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 Tクロス・コンフォートタワーまで僕達はタクシーで移動する事に決まった。

 移動中に暴力団に目を付けられないか心配だったんだけど、そうなったらなったで公安の人達が全力でサポートしてくれるらしい。

 地獄が長引けば長引く程、理不尽な状況の犠牲者が増える。この無法地帯を早く解放しないといけない。事態は一刻を争う。

 そういう訳で出発は午後六時に決まった。



 公安が接収したタクシー会社のタクシーで、僕達三人は新宿駅から東に移動する。真桑さんは助手席に、僕と半礼寅卯は後部座席に乗り込んで、いざ出発。Tクロス・コンフォートタワーは新宿区T町にある。

 タクシーの運転手がハンドルを握る手は震えていた。

 それを真桑さんが指摘する。


「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫じゃないですよ……。もう死んだつもりでいます」


 泣きそうな声を出す運転手に、半礼寅卯は呆れた顔をした。

 そんなに怖いんだろうか? 怖いんだろうなぁ……。暴力団は今の状況なら遠慮なく銃火器を使って来るだろうし。

 真桑さんは冷静に運転手を宥める。


「安心してください。私達の仲間がここら一帯を守っています。暴力団に後れは取りません」

「公安でも無理ですよ……」

「何も武力だけが物事を推し進める全てとは限りません。ここは複数の勢力が縄張り争いをしている場所なんですから。全ての勢力を同時に相手にする必要は無いという事です」


 普段は「俺」って言ってる真桑さんも、こういう時はちゃんと敬語を使って「私」って言うんだなと、僕は妙に感心していた。大人は公私を使い分けられるんだ。


 タクシーは夕方の新宿区内を静かに走る。道路を走る車の数は極端に少ない。歩行者も偶にしか見かけない。更には、どの信号機も赤の点滅を繰り返しているだけ。

 地方の小都市でも、もう少し賑わいがあるだろうというレベル。時々遠くで小さな破裂音がして、その度にタクシーの運転手は縮こまって辺りを見回す。

 運転手の不安が伝播して、僕も不安になって来るけれど、真桑さんと半礼寅卯は泰然としている。肝が据わっているなぁ……。



 そして……僕達は無事にTクロス・コンフォートタワーに着いた。懸念されていた襲撃どころか、何の妨害や障害も無いままに。

 僕はビルを見上げた。空の大半は夜の黒に侵食されて、既に星が輝き始めている。中に住んでいた人達はどうなったんだろうとか、気になる事は色々とあるけれども、取り敢えずは一直線に最上階を目指す。

 タクシーから降りた僕達は、無人の敷地内を通って、Tクロス・コンフォートタワーの内部に足を踏み入れる……。

 玄関のロックは解除されていて、エントランスは不気味に静まり返っていた。明かりこそ点いているけれど、人の気配が全くしない。住人どころか、コンシェルジュも見かけない。

 僕達三人は一列に並んで、ビルの中を進む。銃を構えた真桑さんが先頭で、その後を僕が歩いて、半礼寅卯は一番後ろ。

 数歩進んだ所で、真桑さんは足を止めて、僕達に問いかけた。


「ここからどうする? エレベーターを使うか?」

「五十階以上も歩いて上がれってーの?」


 真っ先に半礼寅卯が声を上げる。

 確かに、最上階まで歩いて上がるのは疲れる。それだけで参ってしまいそうだ。

 でも用心深い真桑さんは安易に行動を決めない。


「エレベーターは何が起こるか分からないぞ。途中で電気が止まるかも知れないし、待ち伏せされるかも知れない。停電は最悪だ。身動きが取れなくなる」

「どうとでもなる。俺が何とかする」


 エンピリアンの半礼寅卯が言うと説得力がある。地獄でもエンピリアンの超能力があれば、大抵の事は平気だろう。

 半礼寅卯は一人でエレベーターに向かって歩き出した。僕と真桑さんは慌てて彼女の後を追う。


「寅卯さん!」


 僕が呼びかけると、半礼寅卯はピタッと足を止めた。そして僕に向かって言う。


「今、『トラウさん』って?」

「えっ……」


 何か気に障る呼び方だったんだろうか? 「半礼さん」って呼んだ方が良かった?


って言ったか?」

「ああ。言ったけど……」


 半礼寅卯は僕を真っすぐ見て問いかけて来る。


「他の呼び方、無い?」

「半礼さん」

「そうじゃなくてさぁ……。分かんない奴だなぁ」

「えぇ……?」

「もっとフレンドリーに頼むよ」

「トラさん?」

「嫌味かよ。男はつらいってか?」


 どうやら「トラ」がお気に召さない様だ。

 僕達の側では真桑さんが呆れた顔をしている。そんな事をしている場合かと。

 僕だってそう思うけれど、ここで半礼寅卯の気を悪くしても良い事は無い。ただ僕がナイスなニックネームを考えれば良いだけなんだ。


「トラがダメならウサギで……どう?」

「『ウサちゃん』って?」

「ウサギさん……」

「分かった。これからそう呼べ」


 それだけ言うと、半礼寅卯はエレベーターに乗り込んだ。

 本当に「ウサギ」で良いのかと、ぼんやりしている僕の肩を真桑さんが叩く。


「何をしている? 行くぞ」

「あ、はい」


 僕と真桑さんがエレベーターに乗り込むと、半礼寅卯……ウサギさんが五十五階のボタンを押す。このエレベーターは高層の入居者専用みたいだ。四十三階から下の階層のボタンが無い。

 エレベーターが上昇している間、真桑さんは銃を構えてドアの前に立ち、ウサギさんは壁にもたれかかって目を閉じている。静寂の中でエレベーターが上昇する音だけが聞こえる。とても不気味だ。


「入居者は部屋にこもっている様だな。邪魔が入る事は無いだろう」


 ウサギさんがぽつりと呟いた。その通りにエレベーターは特にトラブル無く、最上階である五十五階に着く。

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