日常に返る

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 十二月、本格的に寒くなって来る頃、よく晴れる日の早朝は水溜まりに氷が張る。

 ブレインウォッシャー・多倶知選証の死から一週間余り、僕の心は早くも立ち直りかけていた。

 多倶知は多くの罪を重ねて来た。あそこで死んでしまったのも、また因果なんだと僕は自分を納得させた。僕と奴の因縁は、これで終わりなんだ。果たし切れなかった復讐の事は忘れて、未来を見て生きるべきなんだ。


 その後の解放運動の動向は分からない。僕は何も教えられなかった。

 多分だけど、上澤さんが落ち込んでいた僕を気遣って、保護作戦から遠ざけてくれていたんだと思う。

 何にせよ、もう解放運動は組織としての体を成していない。外出で敵襲を警戒する必要もなくなったので、F機関のフォビアの人達は、フォビアを克服する訓練に専念できる様になった。

 これで良いんだ。僕自身もこうなる事を――こうできる事を望んでいたはず。勉強して、運動して、寮の人達や子供達と外出して、偶に幾草と遊んで……何て充実した日々だろう。

 だけど、不穏な影は消えなかった。



 ある日、僕は増伏さんと子供達と一緒に街に出かけた。フォビアを持つ子供達にとっては、街を歩くだけでも訓練になるんだ。積極的に外出する事で、社会経験の不足を補う。フォビアを活かすにしても失くすにしても、まず普通に日常生活が送れる様にならないといけない。


 市街地まで徒歩での移動中、僕は後ろの車が気になった。何の変哲も無い白い乗用車だけど、やたらと何度も見かける。僕達の後ろを走ったり、追い抜いたり。同一の車である証拠に、ナンバーが同じだ。

 警察か公安かと僕が怪しんでいると、増伏さんが小声で僕に言った。


「余り気にするな」

「何なんですか、アレは」

「監視委員会だ」


 ああ、そんなのもいたなぁ……。すっかり忘れていた。


「どうして今になって」

「東京の停電事件の裏で、謎の勢力が動いていたって噂があってな」


 噂って言うか、実際に解放運動が動いていた訳だけど。


「その謎の勢力が超能力者じゃないかと、連中は疑っている訳だ」

「まあ超能力者は超能力者ですけど……まさか僕達が疑われてるんですか?」

「過去にもあったんだ。大きな事件に何か不審な所があると、ああいう風に牽制する様な行動を取る」

「……証拠を持ってるとか、そういう事ではないんですね?」

「連中はあれで抑止力のつもりなんだ。今は放置でいい。しばらく続く様なら、警察に通報する」


 迷惑な話だ。でも、直接ちょっかいをかけて来る訳じゃないし、僕は増伏さんの言う通り、気にしない事にした。このまま何も起きなければ、半月ぐらいで諦めるだろうと軽く考えていた。

 実際、監視委員会は手を出しては来なかった。いつもこちらを遠巻きに観察しているだけ。気分は良くないけれど、こちらから行動を起こして話がこじれると、逆に問題が長引く。今は我慢の時なんだろう。



 十二月十日、今日限りで開道くんが退寮する事になった。本格的にC機関に移籍する事になったんだ。

 午前中には寮を出て行くという事で、僕は開道くんを見送りに出た。ウエフジ研究所の前には、僕の他にも上澤さん、浅戸さん、笹野さん、事務所の人達、増伏さん、諸人さん、船酔さん、高台さん、刻さん、芽出さん、勿忘草さん、幾草、それに普段は地下にいる研究員の人達と子供達もいる。

 開道くんを迎えに来た両親が、僕達に頭を下げる。


「皆さん、お世話になりました」


 両親に促されて、開道くんも無言で頭を下げる。

 寂しくなるな……。開道くんは僕を慕ってくれたし、僕も開道くんを後輩みたいに思っていた。

 開道くんの両親が上澤さんと長々と話し込んでいる間に、開道くんが僕に近付いて話しかけて来る。


「向日さん、お世話になりました」

「いやいや、そんな。それより向こうでも元気でな。自分を大事にして、無理はしないでくれよ。合わないと思ったら、いつでも帰って来て良いんだ」

「はい」


 僕はできるだけ先輩っぽい事を言った。C機関は危険が多い。開道くんに無事でいて欲しいと思うのは本心だ。


 開道くんは両親と共に車に乗り込む。C機関の本部の場所がどこなのか僕は知らないけれど、同じ県内じゃないだろう。

 一家を乗せた車は静かに発進して去って行った。

 今後、保護作戦とかで開道くんと顔を合わせる事があるかも知れない。そういう時にでも話ができたら良いな。僕は遠ざかる車を見送りながら、そう思った。

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