3

 デラーンは手錠をかけられて、警察の人達に連行された。どうやら足を怪我していたみたいで、それで逃げようにも逃げられなかったらしい。

 僕達は全員――警察の人達も、デラーンと共に山を下りて、メダンに移動する。

 体を拘束しても、デラーンにはフォビアがあるから油断できない。メダンの警察署の留置場で、僕とウサギさんはデラーンを見張る事になった。

 ウサギさんはF機関やC機関、インドネシア当局との交渉のために頻繁に留置場を離れるので、僕はデラーンと何度も二人だけになる。でも、インドネシア語が分からないから、会話で時間を潰す事もできない。


「Can you speak English?」


 僕は英語なら通じるんじゃないかと思い付いて聞いてみたけど、返答は無かった。

 まあ……しょうがない。母国語以外は話せないのが普通だろう。僕だって英語なら多少は話せるってだけで、得意って訳じゃないからな。

 しばらく経って、今度はデラーンの方から僕に話しかけて来る。


「Apa yang akan terjadi kepada saya?」


 ……でも、インドネシア語だったから僕には分からない。応えてあげられないのは心苦しいけれど、どうしたら良いのか本気で分からない。

 また長い沈黙の時間が続く。

 ウサギさんは夕方まであちこち移動していた。時々留置場に戻って来ては、インドネシア語でデラーンと話をしていたけれど、その時の表情はお互いに真剣で、僕は口を挟む気になれなかった。



 夜になって、ようやく僕達はホテルに戻れる事になる。威力も範囲も鞭の再現でしかないデラーンのフォビアでは、牢を破る事は無理だろうという結論だった。


 ホテルの室内で僕はウサギさんに、デラーンの処遇について尋ねる。


「デラーンはどうなる見込み?」

「死刑か国外追放刑、どちらかという事になった。日本が受け入れるなら追放も選択肢に入ると、インドネシア当局は言っている。日本に入国できれば死刑は免れるが、果たして入国管理局を説得できるか……」

「無理そう?」

「政治家が動けば話は別だろうが、デラーンにそれ程の利益は無い。政治家でも有名人でも日系人でもないから、大衆を動かす力も、大金を動かす力も、同胞愛に訴える力もない。密入国させて逮捕、保護と手順を踏むのが、最も現実的だな」

「金も権力も無いから、しょうがないのか」


 大きな溜息が漏れる。逆に言えば、金と権力さえあれば、このくらいは何とでもなるという事だ。違法行為に目を瞑ったり、罪に問われない様に手配できたりする。

 そうじゃないから、法に触れる事をせざるを得ない。デラーンにも密入国という罪を負わせてしまう。


「だが、背に腹は代えられない。死ぬよりマシだと思えば、そのぐらいは耐えてもらわなければ」

「でも正式に受け入れないと追放刑にはならないんじゃ?」

「……そうだな。デラーンに襲われた被害者の処罰感情もある。追放もというだけで、確実とは言えない」


 ウサギさんも大きな溜息を吐いた後、真っすぐ僕を見詰めた。


「それでも助けたいと思うか? 100%助けられるとは限らない。国益にもならないかも知れない。他人に罪を負わせる事にもなる。それでも……やるのか」


 覚悟を問われているんだと僕は感じた。


「ああ。見殺しにはしたくない」

「フォビアだというだけで? 性根から極悪人かも知れないのに?」

「そこまで極悪人じゃないと思う。あの目は……」


 チークの大木の根元で、デラーンは真っすぐ僕を見ていた。その時に僕は彼の心の中を見た気がした。そこには怯えと警戒、それと……自分の運命を悟り切った様な、諦めがあった。


「目を見て、何が分かった?」

「……上手く言えないんだけど、どうしても生き残ってやるとか、取り入って助かってやろうって計算が無かった。ここで死んでもしかたないという様な、そんな潔さと言うか、彼なりの道徳観を見た気がする」

「そうかな」

「ウサギさんはデラーンと話していて、どうだった?」

「どうかな」


 ウサギさんは正面から答えようとしなかった。それはわざと僕を不安にさせているかの様な……。

 自分一人では何もできないのに、「こうしたい」という要求だけは一人前の、僕に対する当て付けなのかも知れない。事実その通りだから、僕は甘んじて受け止める。ウサギさんには苦労をかけている。


「最終的にはインドネシア当局の判断次第だ。じたばたしたってしょうがない。肝心の本人が拒否したら、どうしようもないしな。彼にとっては日本は遠くの知らない国だろう。何のよすがもない異国で生きるよりは、故郷での死を選ぶかも知れない」

「ああ」

「もう休もう。今日は疲れた」

「……そうしよう」


 僕は願いと不安を胸に一夜を過ごす。

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