? それなのに君は彼女を倒せるのか」

「そんなの独善ですよ。天国も地獄も死んだ人が行く所でしょう? 地上にそんな物を創られても迷惑です」

「そりゃ確かに」


 一条府道さんは小さく笑って同意してくれた。



 結局、新宿御苑に突入するのは僕と真桑さんだけに決まった。新宿御苑に着くまでは他の人達の護衛が付くけれど、中に入るのは二人だけ。

 はっきり言ってしまうと、僕は何人も守れる自信が無い。本当は二人でも危ないと思っている。真桑さんの同行を認めたのは、僕一人に全て任せてもらえる雰囲気じゃなかったから……しょうがなくだ。


 翌日の早朝に、僕と真桑さんは新宿駅を出発して、新宿御苑に向かった。護衛の人達は離れた場所から僕達を見守っている。

 それにしても静かだ。まだ太陽が昇り切らない時間帯だからか、街全体が眠っているかの様。とても昨日までと同じ地獄だとは思えない。嵐の前の静けさとでも言うんだろうか……。

 そして僕達は何事も無く新宿御苑の新宿門に着いた。

 目の前には白い光の壁がそびえる。


「予想外に静かだったな。一騒動あると思っていたが」

「そうですね……」


 僕達が新宿御苑に近付いている事に、エンピリアンの半礼寅卯が気付いていない訳が無い。いくら早朝だからって。

 僕も真桑さんも不気味さを感じていたけれど、ここで引き返す事なんてできない。


「行きますよ」

「ああ」


 僕達は同時に白い光の中に足を踏み入れた。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか……。

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