3
翌週、開道くんは予定通りに寮での生活に移った。部屋は七階の隅、710号室。
午後二時、僕は開道くんの部屋にお邪魔する。
「向日だけど、ちょっと良いかな?」
「あっ、はい。どうぞ」
中に通された僕は、ざっと室内を見回す。部屋の構造自体は、僕や他の人達の部屋と大きくは変わらない。
「引っ越しは済んだのかな?」
「はい。だいたいは」
「まだだったら手伝おうと思ってたんだけど、その必要はないか」
「はい。大丈夫です」
「買い物は済ませた?」
「いや、まだです。何を買えば良いかもよく分からなくて」
「後で一緒に売店に行こう。寮生活の先輩として、何が必要になるかアドバイスできると思う」
「お願いします」
開道くんは畏まってお礼を言ってくれたけど、ちょっと先輩風を吹かせてお節介を焼き過ぎたかなと僕は気にする。迷惑がられていないと良いんだけど。
そんな事を考えながら室内のテーブルの上に目を落とすと、分厚い問題集が置いてあった。国語・数学・理科・社会・英語の五教科。
僕の視線に気付いた開道くんは苦笑いする。
「義務教育だけは終わらせとかないといけないって言われて……」
「誰に?」
「ここの事務の、都辻って人です」
「ああ、都辻さん。まあ確かに義務教育は義務だからね。やらせない訳にはいかないだろう。勉強は嫌い?」
「逆に好きな人っているんですか?」
開道くんは勉強が好きになれないみたいだ。やらされる勉強が好きな人は、そんなにいないだろう。僕みたいにやらなくて良くなって、ようやく大切さが分かる。
「僕はそんなに嫌いじゃないよ」
「本当ですか?」
「僕は高校を中退してしまったけれど、今になって少し焦っている。やっぱり最低限の知識は欲しい」
「そうなんですか?」
「後悔先に立たずと言うからね……」
開道くんが後悔するとは限らないけど、最低でも中学生ぐらいの知識は持っていないと社会で苦労するだろう。フォビアはいつか失う物だから。
それから僕と開道くんは売店に降りて、生活に必要な物を買い足した。お金はどうしているのかと思ったら、ご両親から支度金を渡されたと言う。その他にも生活に必要そうな物は、実家から送ってもらったらしいので、余り買う物はなかった。
フォビアを持っていても、やっぱり親は自分の子供の事が心配なんだろう。開道くんは反抗期だからなのか鬱陶しがっていたけれど、もっと小さい子達もいるし、親元から離れて暮らさないといけないってのは酷だよなぁ……。
僕は穂乃実ちゃんの事を思った。フォビアのせいで自分一人だけ残って一家全滅してしまった穂乃実ちゃんの人生は、余りに厳し過ぎる。あの子は自分のフォビアと、どう向き合うんだろうか?
「向日さん?」
「ん? どうかした?」
「いや、それはこっちのセリフですよ。ぼーっとしてどうしたんですか?」
「ああ……ちょっとね。家族の事を考えて。親がいるのは良い事だよ」
「向日さん……」
開道くんが怪訝な顔をしたから、僕は誤解されではいけないと慌てて言った。
「あの、僕の両親は普通に生きてるからね」
「まぎらわしい! ビックリしましたよ」
「悪い悪い。しばらく親の顔を見ていないからかな」
「ホームシックですか?」
「ちょっと違うな」
意地悪く聞いて来た開道くんに、僕は苦笑いで返す。
家を懐かしいとは余り思わないし、帰りたいとも余り思わない。それは多分、引きこもっていた時の事ばかり思い出してしまうからだろう。
後日、副所長の上澤さんからの通達で、子供達を外出させる際の新たな基準が明示された。
一つ、子供達を連れて外出する際には、二人以上の大人の同伴が必要で、絶対に子供達だけで行動させない事。
一つ、外出時間は午前十時から午後三時まで、時間厳守の事。
一つ、子供達には一人に一つずつ防犯ブザーを持たせる事。
一つ、同伴する大人は襲撃者を撃退できるだけの戦闘能力を持っている事。
この四つだ。結構きつい制限が付いたなと思う反面、このぐらいは当然だろうという思いもある。
僕だって今まで通りではいけない事は分かっていた。半年ぐらいの自粛は覚悟していただけに、外出ができるだけでもありがたい。
問題は都合が付く人がどれだけいるかって事なんだけど。まず戦闘能力を持った大人って誰なんだ? 弦木さんみたいにフォビアを攻撃に使える人を指しているなら、かなり限られてしまう。他には房来さんぐらいしか思い浮かばない。雨田さんの落雷のフォビアは不安定だし……。C機関の人に手伝ってもらえたりするんだろうか?
取り敢えず外出許可願を書いておけば、都合の付く人を手配して同行させてくれる形式らしいので、とにもかくにも僕は申請に必要な書類を提出しておいた。
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