5

 翌日の土曜日、いつものカウンセリングで僕の心を読んだ日富さんは、難しい顔をしていた。


「向日くん……」

「はい、何でしょう?」


 まずい事でもあったのかなと僕は不安になる。心当たりが無くはない。昨日、勝手にフォビアの訓練をしたのが良くなかったのかも知れない。


「訓練はしなくて良いと言った筈です」

「ああ、はい」


 やっぱりその事だった。日富さんは悩まし気に指先で眉間を押さえる。


「私達はあなたを切り札として使うつもりでした。あなたのフォビアは発動に大きな精神的負荷がかかるので、訓練を繰り返したらフォビアがどうなるか分かりません。もしもフォビアを失う事になれば、F機関にとって大きな損失です。もっと強く注意しておくべきでした」


 僕は気分が落ち込んで項垂れた。僕としては良い方向に進んでいたつもりだったんだけれど、F機関としては余計な事だったんだろう。

 日富さんの沈黙が長い。そこまで悪い事だったのかと僕は一層不安になる。


「しかし、今のあなたの状態が悪いとは思いません。寧ろ、良い方向に進んでいると思います」


 ……えーと、どういう事なんだ? 訓練を続けても良いって事なのかな?


「今日は訓練をする予定はありませんね?」

「はい」

「では、この土日……今日明日は何もしないでください。副所長と真剣に話し合ってみます」

「何を話し合うんですか?」

「あなたが思い付いた訓練を認めるかどうかです」


 僕のフォビアなんだから、僕の好きにさせて欲しいというのが、正直な気持ちだ。F機関としては、そうもいかないんだろうけど。


「認められなかったら、どうなりますか?」

「心配しないでください。私が全力で説得します。月曜には結論を出します」


 日富さんは力強く宣言する。

 僕の思う通りにできる様に、日富さんが自ら副所長の上澤さんを説得してくれる?  本当に説得できるなら、ありがたいし、嬉しい。

 それでも機関の思惑から外れては行動できない事に、僕は不自由さを感じていた。だからって、今すぐに機関を飛び出す程の行動力は持っていないけど……。

 とにかく僕は日富さんを信じて、待ってみる事にした。


「お願いします」

「任せてください」


 日富さんはかなり自信があるみたいだ。期待して良いんだろう。上澤さんも融通の利かない性格じゃなさそうだし。

 僕は希望を持って、カウンセリングルームを後にした。



 午前十時、僕は自分の部屋を掃除する。毎週土曜日の午前中は掃除をする時間と決めていた。ちゃんと日時を決めておけば、ダラダラと先延ばしにする事もない。思い付いた時にやるんじゃダメなんだ。

 ワイパーで床を拭いていると、テーブルの上に置いてあった携帯電話が鳴る。

 誰かと思って出てみると、芽出さんだった。


「もしもし、向日くん?」

「はい、向日です。どうしたんですか? 芽出さん」

「えっとね、日曜日、またお出かけしない?」

「日曜って明日ですか?」

「そうそう」


 あー、間が悪い。申し訳ないけど、断らないといけない。


「済みません。その事なんですけど、土日は止められてしまって……」

「止められたの? どうして?」

「僕が勝手に訓練したのが、どうもまずかったみたいで」

「そうなんだ……。でも、土日だけ?」

「月曜日には許可してもらう予定です」


 一度沈んでいた芽出さんの声が再び明るくなる。


「土日って、もしかして今日明日だけなの?」

「はい。来週からは大丈夫だと思います」

「はいはい、そういう事ね。良かった。だったら月曜日に。良いかな?」

「許可をもらえていたら……ですけど」

「はい、それじゃ月曜日、朝の十時。忘れないでね」

「はい」


 通話を終えて、僕は小さく息を吐く。まだ許可をもらえると、はっきり決まった訳じゃないのに、気が早いなぁ……。

 僕は携帯電話をテーブルの上に置くと、カレンダーに予定を書き込んだ。何だかデートの約束みたいだ。芽出さんにそんなつもりはないんだろうけど。

 でも、芽出さんは本気でフォビアを失うつもりなんだろうか? ……いや、フォビアを使いこなせる様にしたら良いと思うのは、僕の理想の押し付けだ。フォビアの事はフォビアを持っている本人が決めれば良い。

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