罪深き者
1
エレベーターから降りると、すぐにオートロックのドアがあるけれど、これも今は機能していない。どうやら非常事態の設定になっているみたいだ。
そこから五十五階の廊下に一歩踏み出すと、異様な空気が充満していた。実際の気体の事じゃなくて、雰囲気の事だ。重苦しくて息が詰まる。
僕はウサギさんに尋ねる。
「強烈なプレッシャーを感じる。これが小館真名武?」
「多分……地獄の瘴気にやられたんだろう。あいつ、まだ人間としての意識を保ってると良いが」
ウサギさんの表情も余裕が無さそうだった。少し怯えが感じられる。
僕は続けて尋ねた。
「小館真名武はどこに?」
廊下はビルの中心を囲む様に配置されていて、その外側にいくつもの部屋が並んでいる。
「こっちだ……」
ウサギさんは険しい顔で、僕と真桑さんを南側の一室に案内した。ドアの前で僕達は足を止めて、お互いの顔を見合う。
誰がドアを開けるのか?
無言の協議の結果、真桑さんがノブに手をかけた。この部屋のドアにも鍵はかかっていなかった。電子ロック以外のロックもしていないみたいだ。
僕達は玄関を抜けてリビングに出る。先頭を歩いていた真桑さんが、驚愕の表情で足を止めた。何事だろうかと僕も部屋を覗き込んで、驚愕する。
リビングの真ん中に怪物がいる。本当に怪物だとしか言い様が無い。
第一に大きい。高さは広いリビングの天井から床まで、幅は両端の壁から壁まで、ぎっしり詰まっている。
第二に紫色だ。打撲して鬱血した様な気色の悪い紫。
第三に人型だ。リビングを埋めつくしているのは贅肉の様に見える。まるで太り過ぎて動けない人みたいだ。
これが……小館真名武? それとも小館真名武だった者のなれの果てか……。
後からリビングに出て来たウサギさんも息を呑んだ。
「小館……!」
どうやらアレが小館真名武で間違いないみたいだ。
ウサギさんに紫の怪物が反応する。
「ブ、ブ、ブ……ナカライぃ……」
「どうしてそんな姿に……」
「アク、アク、すべての、アクを……コのミに、うけて」
驚くべき事に、小館真名武は人としての意識を保っている様だった。汚く濁って酷く聞き取り難い声ではあるけれど、どうにか会話できている。
「ワがミに、コのヨの、フジョウヲ、あつめて、おさめ……すべての、アクヲ、けしさろう」
小館真名武はとても具合が悪そうに見える。
悪と不浄を集める? そうやって地獄を創ったのか?
「オ、オオ、ジゴクのオウ……と、なりて……あしきモノを、よせあつめ……セイジョウなる、セカイを、ヲヲ」
「もうやめよう、小館。お前が一人で地獄を背負い込む事はない」
「イヤだ……イヤだ! わたしのユメ、わたしのキボウ、わたしのショクザイ……」
小館真名武は太った巨体を震わせて、ずるずると窓辺に移動し始めた。まるで軟体動物みたいに這って、こちらに背中を向ける。
真桑さんが銃を構えて警告する。
「動くな!! 撃つぞ!」
小館は警告が聞こえなかったのか、それとも敢えて無視したのか、移動をやめようとはしない。
無抵抗の相手を撃つ事はないだろうと、僕は真桑さんを止めた。
「やめてください! 真桑さん!」
「えぇっ!? 俺を止めるのか!?」
真桑さんには申し訳ないけれど、僕は小館真名武を殺すつもりはない。
そうこうしている間に小館は窓を圧力で突き破り、ずるりとビルの外壁に貼り付いて更に上へと移動した。部屋の中に強風が吹き込む。
僕とウサギさんは同時にお互いの顔を見て、頷き合った。
「とにかく上へ!」
「屋上だ!」
そして同時に階段に向かって駆け出す。僕達の後から、真桑さんが困惑した表情で付いて来る。
屋上に出た僕達は、ヘリポートの真ん中で吠えている小館真名武を目にした。小館真名武の巨体は、部屋の中で見た物よりも更に大きくなっているみたいだ。醜く垂れた贅肉はヘリポートを完全に埋め尽くしても、まだ収まり切らずに拡がり続ける。
このまま放置すれば、屋上全体がアメフラシみたいな気色の悪い紫の肉に覆われてしまうだろう。
「オオオオオ……! フジョウなるモノどもよ、きたれ! コのジゴクで、ヨクボウのままに、アクのかぎりを、つくし……もえつきるまで、あらそうがいい! オオ、オオ、オオオ!」
世界を呪う叫びは、とても悲しく聞こえる。遠景に広がるのは、夜空に瞬く星々をかき消すかの様に
小館真名武を中心に渦巻く強風の中、真桑さんは身を低くして眉を顰めた。
「しかし、アレはどうなってんだ? ゾウどころかクジラだろ。肥満の世界記録――いや、宇宙記録だな」
「あいつは世界中の悪意を一身に受けているんだ。悪を憎む心だけが、小館の自我を支えている」
ウサギさんの答えに、真桑さんは小さく息を吐いた。
「地獄を維持するために?」
「それが小館の望みだから……」
「どうやって助ける?」
「分からない。俺の説得は届きそうにもない。あいつがここまで強大な化け物になっているとは思わなかった。精神を冒されても、人の形ぐらいは保っていると……」
そこで二人の視線が僕に集まる。僕は力強く頷いた。
「僕がやります」
「手立てはあるのか?」
真桑さんの問いに、僕は再び頷いた。
「当たって砕けろですよ」
「えっ?」
僕は吹き荒れる強風の中、堂々と小館真名武に向かって歩いて行った。無力化のフォビアを意識すれば、人を吹き飛ばす様な強風も、ちょっと強いだけの風に変わる。
ブヨブヨとだらしなく垂れ拡がる小館真名武の巨体を踏み付けると、抵抗もなく足がずっぽりと沈む。これは本物の肉体じゃなくて、怨念が凝り固まった実体を持たない偽物の肉体だという事を、僕は理解した。
僕は小館真名武の本体を探しに、怨念の渦巻く中心部へと進む。
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