破られる平穏

1

 運動公園での一件から、初めての外出の日が来た。だけど、今回連れて出るのは穂乃実ちゃんだけ。やっぱり大人数での外出は許されないらしい。

 同行者の一人は耳鳴さん。もう一人は……C機関の兎狩槍矢。ビルの入口で兎狩と会った僕は警戒して身構え、穂乃実ちゃんを庇う様に立つ。

 それを見た耳鳴さんが小声で僕に言う。


「彼が今日の同行者だ」

「うぇえっ!? この人が?」


 思わず嫌そうな声が出てしまった。機嫌を損ねてしまっただろうか?

 僕が恐る恐る兎狩の表情を窺うと、彼は小さな溜息を吐いて言う。


「そう警戒するな。今は敵じゃない」

「そ、そうですか……」

「上からの命令が無ければ、余計な事はしない。それで、どこに行くんだ?」

「あー、ええと、城跡公園です」

「さっさと行くぞ」


 兎狩は僕達に移動を促す。耳鳴さんも僕達に言う。


「行こう」

「はい」


 僕は一度穂乃実ちゃんを見た。穂乃実ちゃんは心配そうな顔をしている。僕の怯えが伝わってしまっているんだろうか?

 兎狩と僕には因縁があるけれど、穂乃実ちゃんとの間には何もない。

 今の兎狩に敵対の意思がないのは事実だろう。無用な脅威を煽るのは誰にとっても良くないと考えた僕は、穂乃実ちゃんを安心させようと、余り兎狩をあからさまに警戒しない様にした。

 ……兎狩って呼び捨てにするのも良くないな。兎狩さんにしとこう。



 僕達四人は市営バスで城跡公園前まで移動する。僕と穂乃実ちゃんは真ん中の方の席に並んで座り、耳鳴さんも僕達の近くの席に座る。そして兎狩さんは一人だけ最後列の席に座った。

 一緒に座るのは気まずいのかな? それとも馴れ合うつもりはないって事か?


 これから向かう城跡公園は、その名の通り江戸時代にお城があった場所に造られた公園だ。天守は失われているけれど、広大な城郭内の庭園は残っていて、季節ごとの花が咲く。

 今は秋だからカエデやイチョウの紅葉も楽しめる。大きな池にはニシキゴイが泳いでいて、水鳥も飛んで来る。目立った施設やイベントが無くても、いや無いからこそ侘び寂びが感じられる。和の心だなぁ……。

 穂乃実ちゃんが楽しめるかは分からないけど、こういう場所もあるって知っておいて損はない。僕も小学校の遠足で行った事がある。


 城跡公園前でバスから降りた僕達四人は、連れ立って城跡公園に向かう。先頭を僕と穂乃実ちゃんが歩いて、その後ろに耳鳴さん。兎狩さんは最後尾。しんがりを守ってくれているんだろうか?

 城跡公園に入ると、まず秋菊とコスモスの列が僕達を迎える。他にも孔雀草やダリア等、色鮮やかな花々が植えられている。穂乃実ちゃんは気圧された様に、目を見開いて沈黙したまま立ち尽くしていた。

 平日だから今日は人出が少ない。人に紛れて解放運動に襲われる心配はしなくても良いだろう。

 僕達は花に囲まれた通路をゆっくりと歩き抜けて、庭園の中庭に移動する。遠目にもカエデやイチョウが映える中で、キンモクセイの強い甘い香りが風に乗って来る。


「なんか変なニオイがする」


 穂乃実ちゃんが敏感に反応した。

 変な臭いって……芳香剤にも使われてるんだけどな。強い匂いだから嗅覚への刺激が強過ぎるのかも知れない。それともトイレや消臭剤の匂いだと記憶しているとか?


「キンモクセイの花の匂いだよ。あれがキンモクセイ」


 そう言いながら僕は穂乃実ちゃんをキンモクセイの木の前に連れて行った。

 穂乃実ちゃんは花に顔を近付けて匂いを嗅ぐ。


「本当だ」

「良い匂いだろう?」

「変なニオイ」


 ……まあ感覚は人ぞれぞれだから。


 僕達は中庭の大きな池に移動する。ニシキゴイが人の足音を聞き付けて、餌をくれくれと寄って来る。

 僕は百円で売られている鯉の餌を買って、穂乃実ちゃんに渡した。

 水鳥までが目敏めざとくお零れにあずかろうとスーッと遠くから泳いで来る。

 穂乃実ちゃんが小さな手で握った餌をばら撒くと、鯉が群がって水面に浮いた餌をバシャバシャと激しく奪い合う。水鳥も競争に混ざって、あっと言う間に餌が消えて無くなる。


「……こわい」


 餌の奪い合いを見て、穂乃実ちゃんはちょっと怯えていた。誰も傷付いてはいないけれど、動物の野性的な本能が怖かったのか、それとも自分が醜い奪い合いを引き起こした事が怖ったのか? 穂乃実ちゃんは僕に鯉の餌を返そうと押し付ける。そこまで怖かったんだな。


「生存競争だからね」


 僕は穂乃実ちゃんから鯉の餌を受け取ると、耳鳴さんに差し出した。


「耳鳴さんも、どうですか?」

「いや、私は自分で買うよ」

「じゃあ、兎狩さん……」


 耳鳴さんに断られた僕は、兎狩さんの姿を探す。兎狩さんは僕達から数m離れた場所で、周囲を警戒していた。まじめと言うか、徹底していると言うか……。

 しょうがないから僕は鯉の餌を雑に手で掴んで、遠くに投げてバラ撒く。節分じゃないけれど、豆撒きしてるみたいだ。鬼は外ってか?

 鳥も魚も餌を追って散って行く。


 それから僕達は公園の中をゆっくりぐるりと一巡り。

 一通り見終わって何もする事が無くなったので、僕達は城跡公園を後にした。時刻は正午前。お腹が空いたから早く帰ろうという事で、市営バスに乗って研究所の近くまで戻る。

 バスに乗ると、やっぱり兎狩さんだけは一人離れて最後列に座る。全体が見渡せる場所で僕達を見守ってくれているんだろう。背後恐怖症の開道くんとは相性が良いかも知れない。いや、開道くんにとっては兎狩さんは知らない人だから安心する要素にはならないか……。

 僕はそんな事を思いながら、隣でゆらゆらとバスの揺れに合わせて体を揺らしている穂乃実ちゃんに尋ねた。


「今日の外出はどうだったかな?」

「楽しかった」

「本当に?」

「ホントだよ? なんで?」


 公園での様子を見た限りでは、余り楽しそうじゃなかったんだけど……本人がそう言うならそうなんだろう。穂乃実ちゃんは感情が表に出難い性質なのかも知れない。

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